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「みんなの学校」から学ぶ(2):自分の言葉を獲得しながら「自分をつくる」場所が学校

私たちにとって想定外の事態となっているいま、木村泰子さんとの対話を「みんなの学校から学べることは何か」というテーマで連載しています。その第2弾をお送りします。

10年後の社会で通用する力を獲得するのが学校

――先日、あるビジネススクールで教える女性の経営学者の方を取材したんですが、コロナをきっかけに変わりつつある組織におけるリーダーの条件は、「自分の言葉を持ち、言語化できること」とおっしゃっていました。

泰子さん:まさに大空小学校で、子どもたちが獲得してきた学力ですね。

――高度成長期、日本企業は「24時間戦えますか?」という時代でしたが、朝から晩まで組織にいて相手を観察していると、自然に相手が求めることが分かってくるから、あまり言葉はいらず、いわゆる阿吽の呼吸で組織が回っていました。でも、リモートワークで離れて仕事をすることが当たり前になり、働き方改革で長時間労働も減る社会では、きちんと言葉にして伝えることが大事と説明してもらい、すごく腑に落ちました。

泰子さん:学校で、「おはよう」から「さようなら」までに学ぶ「学力」は、10年後の社会で役に立たなければ意味がないと考え、これが大切という結論に至ったのが、「4つの力」でした。

――「自分の考えを持つ力」「自分を表現する力」「人を大切にする力」「チャレンジする力」の4つの力。いろいろな方に取材をする中で、今の社会で何が大切かという話になると、必ずどこかでこの4つの力につながるんです。

泰子さん:10年後の社会で必要な力を考えるにあたり、まずは私たち大人が、10年後どんな社会になっているかを想像しました。きっと、多様な人たちが共に暮らす共生社会になっているだろうと。そこに、2011年の「3.11」を機に、想定外を生きる力も重視するようになったんです。

――僕が泰子さんに初めて話を伺ったのは2016年で、大空開校から10年後でした。まさに、共生社会や多様性という言葉がブームのように社会のなかにあふれていました。そして、今、まさにコロナという想定外の事態に世界が見舞われています。

泰子さん:「みんなの学校」の映画で多くの方に関心を持っていただいたのは、一般に、障害のあると言われる子どもたちと、そうではない子どもたちが一緒に学ぶ、いわゆるインクルーシッブ教育と呼ばれる部分だったと思います。でも、私たちは、インクルーシッブなんて言葉は一度も使ったことがありませんでした。インクルーシッブ教育をしようという目的ではなく、多様な人たちが共に暮らす共生社会を子どもたちが生きるために必要な力を一人ひとりが獲得できるよう、この4つの力を子どもたちが咀嚼して納得し、多様な大人や子ども、つまり他者、しかも自分とすべて違う他者と学び合う。そこに、障害があるとか貧困だからとかといった視点はなく、多様な子どもたちが共に過ごす中で、どうやって折り合いをつけていくか。時に喧嘩して、トラブルを起こし、そのあとどうつながっていくか、そういう中で獲得した学力こそが10年後に通用する力だと考え、子どもと大人が実践していたありのままの姿があの映画なのです。

学ぶ姿勢や意欲があれば人のせいにしない

――私たちは、よく「コミュニケーション力」が大事といいますが、いまおっしゃっていただいたことがコミュニケーション力を説明した言葉なのだと思いました。同時に、4つの力って、それぞれとてもシンプルで当たり前の言葉なので、ついつい分かった気になってしまいます。でも、今想定外の社会において、どこで必要か、なぜ必要なということまで落とし込んで考える必要があると思います。それが、「言語化する」ということなのかなと。

泰子さん:子どもたちは学校で学ぶ中で、自分の言葉を獲得していくんです。3.11以来、どんなカリキュラムより、まず命を大切にする教育を根幹にしてきました。その意味をあいまいにせず、「自分の命は自分が守る。隣の人の命を大切にする」という分かりやすい言葉に言語化してきました。映画に出てきたセイちゃんが卒業式で語った「一人ひとりが隣の人を大切にすれば、世界はすぐに平和になります」という言葉こそ、彼が大空で学ぶ中で獲得した自分の言葉です。

――自分の言葉を獲得することって、まさに自分をつくることなんですね。この数年間何度も意識してきた「自分の言葉で自分らしく語る」という姿勢も、ここにつながっているんだなと思いました。

