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インド滞在記②「来世は、なにになれるのだろう?」

最近、遅ればせながら、ドラマ「ブラッシュアップライフ」にとてもはまっている。本ドラマは、1年前(ちょうど今日からスタート)放送された、バカリズムさんの秀逸な脚本による連ドラ。平凡な人生を送っていた女性が、今世の「徳」が足りず、来世は魚や動物を宣告され、今世を何度もやり直すお話。(年末に一挙再放送され、Neflixでも配信中!)

私の感想は、いくら今世をやり直せるからっていったって、そこに費やす時間や労力めちゃくちゃ大変だし、それを事細かに日々ぬかりなく生きるってけっこうしんどいそう…私なら、人生1周でいいかも…知らんけど。にしても、自分は来世はどうなるんだろうか…徳積めてるのかな…もしかして、ウニかもなぁ。

「輪廻転生」って、子どもの時から概念を知ってるけど、真面目に考えたことはなかった。今回、インドに行ったことで、やっぱり人並みにも考えさせられた。

輪廻しているかもしれない人生が垣間見えるガンジス川岸

タージマハールに次いで、インドを旅行する日本人の多くが多分目指す場所「ガンジス川」。ヒンドゥー教の聖地で、ガンジス川で沐浴すればすべての罪が洗い流され、遺灰を流せば輪廻転生から抜け出すことができるらしい。

私がガンジス川を訪れたのは平日。その岸辺には、いろんな人が見えた。冷たそうなガンジス川に豪快にバシャバシャを頭からかぶってるおじさま集団。川まで近づけないおばあちゃんのために、川の水をすくっておばあちゃんの足に何度も往復してかけてあげる青年。シヴァ神の装束をした物乞いの子ども。道端に捨てられた大量のゴミを黙々と箒で集めるサリーを着た女性。観光客向けの新しいボートを作っているように見えるのに手持ち無沙汰の職人もどき。火葬場の灰を川へと捨てる明らかにヨーロッパ人っぽい筋骨隆々の労働者。屋根をつたってやってくるサルに売れ残りのバナナを投げる八百屋さん。笛を吹いてコブラを操る怪しい漫画に出てきそうな蛇使いの老人。オレンジ色の花に覆われて担架から、最期の沐浴をする「人」。

それぞれ1日24時間×生きてきた年月があって、家族・友達・恋人など大切な人がいて、時に笑い、時に悲しみ、時に怒り、私と同じように、よりよい未来に向かって生きている(生きてきた)。その事実だけでもクラクラするのに、特に「輪廻転生を意識する」場所であることで余計クラっとする。仮に前世・今世・来世があるなら、目の前に生きてる人々は、輪廻転生から脱することができてないから、確実に前世がある。それぞれの前世分の人生がまたあるなんて….。その上で、人間に生まれ変われるなんて、みんな前世でかなり徳を積んでる!(きっと私も!笑)人間だったのか?人間じゃなかったのか?人間を希望したのか、できたのか?

「こういう最期って、自分にとっても、家族にとっても、気持ちよいかもしれない」

「インドに行けば、死生観が変わる」「人生が変わる」とかよく言われる。個人的な感想では、自分の考え方は変わってないけど、ガンジス川の火葬場のイメージは変わった。インドに行く前は、ガンジス川といえば、「沐浴する人の隣で、ご遺体が流れている。焼いた灰を流している」「火葬場は、危ない!危険!」というイメージ。そこで、現地出身の安心安全のガイドさんのもと、ガンジス川で一番大きな火葬場を上から見せてもらった。


時間は朝10時ごろ。2箇所ぐらいが火葬中で、1箇所はすでに火葬済みで、まだ使われてないスペースに、これからどんどんご遺体がこの火葬場に運ばれて、夜も火葬は続く。実際上から見せてもらっているうちに、オレンジの献花いっぱいの担架が運ばれてきた。上から見えるといったように、火葬場は完全にオープンスペース。作業されるスタッフさんが専用の組まれた薪の上に担架を置いて火をつける。まるでキャンプファイヤーのようだった。そのほんとすぐとなりで、何頭もの牛が草をモグモグしていて、子犬はじゃれあってて、ヤギはピョンピョコいて、ニワトリまでのんびりしている。朝日がキラキラとガンジス川に反射していて、景色もいいし、風も抜ける。
ものすごく気持ちいい。
景色がよくて、動物がのんびりしている中で、燃える炎や空に消えていく煙を親族20人ぐらいで、火が小さくなるまでぼんやりと2時間ぐらい眺める。

幸運なことに、私は物心ついてから、お葬式に行ったことがない。日本だとイメージでは、お棺に入った顔を最期に見たら、ピッとボタンを押して、別室で待ったら、お骨を拾うというもの。クリーンで申し分ないし、私も、私の家族も、そんな最期なことはわかっているけど、だからなのか、インドの雑多で混沌としてるけど、心の整理が付きそうな最期が少しいいな、と思った。

ガンジス川の火葬場にいた親族はどんな思いで、あの風景を眺めたのだろうか。なにを考えたのだろうか。ガンジス川で灰を流すと、輪廻転生から脱せられる。つまり、「来世でまた会う」こともない。来世のない未来もまた、苦しくても、すこしちょっぴりさみしいと思った。

将来、真っ白い空間の市役所みたいなところに行くときになったら、この記事のことを私は頑張って思い出したい笑

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