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名前も知らないおっちゃんに感謝を伝えたい

こんにちは、こんばんは
ごろーです。

今回は「人生で1番感謝を伝えたい人物(自分の両親、親族を除く)」について書いていきたいと思います。

これまでの記事でも何度か記述してきましたが、
僕の人生において陸上の長距離走に取り組んできた経験は非常に大きな意味や影響を持っています。長距離走に取り組む事で非常にたくさんの経験してきました。

その中でも特に自分のやってきた事を表現するインパクトのある内容であり、人生においても大きなターニングポイントとなった出来事に

「100kmマラソン完走」

というのがあります。今回はこれについて書いていきたいと思います。
なぜこれが「1番感謝を伝えたい人物」につながるかというと、
実は100kmマラソン挑戦中60km程の時点で一度僕の心は完全に限界を迎えました。

そんな僕がゴールに辿り着けたのは間違いなくこの時に偶然出会った「名前も全く知らないランナーのおっちゃん」のおかげです。

僕が1番感謝を伝たいのはこの方です。

完全に折れていた僕に声をかけ、励まし、ペース管理までしてくださり、制限時間内にゴールまで連れていってくださいました。

せっかくなのでこの時の経験にについて記述していきたいと思います。

当時僕は大学院生でした。
大学院での生活は非常に忙しかった為、走る時間はあまりとっていませんでした。そもそも研究に集中したかったので割と距離を走れる事を同僚には隠していました。

ある時に所属研究室で1番お世話になっていた先輩に隠してた事がバレてしまい「僕が走ってるのに君が走らないのはなんで?走ろうよ!ウルトラとかあるよ!」という言葉がとんできました。

正直走りたくなかったのですがとてもお世話になっていた先輩の言葉なので無下に断ることも出来ず、
「出走の抽選に当たったら走ります。」
と答えたら何故か先輩は落選し僕だけが当選してしまったので僕だけ走らざるを得なくなりました。

とはいえ練習を全くしてなかったので、
生き残る為には練習しなければと思い、この日から毎日のスケジュールにジョギングをちょっとづつ入れて身体作りを始めました。

しかし、100kmなんて途方もない距離を走るイメージが全くわかず、練習も足りてたのかどうかもよくわからないままに気づいたらレース前日を迎えてしまいました。

前日にも関わらず、まだ走る事への現実味がわかない僕は、
気づいたら前日にも関わらずお酒を飲んでおり、しかもその性でレースの召集予定の集合時刻から若干遅刻、スタート地点に立った時の僕の状態はアップ不十分に加え、酒が残っているという最悪な状態。
今思ってもどうかしてたとしか思えません。

「朝方3時」そんなこんなで100kmの長い道のりがスタートしました。

最初はわりと調子が良く、山登りの連続だったにも関わらずなんだかんだ身体は動いたのでどんどん走っていきました。

30km近く走り太陽が登ってもまだ足は動くぞという感じで元気でした。

その勢いはフルマラソンの距離である42.195km地点を通過する時も続いており、この感じだったらいけそうだなという感覚があったので、更に距離を重ねていき60km地点にある大きめの給水給食場に辿り着きました。(100kmマラソンは長丁場なので給水場や給食場がコース上に頻繁に設置されています)

おにぎりを食べ、給水し、シャツを着替え、レースに戻るぞと意気込んで走りだし1〜2km程走っていった時です。

異変は突然やってきました。

足全体が動かなくなるのはもちろん、太ももは擦れて痛いわ、脹脛は両足共つってしまうわで、1度異変を感じてしまうと早いものでそこから2kmもしないうちに走るのも困難な状況になってしまいました。

