社会人故の代償


「学生時代もっと遊んでおけば良かったな」
「アルバイト他にもたくさんやって経験積めば良かったな」
「彼女が欲しかったな」

最近になって学生時代を振り返る瞬間が多くなってきてるが、大体が後悔ばかりだ。後悔先に立たずと言うが、その言葉が今になって重くのしかかる。後悔しても後悔し切れない。

そんな後悔ばかりの人生を歩んできた私だが、社会人になって今年で3年目である。社会人になってお金が増え、高級料理を食べたり、旅に出たり、風俗に行ったりと学生時代にはできなかった社会人ならではの生活スタイルが確立してきている。しかし、そういった贅沢な生活とは対照的に、社会人になった代償として失った「意外なもの」もある。

それは、滅多に「下の名前」を呼ばれなくなったことである。

当記事では、名前を表示する際、Twitterのペンネームを使用しているが、私の本名の苗字は佐藤である。至って普通だ。下の名前はプライバシー上伏せるが、上の苗字が佐藤とよく聞く苗字であるため、名前を呼ばれる時は小学校、幼稚園の時から下の名前で定着していた。たまに苗字+名前を組み合わせて呼ぶ人もいたが、それは滅多になかったと言ってもいい。

学生時代までは9割9分、下の名前で呼ばれるのが常であった。

しかし、社会人になり、馴染み深かった土地を離れ、異国の地に着き、友人とも離れた。会う人は職場の上司か臨時職員くらいだ。

一般的に、仕事で名前呼びするのはあまり聞かない。それは苗字がどれだけ普通であろうと。筆者の職場もいつも声かけられるときは「佐藤くん」か「佐藤さん」だ。つまり、昔の友人ばりに下の名前で呼んでくれる人が居なくなったのである。

「下の名前で呼ばれなくなったこと」。それは、大人の仲間入りの勲章とも捉えることもできるが、正直、悲しい部分が大半を占める。それは、親しげに名前を呼んでくれた友人と会う機会が少なくなった他ならないからだろう。友人と離れ離れになった悲しみが物理的だけでなく、思わぬ代償を生むことになるとは。

大人になること。それは何かを失うことでもあるとしみじみ感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?