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#3 【ゴルフの歴史】ピンの語源:ウィッカーバスケットってなに?|ゴルフ学芸員

1.はじめに 

 2023年12月20日、川奈・大島コース95周年の記念イベントでウィッカー・バスケットが復活した。川奈では、大島、富士の両コースで1937年(昭和12)頃までウィッカーが使用されていたので、実に87年振りの復活である。現在、多くのゴルフコースではホールマーカーとして「旗」を使用しており、ウィッカー・バスケット(以下、ウィッカー)は世界の極わずかなコースにおいてのみ見ることができる。従ってほとんどのゴルファーは、実物を見たこともなければ体験したこともなく、ウィッカーの起源や歴史についての知識もない。知らなくて当然といえば当然である。しかし、知らないが故に誤った記述も散見されるため、国内外の資料をもとに、ゴルフ用具としてのウィッカーの起源、歴史、素材等を調査し、内容を精査した上でまとめることとした。
 なお、以下の略号を使用する。ゴルフ倶楽部(クラブ)はGC、カントリー倶楽部(クラブ)はCCとする。

2. 英和辞典で「wicker」を引く

 まず、「wicker」という単語を英和辞典¹で調べるところから始めてみたい。

➀(枝編み細工に使うしなやかな)小枝、柳の小枝
②枝編み細工(wicker work)
③枝編み細工品(バスケット、椅子など)
 …とある。
 念のため、他の英和辞典²も調べたが、「[ヤナギなどの]しなやかな小枝;枝編み細工、小枝細工」とあり、「a wicker basket」は「枝編みのかご」と訳されている。

 ここでのポイントは「枝編み」という部分である。細いしなやかな柳の枝は、そのままの状態でカゴ編みに適しており、「枝編み細工=ウィッカーワーク」は英国の人々の生活に根付き、カゴ産業として発展した。ニードルマン(2018)は、「イギリスほどカゴ細工のバリエーションが豊富な場所は、世界中を見ても多くはない。イギリスのカゴのほとんどは柳で作られている。柳は柔軟で軽く、丈夫で、放っておけば自然に繁殖する能力があるので栽培しやすいという特徴をすべてあわせ持った、夢のような素材だ。」³と述べており、英国ではカゴを表す言葉が200近くもあるという。

 例えば竹細工の場合、最初に「竹ひご」を作る工程が必要で、竹カゴ自体は竹ひごを使って編まれている。つまり「wicker」には、加工をしていない自然の枝をそのまま使ったという意味が含まれていることを強調しておく。

 柳とよく似た特徴をもつ素材に籐がある。籐はラタンとも呼ばれるヤシ科のつる植物の総称で、茎は弾力があり強靭でやはり編み細工に適している。しかし、主な分布地域は熱帯アジアやオーストラリア北部であり、英国の柳と似ているが故に間違われやすい。

 ゴルフ史家の摂津茂和(1899-1988)は、「ウィッカー・バスケット」を「柳かご」⁴と和訳した。摂津は英国の編み細工の素材が柳であると知っていたからこそ、このように的確な和訳ができたと考えられる。

3.用具規則を確認する(ピンの語源はウィッカー・バスケット)

 さて、規則(ルール)を確認してみよう。一般的にゴルフコースでは、ゴルフ規則⁵でいうところの「旗竿」の先には旗が取り付けられている。この旗竿についてさらに詳しく知るには用具規則⁶を確認する必要がある。

 用具規則によれば、旗竿は「動かせる竿」と「その竿に取り付けられる他の部品」から構成されており、球の動きに不当に影響を及ぼす、或いは、プレーヤーが風速や風向を測定できるようにデザインされていないのであれば、装飾的な付属物は認められている。

 旗以外のホールマーカーとして多くのゴルファーに認知されているのはウィッカーであろう。なぜなら、過去に全米オープンを5回(1934年、1950年、1971年、1981年、2013年)開催しているメリオンGC(米国ペンシルバニア州)が採用しているので、その都度テレビやメディアなどで取り上げられるからである。