泰子さん:校長だった私は、リーダーの言葉は責任を伴うということを常々自覚してきました。毎日のように国や自治体のリーダーが記者会見していますが、先日あるリーダーが国民に対して怒りを露わにするシーンがありました。結果、本当にコロナ対策に対して大切なことは全く伝わらず、逆に新たな批判を招いてしまった。リーダーの発言で、この大変な時に、人のせいにしてストレス発散して、自分は何も行動しない日本人をまた増やしてしまったわけです。

――いまのお話も、リーダーは自分の言葉に責任を持つようにってよく言われますが、なぜそれが必要なのかがよくわかる説明でした。言語化って、麗しくもっともらしい言葉を並べることではなく、相手に対する影響まで考え、納得してもらえるようしっかりと目的を語ることなんですよね。でもなかなか難しそうです……。

泰子さん:いつも言うけど、ほんのちょっと自分を変えたらいい。学ぶ力があり学びを大切にして生きている人は、人のせいにしません。例えば、「自分がやってきたことはどこかに問題があったかもしれません。これからそこを見直し新たな対策を……」と発言したとしたら、周りだって、「いやいや、みんなで頑張りましょう」っていう空気になると思いませんか? リーダーがおかしな発言をしたら社会がおかしくなる。そこをしっかり意識しないと。

――「やり直し」ですね。やり直しには、そこに学ぶ姿勢や意欲が感じられます。

「いい」と思うことはその結果を検証して見える化しよう

泰子さん:いまの状況をみていて、自分の中で強く思うのは、やっぱり「いいものはいい。おかしいことはおかしい」ということ。

――いいものやおかしいことって、それこそ人それぞれで、なんだかそれを主張し合うことで、かえって争いになることもある気がするのですが……

泰子さん:まずはいいものやおかしいものって「自分の中の指標」として存在するもの。いろいろな出来事があるなかで、これはいいよね、おかしいよなって、それぞれが感じるわけです。そして、それを言葉にした際、それが結果として見える化しないといけません。「ほらね、この子、困らなくなったでしょ? だからこれはいいよね」こんなふうに結果が見えて初めて「いいものはいい」といえるわけです。ただ言葉で「いい」というだけではそれは不確かな「思い」に過ぎません。

――なるほど、確かに東京アラートとか、いいと思ったこときっと実践されているんですが、結果が見える化されていません。

泰子さん:そう。いいと思うことを始めるのであれば、結果を検証しなければ。学校でいえば、いいと思って様々なルールをつくる。でもそのあとを検証しません。つくりっぱなしになっている。いいと思ったことの結果をどれだけ見ようとするか、子どもの事実に結果があって、それが見えないのであれば、見過ごすのではなくその子に教えてもらえばいいんです。

――再検証してやりなおす。それが本当にできていないリーダーが多いということですね。会社でも経営者が「いい」と信じて、それを検証もせずに社員におしつけ、社員が苦しむというケースがたくさん報道されています。それってやっぱり学ぶという姿勢が経営者に無いんですよね。

泰子さん:大人と大人の関係性にある会社でもひどい状況にあるのに、同じことが子どもという弱い存在に対峙している学校でも起こっています。いじめにあった子どもが屋上から飛び降りてしまっても、そのあと問題にするのは、いじめと認定するかどうかという議論。あったことをなかったことにするように、淡々と学校生活が進んでいきます。こんな時のリーダーの行動を、子どもも教職員も保護者もみんなが見ています。だからこそ、みんなが自分事としてどうやって学びに変えようかという方向にもっていかねばならないのに、犯人捜しといった空気が漂うなかで子どもたちは勉強して大人になってしまうのは本当に何とかしなければなりません。

――なんだか、自分の立場を守るために、人のせいにするって、どんな組織にも見られます。だから、人のせいにすることを正当化してしまっているのだと思います。「人のせいにしないために、学ぶ」という場所、社会にも必要です。

チームで動くために学校には不動の理念が必要

――話は変わりますが、福岡県の小学生が新聞に投稿した文章がSNSで話題になっていました。「大人に聞いてほしい」として、「これから暑い夏にマスクをして、友達と距離を保って、急いでたくさん勉強する。考えただけで息が苦しくなり、学校が行くのがつらいと感じます。僕たちはロボットではありません」と書いてありました。

泰子さん:私が今学校現場にいたら、休校期間があけて子どもたちが学校に帰ってきたら、「勉強なんて3カ月くらい大丈夫。もっと大事なことやろ」って何ひとつブレずにやると思うよ。2006年の開校時にアンテナを張って想像してきたこと、それが今のこの状況です。

