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カムパネルラが流されたのは何川か?

1.沼にハマる


先日、親族で旅行へ行った際に花巻へ立ち寄った。花巻といえば宮沢賢治。物凄い大ファンとかではないが、子どもの頃からなんとなく慣れ親しんでおり、だいたいのお話はうっすらと覚えている。
そんな程度でも、市街地のそこかしこに溢れるオブジェが、どの物語の何なのかを当てっこしながらぶらぶら散策するのは楽しい。
すっかり堪能して帰宅し、旅の思い出を夫婦で語り合いつつ、
「宮沢賢治ってどんな人だったんだろうね。」
と言うと、夫がこんなことを言い出した。

「猫が嫌いだったらしいよ?」

え。それは本当でしょうか?
あんなに猫のお話ばかり描いていて、嫌いとは。

そこから、その根拠を調べ始めてしまった私は、沼にハマることとなった。

2.宮沢賢治と猫

手始めにインターネットで記事を探すことにした。すると、いくつか説を見出した。
① 猫を作品中に嫌なヤツ枠で登場させているから、猫が嫌いなはず(セロ弾きのゴーシュ他)
② 猫の絵を落書きするくらいだから、嫌いなはずがない
③ 猫に投影して描いた人物が嫌いなだけである

私は③に大変興味を持ち、出典をあたることにした。

セロ弾きのゴーシュの例では、登場した三毛猫は高瀬露という女性を表現したのではないかという説が記載されていた。
え、高瀬露って誰。

わからないから調べたら、教員をしている女性で、賢治の世話を焼いていたものの賢治自身はあまり好ましく思えず彼女に手を焼いていたっぽい。その感情を、三毛猫に託したのだろうという。三毛猫はメスしか存在しない、という科学的事実に基づき、敢えて、三毛猫で表現した、とな。
他のいくつかの例も読み、なるほど、猫で表現するのが適切だから猫で表現したにすぎないだけで、猫が嫌いなわけじゃないのかもしれない、と思うことにした。
好きな動物に、苦手な人物を投影するとは、もしや、ツンデレだったのでは?という思いが一瞬頭をよぎった。

3.高瀬露が気になる

で。宮沢賢治を好きな女性がいたのに、宮沢賢治は彼女を遠ざけたかった、とな。非常に気になる。が、情報があまりない。彼女自身あまり語らなかったらしいので真相はわからない。
出典がWikipediaしかないのに語るのもどうかと思うが、教員をするだけの学があり、賢治の身の回りや食事の世話をしていたことや、晩年は養護教諭をしていたらしいことから、おそらく賢治の健康状態を気遣い、栄養価の高い何か元気になるものを食べさそうとして怒らせてしまったのではなかろうか、と勝手に想像している。むしろそれ以外の理由が思いつかない。賢治の思想や意志を尊重し、玄米と少しの野菜だけのご飯しか用意しない、なんてことは、なかなか出来ることではないよなあ、と思い、露さんがなんだか気の毒になった。
弱った母に牛乳を飲ませたいジョバンニを描きつつ、自分はたとえ死んでも動物性のものを口にしない、という決意は、なかなか人に伝わり辛いように思う。

4.ジョバンニの町の地図

「イーハトーブ乱入記」が面白いので、さらに読み進めると、銀河鉄道の夜に関する考察が始まった。ますむらひろし氏が小説を漫画化するにあたり考察しまくった過程が惜しげもなく披露されていて面白いのだ。抽象的すぎる賢治の文章を、具体的な絵に落とし込む作業は途方もなく大変だっただろうと思われる。天気輪の柱、三角標、といった造形物をどんな絵にするのか。そのためには、賢治がどういう背景からどんな想像をして創作したのかまで想像せねばならないのだ。
そして、かつてジョバンニの町の地図を調べた人がいたということが紹介されていた。
この川を北上川とし、東西だか南北だかに反転したら花巻市街地に一致する、というような謎解きをした人がいたというのだ。

イーハトーブ乱入記、より引用した図
尚、図中のアルファベットについては本文中に言及がなかったことと、原典が絶版であることから、何を示しているかは現時点において確認できていない。

私は、激しく違和感を覚えた。
なぜ北上川だと決めつける?
子どもが川遊びをするような川が、でかい川であるはずがないではないか。現に、ジョバンニの母が心配しているくらいなのだ。北上川だったら子どもだけで行かせないのではなかろうか。

私は、街の南側を流れ北上川に注ぐ豊沢川ではないかと考えた。

川が南になるように回転
大正9年花巻町俯瞰図
宮沢賢治・花巻市民の会ホームページより
①賢治生家 ②精養軒 ③花巻川口町役場 ④花城小学校 ⑤軽便鉄道鳥谷ヶ崎駅 ⑥稗貫農学校 ⑦花巻高等女学校 ⑧やぶ屋 ⑨『春と修羅』印刷所 ⑩岩手軽便鉄道・花巻電鉄花巻駅 ⑪国鉄東北線花巻駅 ⑫宮善商店

なんか、ほんのり重なって見えてきた。

以下、豊沢川ではないかという説を裏付けられそうな根拠をあげていく。

⑴ ジョバンニの長屋は本当に坂の上にある

前ページの図を重ねると、ジョバンニの長屋は花巻駅方面に相当する。
花巻駅は高台にあり、川に向かって低くなる地形によりこのあたりは坂道になっており一致する。また、俯瞰図上も並木道になっている。
実際に駅から歩いたから気づいたのかもしれない。

花巻市街地の標高を可視化した地図

⑵ 豊沢川にかかる橋は大正2年当時既にかかっていたことは今昔マップにて確認した。

今昔マップ 大正2年の花巻

⑶ 天気輪の丘方面には身照寺がある。
賢治の生前、身照寺はまだなかった(廃寺になっていた)のだが、日蓮宗の寺の再建を願っていた。
元々宮沢家の菩提寺は生家近くにある安浄寺であったが、賢治の死後、願いを聞き届けた父が墓を身照寺にうつしたというのだ!