 竿の先にカゴを乗せた姿が、ハット・ピン⁷(女性用の帽子留め)によく似ていたことから「ピン」と呼ばれるようになった。

(図1)提供 Call the Fashion Police! I’m Wearing an Illegal Hatpin! – The Pragmatic Costumer (wordpress.com)
帽子はヘアピースの助けを借りて結った髪の上に載せられハット・ピンで留めた。
(図2)提供 Museum of Cornish Life
https://museumofcornishlife.co.uk/objects/hatpins/
色とりどりのハット・ピン。高級なものは宝石や装飾が施されていた。

ハット・ピン(hat pin)
帽子に付けるピンで、装飾用に付けるものと不安定な帽子をその位置に落着けるための実用に用いるものとがある。このほか19世紀の後半には大きなものを護身用として使われた。昔は髪型が長く、帽子のクラウン(山)が浅かったため髷(まげ)に通したり、2本並べたりしたが、最近はクラウンが深くなり、髪型も短いものが多くなったためあまり使われない。形は普通のピンより長めでまっすぐ、材料は金属類、宝石、スパングルなどを用い、高級なものには落ちないように留め具を付けた。このピンはほとんどが婦人帽用である。(西塚庫男)

編纂 服装文化協会『増補版 服装大百科事典 上巻』1969年,p.98。

(図3)提供 R&Aワールドゴルフミュージアム
「セントアンドリュース・レディース・ゴルフ・クラブ(1886年)」
https://www.worldgolfmuseum.com/the-museum
1880年代のドレスの特徴はバッスル・スタイル。帽子は当然ハット・ピンで留められている。


4.ウィッカー・バスケットの起源と歴史

 続いて、ウィッカー・バスケットをいつ頃からホールマーカーとして使うようになったのか、その起源と歴史を国別に調査した。以下、英国、米国、日本の順にみていく。

⑴英国

 ウィッカーをホールマーカーとして使い始めたのはスコットランドの人々であるが、いつ頃から使用するようになったのかは不明である。最も古い記録によれば、1850年代に竹の杖(cane)の先にバスケットを取り付けて目印にしていた、ということがわかっているくらいである。

 キャンベル(1994)は、「竹ざおの先にヤナギの小枝でできたロブスター・ポットを取り付けた初期のホールマーカーは、ゴルフと漁民たちとの関りの名残りを残している。こうした用具は、プレーヤーに風の方向を知らせないため、旗ざおよりもゴルフを面白くすると考えられていた。」⁸と述べていて、もともと漁民たちの仕事道具のひとつだったロブスター・ポットが、なにかのきっかけでホールマーカーに転じた可能性を示唆している。しかしそれを証明する証拠や記録が残っていないため、ロブスター・ポット起源説は推測の域を出ない。

 ところで、「旗竿」という言葉が最初に登場するのは1875年のR&Aのゴルフ規則である。しかし1857年の『フィフシャー・ジャーナル』には、セントアンドリュースのオールドコースでひとつのグリーンに2本の旗竿が立てられていたことが紹介されており、おそらくそれ以前からオールドコースでは「旗」を使用していたと考えられる。つまり、英国ではホールマーカーとして、旗やウィッカー、あるいはそれ以外のモノがこの当時から混在していた。

 そしてスコットランドに本拠地を構えるThe R&Aが、1891年にホールサイズを4.25インチ、深さ4インチ以上と定めると、米国でもこれに倣って1894年のUSGA設立時から同様のホールサイズを採用している。さらに竿を固定するための金属カップが導入されると、旗の付いたピンは徐々に増え始めた。

 ウィッカーは、第一次世界大戦(1914年~ 1918年)後の1920代頃までは英米と日本のコースでも使用されていたが、次第に旗が主流となった。

(図4)提供 Society of Golf Historians
 https://x.com/SHistorians/status/1615939625733718016?s=20
1880年代のジョン・スマートの作品には、ウィッカーらしきホールマーカーが描かれている。
(図5)Hisashi Kunie 氏所有 R&Aが1891年に発行した『RULES OF GOLF』
「ホールの直径は4と1/4(4.25)インチ、深さは4インチ以上とする」と記されている。
(注意)実際の資料には赤いラインは入っていません。
(図6)提供 Prestwick Golf Club
『First International Match Scotland v. England, Prestwick Golf Club, 1903 』
https://www.prestwickgc.co.uk/
この作品は『First International Match Scotland v. England, Prestwick Golf Club, 1903 』と題されたマイケル・ブラウンの絵画で、右端のキャディの少年がウィッカーを手にしている様子がわかる。
(図7)写真撮影 Yuji Nakamura
プレストウィックGCの練習パッティンググリーン(2023年撮影)

