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「評価」をなくしたら、子どもたちはもっと クレイジーにワイルドに「自分をつくる」ことができる

対話を重ねる中で、どうしても木村泰子さんに聞きたかったのが「評価」についての考え方。会社と学校ではもちろんその意味は違うのですが、評価する立場にある自分自身、評価するってどういうことなのか改めて考えるきっかけになりました。

評価には相当な知見と覚悟と責任が必要

――コロナを機にリモートワークが一気に広がりました。その裏で「評価」の在り方が問われるようになっています。僕も経営者として頭を悩ませています。

泰子さん:そもそも、評価の目的って何?

――会社の場合は、給与や人事査定をするためです。学校の場合は成績を付けるためですか?

泰子さん:評価って、その字のごとく、人の値打ちを見える化するってこと。そして評価するのはリーダー。そのリーダーの評価によって、人が命を落としてしてしまうことすらあります。そうなると評価は個人の問題ではなく、リーダーの問題ということになります。

――会社では不当評価みたいなものもあり、それが社内いじめの原因になったりして、本当に人の人生を左右してしまいます。確かに評価する側の問題ですね。

泰子さん:不当評価にならないように評価しようと思ったら、客観的な数字を見るしかありません。見えないものは数字化できないから、結局見えるものしか評価の対象にはなりません。でも本当に必要なのは、評価された側も納得できるような評価軸が見える化された評価です。

――納得というのは確かに、評価する側とされる側を対等にするキーワードです。

泰子さん:もし学校から今のような数字しか見ない評価をなくしたら、子どもたちはもっとクレイジーでワイルドに、なりたい自分になれる。でも実際は、教科の勉強ができる子が学校という場では常に優位にいます。ところが、いったん社会に出てから、学力が高い人が優位にいるかといったら決してそうではありませんよね? 私も本当に勉強をしない子供だったけど、社会に出てそれで困ることなんてなかったし(笑)。にもかかわらず、今なおインプットしたものをどれだけアウトプットできるかという面でしか評価していません。学校改革っていうけど、それ以前に先生が身に付ける評価を、何のための評価なのか、そこに責任を持てるのか、これまでと違う視点で考えていかなければなりません。

――なんだか、評価しなくていいのであれば、先生自身ももっと楽になれるのかなあと思ってしまいます。

泰子さん:本来、評価とは、子どもを序列するためのものではなく、自分が授業を通して教えたことがどれだけ子どもに浸透したか、自分に返すためのものです。そもそも、評価する立場にある人は、相当な知見と覚悟と責任が必要です。にもかかわらず、次の学校に入るための指標として使われてしまうから、どうしても成績順に並べてしまう。でも何のために評価が必要かと本音で対話すれば、先生たちの間でも今すぐやめようってなると思いますよ。学校から評価が無くなれば、学力調査もテストもいらない。

主要教科だけの評価が重視される教育文化

――自分が抱く学校というイメージは、優等生と劣等生が常に一定数いて、常に上下があるというイメージです。進学するために6年とか3年の区切りで学力を競うような。

泰子さん: 日本の学校教育文化においては、教科ごとの格差があります。国語数学英語の主要教科が重視されて、音楽や体育は受験にはほとんど影響しない。だから、別にできなくてもいいと。まさに見える学力の向上に力が注がれます。

――そうですね。多くの私立大学はこの3教科がメインになるため、志望校が決まった瞬間、受験科目しか勉強しなくなります。また、得意な科目だけで、進路が限定されてしまうという弊害もありますよね。

泰子さん:パブリックには、数学が分からん子もいるし、お手伝いで宿題をやる時間すらない子どもが居るということを忘れてはなりません。公教育の役割は、すべての子どもができることを優先順位の一番に添えた教育をつかさどること。ところが、今の学校文化は、「主要教科だけで自分をつくれ」と言われているようなものです。こうしていわれのない「落ちこぼれ」を生み出してしまうのです。

――単に勝手に価値観が決められた主要教科から「こぼれている」っていうだけなんですね。

泰子さん:偏差値教育のためだけではなく、自分が主体的に取り組める教科の中で、チャレンジする力を子どもが身に付ければ、負けへん気持ち、努力する気持ちが生まれ、それが見えない学力として社会で役立つはずです。主要科目だけが重視されるのはある意味偏見です。ここは是非問い直さねばなりません。自分が好きな教科を通してつくってきた「自分」こそが、社会で生きてはたらく力へとつながるのです。

みんながレギュラーになれるのが音楽

――大空小学校では、音楽に力を入れていましたが、それはなぜですか?

泰子さん:すべての子どもがレギュラーになれるからです。すべての教科の中で、唯一全員がレギュラーになれるのは音楽しかありません。つまり、すべての子どもが参加できるということです。みんなの中にいて、心地よく、自分の音楽をつくっていける。だから中心教科にしたんです。

――自分がどの楽器を担当するか、オーディションで決めるんですよね。

泰子さん:自分で一生懸命練習してオーディションを受けます。オーディションに落ちた子どもたちは、挫折感も味わいます。一方で、もっと努力した子がいることを知り、努力しなければ通らないということを、身をもって知ります。オーディションは自己評価につながります。だから責任をもって発表しなければならないのです。

――映画や他の映像でもコンサートの様子を見せてもらいましたが、演奏はもちろん、堂々と子どもたちが大人の間で話をするシーンも印象的でした。

泰子さん:大空の子どもたちが奏でたハーモニーは、プロからも認められるほど素晴らしいものでした。教えたりしていないのに、触ったこともないエレクトーンや、アコーディオンに挑戦して、ベートーベンの運命など本格的な演奏をします。評価というと、A-B-Cと差をつけなければいけないという固定概念がありがちですが、とんでもない。こんな素晴らしい演奏、間違いなく全員がAです! 

――演奏が終わった時の清々しい表情も印象的でした。オーディションに落ちて他の楽器をやっている子も、最終的には納得しているわけですね。

泰子さん:「第二」のやりたいもの見つけていくんです。そしてそれがいつの間にか「第一」になる。第二希望で成功体験を味わえば、社会に出てからも必ずしも希望通りでなくとも、別の場所で成功できると思えるようになります。こうした小さな積み重ねこそが学びなんです。

――いろいろな選択の中で自分が選んだものに全力で取り組む。先ほどの主要教科の話につながりますが、子どもによって大切な教科は一人ひとり違うんだってことがよくわかりました。

泰子さん:できなかったことができるようになる。これが評価。子どもはやらされているうちは、結果は出しません。だからこそ、大人がかかわってやる気を引き出す。まさにエデュケーションですね。

――プールが嫌いで逃げ出していた泰子さんが、水泳の選手になっていたというエピソードはまさに、学校という場で先生から「引き出された」結果ですよね。ありがとうございました。


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