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ごま社長の軌跡 17日目 〜Missionの抽象度〜

久々に作業に集中できるような環境だった。

Google系のツールはめちゃくちゃ使えるのが多く、しかも殆どのプロダクトが無料で使える。これはGoogleのMissionである「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」に沿った戦略であると感じている。

ここで少し感じたのが、GoogleのMissionは実は抽象度があまり高くない。対象としているのが、"情報"としているし、目的を"アクセスできて使える"こととしている。

自分のいまの会社のMissionは、私の個人的に成し遂げたいことの想いを込めてたてて、「ハイ・シナジーコミュニティを形成し、社会の負を解消する構造を創造する」という比較的抽象度の高いMissionを掲げている。この意味合いとか、言葉の定義とかは、またどこかの機会で書いていきたいと思う。

Missionの抽象度は会社の長期的な成長を考えると、実は結構重要な論点だ。よくあるスタートアップ企業だと、本当に抽象度高いものが多い。もうちょっと批判的に書くと、「抽象度高く、それっぽく書いているだけ」で薄っぺらい場合が多い。

このMissionの抽象度は、実は高ければ高いほど良いというわけでもない、と個人的には思っている。

Missionの抽象度は関わってくれる人の人数に影響を及ぼす。分かりやすく具体例を挙げてみる。Missionが「世界中のまめゴマを救う」というMissionでは、多分「まめゴマが好きな人」(またはあざらしや海洋哺乳類が好きな人)しか共感せず、一緒に動いてくれないであろう。

これが例えば「世界中を救う」となると対象が無数になってくる。プラス対象が書かれていないが故に「救う」の意味合いの抽象度も上がるため、相当数に人間が関わることのできるMissionの抽象度となる。

この具体例のように、Missionの抽象度が上がればあがるほど、関わることのできる人数(アトラクトできる人数)が多くなるため、うまく人を集めることができれば、相当な規模数となる。

一方で抽象度が高いほど、人を惹きつける難易度が上がると感じている。抽象度が高いと、正直な話、「言葉遊びをすれば、個人のやりたいこととの関係性を紐づけることが可能」なため、少し考えれば「適当なことを言って関連づけられ」てしまう。そして、ちゃんと考えれば考えるほど、「自分ってその抽象度でやりたいことがあるんだっけ?」っていう問いに立ち返り、離れてしまう現象が起きやすい。

スタートアップ界隈ではなぜかMissionの抽象度をあげれば偉いように勘違いされていることが多いが、Missionの抽象度は適切な粒度にした方が良い。

ただここまで書いていて、申し訳ないが、もちろんMissionの内容や抽象度は重要な論点ではあるものの、それ以上に重要な論点は企業文化、カルチャーだ。

GoogleはMissionよりも、むしろ、ラリーペイジとサーゲイブリンの二人のの性格が非常に浸透しており、「邪悪になるな」などの良い文化が形成されていると感じている。このカルチャーについても今後諸々想うことを書いていきたい。

「文化は戦略を凌駕する」という言葉を最近聞いたが、実は「文化はMissionも凌駕する」であろうと感じている。


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