身体が動かなくなると心も疲弊する。
一気に心が折れ始めゴールまでまだまだあるという現実に押しつぶされそうになっていきました。

それでも身体を前に動かそうと思い足を出し続けたのですが、
あっというまに限界がきてしまい僕はその場にへたり込んでしまいました。

ストレッチをしてなんとか復活を試みるのですが、どうやっても足が動かない。何分か経って「もう限界かな、リタイヤしよかな。。。」

と思ってたその時です。
後から走ってきた見るからにベテラン感を漂わせたおっちゃんが話しかけてきました。

おっちゃん「大丈夫?足やったの?」
僕「そうなんです。だからもうリタイヤかなと考えてます。」
おっちゃん「君、県外から来たの?」
僕「そうです。」
おっちゃん「わざわざ遠い所からせっかく来たのに諦めるのは嫌だよね。」「じゃあ僕がゴールまで連れて行ってあげよう。」
時計を見て
「ゴールまでの制限時間と距離を考えたら不可能な数字じゃないよ!」

と言ってくださり、おっちゃんは僕の足をマッサージした後に肩を貸し僕の身体をおこしてくれました。
ヨタヨタしながらもなんとか立ち上がり、ここから僕はおっちゃん先導で全く足が動かないながらも再度身体を動かし始めました。

当然回復なんてするはずもなく。
「もう無理、もう限界、俺何やってんだろう?」
何度もこんな風に思いながら、もはや歩くのよりも遅い速度で身体を動かしていると、おっちゃんや沿道の人が
「頑張れ!」「もうちょっとだ!」「ラストまで諦めるな!」
と口々に声をかけてくださるんです。
それも一人じゃなく、レースを見てる方々みんなが口々に応援してくれるんです。

不思議なもので応援されると無理だと思っても体はなんとか動いてくれるんですよね。すごく力をもらいました。

それでもゴールは見えてこないし、日は暮れてくるし、汗は冷えて寒いし辛すぎる。それでも足を動かすしかない。

もう記憶もほとんど定かじゃなかったのですが、おっちゃんがずっとペースを見てくれながら「大丈夫!」「いけるよ!」「諦めるな!」と励ましてくれるのを頼りに足を動かした所、なんとかゴール地点に辿り着く事ができました。

約13時間の戦い。
ゴール後に感じた一番の感情は「生きててよかった」でした。

ゴール地点でおっちゃんと抱き合った時の事は今でも忘れません。
この出会いがなかったら僕は間違いなく100kmを完走することなく諦めた失意の思い出になっていたと思います。本当に感謝してもしきれません。

話を聞くとおっちゃんは何度もウルトラマラソンを完走してる人で、
今回はペースをミスってしまいスタミナは問題ないけど足が痛くてスピードあげれないから目標を「記録」から「完走」に切り替えたタイミングで僕に出会ったとの事でした。運とタイミングって本当にあるんだなと思います。


「100kmマラソンを完走した。」
この経験がこの後の僕の人生に非常に大きな影響を与えた事は間違いなく。助けていただいたとはいえ、最後までやりきったという事実が自分に自信をつけてくれました。

元々、身体能力が決して高くないこんな僕でも諦めなければ人と同じもしくは、人よりちょっと先にいけるんだという事を知る事ができました。

色々と書いてきましたが、
100kmマラソンを走ったのは何年も前の話です。
最近はそんな昔のことをずっと自分の誇りのように語り続けている事がなんとなくダサいなって思うようになりました。

もちろんそういった経験があるという事は自分の人生において非常に大きな出来事です。
でも僕は過去じゃなくいつだって「今が最高!」という生き方をしたいと思っています。

なので自己ベストを更新すべくまた目標を決めて走り始めました。
今度はおっちゃんに頼らずともゴールにたどり着けるよう慢心せずに身体と戦略を作ってレースに臨みたいと思います。

最後になりますが、
あの時におっちゃんが声をかけてくださりゴールまで連れて行ってくれなかったら僕の人生は今と全くの別物になっていた可能性が高いです。

連絡先も何もお伺いしなかったので、
お会いする事は難しいかもしれませんが本当に感謝しています。
この場を借りて感謝を伝えたいと思います。

あの時は声をかけてくださり本当にありがとうございました。

ごろー

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