 英国のプレストウィックGC(1851年開場)では、途中で途絶えたウィッカーが2022年10月に2週間限定で復活した。同倶楽部は1860年に第1回全英オープンを開催し、1872年までの12回(1871年は中止)は単独で大会を主催していた。(1873年からはセントアンドリュース、マッセルバラと3コースで持ち回り)プレストウィックは単独開催最後の1872年から数えて150年後の2022年10月、トム・モリスのオリジナルの12ホールのレイアウトと共にウィッカーも復元した。期間中は全英オープンを開催した全ての倶楽部のキャプテンが招待されイベントを楽しんだが、終了するとコース上のウィッカーは旗に戻された。但し、練習パッティンググリーンでは今でもウィッカーを見ることができる。((図7)写真参照)

・The R&A (The Royal and Ancient Golf Club)
https://www.randa.org/
・USGA (United States Golf Association)
https://www.usga.org/

⑵米国

 アメリカで最初にウィッカーを使用したのは、メリオンGCイースト・コースだといわれている。イースト・コースはヒュー・ウィルソンの設計で1912年に開場したが、開場当時ウィッカーは使用されていなかった。メリオンの公式webサイト⁹によれば、1915年の夏、ウィリアム・フリン(グリーン・キーパー)がバスケットのデザインについての特許を申請し、同年秋からウィッカーの使用を始めているが、正確な日付はわかっていない。(フリンは1915年8月7日に特許を申請し、1916年2月29日に許可されている)
 ところが、1915年7月2日の夕刊(フィラデルフィアの『Evening Public Ledger』)に、メリオンがウィッカーを使用した記事が掲載されており、秋以前から競技会等では使用されていたと考えられる。

「メリオンの新しいホールマーカーは、(中略)向かい風が吹くと見えなくなってしまう通常の旗の代わりに、黒と白のストライプが交互に入った木製のピンが使われ、大きな洋ナシ型のトップが付けられている。アウトは赤、インは黄色で、1マイル先まで見える。」

July 2, 1915 edition of Philadelphia’s Evening Public Ledger

 メリオンといえば赤色のウィッカーが有名だが、1915年頃はアウト(1〜9番ホール)は赤色で、イン(10〜18番ホール)は黄色だった。現在、インのウィッカーはオレンジ色に変更されている。またメリオンのウィッカーの素材について、摂津(1985)は「名は柳かごでも、実はアメリカには柳材が少ないため、香港やマニラから輸入したラタン(籐づる)で編んだもの…」¹⁰と記している。

 なお、メリオンGCは最初のコースであるハヴァフォード・コース(1912年9月12日に閉鎖)が開場した1896年に設立され、1912年にイースト・コース、1914年にウィスト・コースが開場しているが、ウィッカーを使用しているのはイースト・コースのみである。

(図8)提供 Yuji Nakamura
メリオンGC イーストコースのウィッカー・バスケット
(図9)提供 Yuji Nakamura
アウトコースは赤色のウィッカー
(図10)提供 Yuji Nakamura
インコースのオレンジ色のウィッカーを持つ中村氏


⑶日本

 川奈ホテルゴルフコースでは、大島(1928年開場)、富士(1936年開場)の両コースで1937年頃までウィッカーが使用されていた。設計者の大谷光明(1885-1961)が英国のウィッカーを真似て竹で作らせたものである。当時使用されていたウィッカーは、川奈ホテルとJGAゴルフミュージアム(1983年5月21日開館)に実物資料として展示されている。摂津(1985)はウィッカーについて次のように書き残している。