――念の為に聞きますが、その言葉って公にして大丈夫ですか? なんだかそんな言葉先生が言ったら、保護者からすごい反発があるんじゃないかって心配になってしまいます。実際そんな風に考える先生はたくさんいると思いますが……。

泰子さん:それは個人で動いているからです。チームで動いて、そんな風に言える根拠を見える化していくことが必要です。休校期間に一人で一生懸命子どものことを考え、オンライン授業の準備をしてきた先生がたくさんいたと思います。でも、不公平だからという理由でその思いを学校から止められてしまうというケースも耳にしています。個人で動いてしまうと職員同士が分断されてしまいます。本当に子どもの方向を向き、学ぶ意欲をつくろうとする先生が、校長にとって反抗分子として見られてしまう。だから、すべての教職員がすべての子どもを見るという組織が必要になるのです。

――「一人でやらずに、チームでやる」これは大切な言葉だと思います。先ほどの「いいものはいい」の話に通じますよね。みんなが納得するようチームを味方につけ組織で動く。どうやったらその言葉の真意が伝わるか。やっぱり言語化するってことにつながりますね。

泰子さん: そのために、学校には理念が必要なんですが、意外とそれを定めていない学校が多いのです。教育目標を理念として語る学校がありますが、教育目標は日々更新されます。でも理念はそこにあり揺らぎが無いものです。大空では「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」という理念を掲げていたため、あとはそのためにどんな実践をすればいいかと考えればよかったんです。それが4つの力とたった一つの約束である「自分がされて嫌なことは人にしない 言わない」です。常に子どもに「自分の言葉で語ってる?」と問いかけました。「クソババアって言ってはいけません」なんて正解を押し付けるような指導を行わないのは、それでは自分の言葉を獲得するチャンスを奪ってしまうからです。

いまこそ、「主体的、対話的、深い学び」を

――改めて、学校や社会の中に対話する場所があり、そこで多くのカルチャーショックを経験し、言葉を獲得することができればいいなって思います。必要な言葉はそれぞれ違うから、同じ目標ではなく一人ひとりがそれぞれ必要なものを獲得できる場所。それが学びの場ですね。対話するからこそ気付けることがたくさんあります。

泰子さん:2020年4月より、「主体的、対話的、深い学び」という授業を学校で行いなさいと文部科学省は言っているわけです。ところが、コロナでそれどころではなってしまった。みんなが躍起になって授業の遅れを取り戻そうとしています。対話などしている余裕などどこにもないと言わんばかりに。これでは学びを保障しているとは言えません。知識やスキルは後ででも何とかなります。経済優先で子どもから学びの機会を奪ってしまったことに対して、「ごめんな」とそこからスタートしていかなければ。

――先週から対話を改めてスタートさせていただき、改めて泰子さんの教育への考えはシンプルでブレがないと感じています。シンプルなのにそれがとても豊かな言葉になっているのは対話の力なのかなって思いました。

泰子さん:コロナ禍でどれだけ自分との対話も豊かにできたことか(笑)。

――これまでたくさんの学びの場を一緒にやらせてもらいましたが、もう今後は対話だけでいい気がしてきました。だって、たかだか数時間に対して高尚なテーマを掲げ、こんな人になりましょう、こんな力を、なんて無理ですよ。

泰子さん:これをやりましょう。といったらそれはマニュアルになります。理念に向かって組織をつくこと。自分ができることをそれぞれがやること。それがチーム。目的を高尚な言い方をしたのが理念でしょ? 自分たちが活動する目的を明確にすること。それでみんなの社会ができたらオールオッケー!

――目的と理念。そこを明確にできていないことってたくさんありますね。

泰子さん:すべての行動には目的が無ければなりません。

――みんなの学校を観たり、泰子さん学ぶ目的を自分なりに言語化してみると、その場ですぐに何かを学べなくても、そのあと社会の違和感に気付けるようになればいいと思っています。その違和感こそが、対話のきかっけになるのではないでしょうか。

泰子さん:教育の場において、すべては点。運動会をやることって、その日をゴールにして、それまでの行動を評価してしまいがちだけど、あくまでそれは点に過ぎず、それがつながっていき社会の一員になるわけです。そのため学校がどうやって学びをつくるか。評価はあくまで自分がするもの。常に他人から評価されて大人になっていくのが今の学校の姿。そこを変えていかないと。これを語り出したらまた大変だけど(笑)。今日はこの辺にしておきましょう。

――今日も頭がぐるぐるしましたが、すべてがつながってきました! これからも対話を続けさせてください。次回はこの評価って部分からですかね。


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