大正9年花巻町俯瞰図(引用元は同じ
①賢治生家 ②精養軒 ③花巻川口町役場 ④花城小学校 ⑤軽便鉄道鳥谷ヶ崎駅 ⑦花巻高等女学校 ⑧やぶ屋 ⑨『春と修羅』印刷所 ⑫宮善商店 ⑬安浄寺(宮沢家菩提寺) ⑭花巻電鉄西公園停留所

この場所は、地図内の⑭のところにあるこんもりした林の奥にある。地形的に、丘っぽい。寺のある場所の標高を調べると91.5m。街中が75m程度。きっと、丘だ。

この丘に寝転び、本当の幸いについて願うなんて、シナリオが完璧すぎだろう。賢治は、法華経の布教こそがみんなの本当の幸せにつながると考えていたはずだからだ。この身照寺予定地こそ、それを願う場としてふさわしいではないか!

とすれば、天気輪の柱とは、やっぱり寺にありそうなものなんじゃない?というのが私の想像だ。

ちなみに、AIの「イラストお絵描きばりぐっどくん」に、銀河鉄道の夜、天気輪の柱、と注文した結果はこちら。

AIイラストお絵描きばりぐっどくんによる天気輪の柱

⑷ たまたまかもしれんが、豊沢川の向こう岸に牛乳屋さんがある!(八重樫牛乳)
創業は戦後のようだが明治から会社があったらしい。店舗がどこにあったかはわからないが、ここだったらいいなあという願望。川を挟んで北側にのぼると身照寺がある。もしかしたらこの辺の河川敷で酪農をしていたかもしれない。

現在の八重樫牛乳さん(赤いポイント)

身照寺の近くのぎんどろ公園は、かつて賢治が教えた花巻農学校があった場所である。

⑸ かつて豊沢川で子どもの死亡事故があった。

Wikipedia宮沢賢治 より

ビンゴすぎやしませんかね?
もうこれ絶対、豊沢川でしょう!

⑹ 本文中に大ヒントが

カムパネルラが見つからないというシーンにおいて、「河原のいちばん下流の方へ州のようになって出たところ」という表現をしているのだ。
支流である豊沢川が北上川へ注ぎ込むからこそ、「一番下流」が存在するのだ。豊沢川がそこで終わるからだ。北上川であれば、一番下流の方、などとは使わないと思うのだ。
そこで、今昔マップをもう一度よく見た。すると、豊沢川には中洲がたくさんあり、橋から見える位置にもしっかり存在した。大正9年の俯瞰図にも州のようなものが描かれている。

大正2年の今昔マップ 豊沢橋付近を拡大したもの
ジョバンニが走ったと思われるルートを青線で示した

「橋の櫓が見える」という表現から北上川にかかる朝日橋ではないか、州とは瀬川との合流地点だ、だから北上川であると結論付けた説もあるようですが、色々な要素を混ぜただけなのだろうという気がします。街中から朝日橋まで500m程あり、橋上に人だかりが見えて駆けつけるには遠いのではないかと思うからです。
モチーフとして当時新しく完成した立派な朝日橋を用いただけで、街中の十字路から橋までダッシュで駆けつける距離が200m程度であるなど位置的に無理がないのは豊沢川なのだろうと私は結論付けました。

…と思ったんですが、

"下流の方の川はばいっぱい銀河が巨きく写って、まるで水のないそのままのそらのように見えました。
 ジョバンニは、そのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。"

という部分に着目したくなった。

賢治が、ジョバンニの居る現実の小さな世界を小さな豊沢川で表し、広大な北上川から壮大な天の川を空想したのだとする。
その小さな豊沢川に映った銀河を見たジョバンニは、カムパネルラはその『銀河のはずれにしかいない』と思った。それは、豊沢川の向こうにある北上川(=銀河)を思っているんじゃないだろうか。
すなわち、もうカムパネルラは豊沢川を探してもみつからない、北上川=銀河に行ってしまった=死 の受容を表現したのだろうか。
また、生と死がまざった空想の銀河が、現実でもそこで生と死が重なった、ってな雰囲気を表現するなら、豊沢川(現実)と北上川(天上界)の合流地点が見える方がしっくりくる。
ということは、もっと下流で、合流する北上川が遠くに見えて欲しい。

やっぱりこっちかも

州のような、と言っていて、州とは言ってない点に着目すべきだった。

とりあえず、思いつきだけで書き綴りましたが、いずれ、出典をきちんとしらべて加筆修正するかもです。駄文失礼しました。了

*参考にしたサイト


国土地理院 地理院地図
https://www.gsi.go.jp/tizu-kutyu.html

今昔マップ
https://ktgis.net/kjmapw/

大正9年花巻町俯瞰図
https://ihatovstn.jp/old-photo/old-sketchmap/

朝日橋派の意見

 「銀河鉄道の夜」と朝日橋
http://www.harnamukiya.com/guidebook/page11.html

 「銀河鉄道の夜」と北上川・瀬川田合流地点
http://www.harnamukiya.com/guidebook/page12.html

 カムパネルラの捜索現場のモデル「朝日橋」とその下流
http://www.harnamukiya.com/places/sp_bridge.html



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