「私がはじめてウィッカー・バスケット(柳かご)を見たのは、1923年に1年ほどイギリスにいたころ、ロンドン近郊のパブリック・コースであったが、赤く塗った提灯みたいな飄逸な姿が物珍しかったので、わけを聞くと、先輩の友人が、ウィッカーというイギリス名物の柳細工で、恰好が婦人のハット・ピンに似ているので、みんながピンと呼んでいると教えてくれた。
 その後、シェリンガムのパブリック・コースをはじめ、いくつかのコースで見るたびにすっかり魅了されて、土産に柳かごを1つ持ち帰ろうと思ったが、ついに果たせなかった。ところが帰昭和3年に建設されたばかりの伊豆川奈の大島コースへ行ったところ、意外にもウィッカー・バスケットがグリーンに立っているのを見てひどく懐かしく思い、こんな心憎いことをしたのはきっと、イギリスでゴルフを習った設計者の大谷光明さんに違いないと思った。その後、この柳かごの上に紅白の旗が付いているのを見て、ひどくがっかりし、なぜあんな余計なことをするのかと聞くと、ある野暮な役員のいいつけだったことがわかったが、これこそ屋上屋を架すというのだろう。」¹¹

摂津茂和『偉大なるゴルフ』ベースボール・マガジン社,1985年,pp.99-100。

 大谷は、1907年(明治40)から英国のケンブリッジ大学に3年間の留学経験がある¹²。また、大谷の主導で1924年に日本ゴルフ協会(以下、JGA)が創立されると、翌1925年に英国を再訪し、R&Aおよび各地のコースを視察している。

 2023年12月20日、大島コースは開場95周年イベントとして、ウィッカーを復活させた。しかし、そのピンには摂津が「がっかり」したときと同様に旗も付けれていた。((図14)参照)

(図11)筆者撮影 川奈ホテルにて
おそらく、摂津が見たと思われる紅白の旗がついたウィッカー
(図12)筆者撮影 川奈ホテルにて
展示されているウィッカーの拡大写真~竹ひごを編んで色を付けたもの
(図13)提供 川奈ホテルにて 写真資料「昭和11年頃プレー風景」
(図14)筆者撮影 川奈・大島コース(2023.12.25)
復活したウィッカーは、通常の旗竿の旗の下にウィッカーを突き刺すように取り付けられている
(図14)筆者撮影 川奈・大島コースにて ウィッカーの拡大写真(2023.12.25)
籐で編んだウィッカー・バスケット

5.国内のウィッカー使用状況

 現在、国内の5つのゴルフコースでウィッカーを見ることができる。以下、2023年現在のウィッカー使用のゴルフ場、使用状況、使用場所、素材を表でまとめた。

6.考察と補足

考察➀ 柳か籐か、はたまた竹か

 まず、英和辞典を使ってウィッカーの意味を確認したのは、英国でウィッカーがどういう存在であるのか、どういう素材で作られているのかを再確認するためである。ゴルフ雑誌等でウィッカーの材料を「籐」と紹介する記事が多く見受けられるが、本来英国で作られるウィッカーは柳を材料としている。摂津茂和がウィッカー・バスケットを「柳かご」と和訳しているが、これほどシンプルで的確な表現はない。

考察②世界のカゴ(編み細工)について

 また世界のカゴについて調べると、編み細工の材料は地域や気候で異なることがわかる。例えば、樹木が少ないアフリカは草を束ねて編み、アメリカ北部や北欧は木の皮や幹が材料となる。ヨーロッパではほとんどが柳を使って編み、アジアなど亜熱帯地域では竹や籐が主流となる。さらに主に編み細工で使われる柳は、コリヤナギ(中国、韓国、日本などで使われる)及び、セイヨウキヌヤナギ(英国をはじめヨーロッパで使われる)という種類で、日本人に馴染み深い枝垂れ柳は、伝統的な編み細工の素材ではない。

以下、主な柳の和名と学名を記しておく。
・セイヨウキヌヤナギ:Salix viminalis
・コリヤナギ:Salix koriyanagi
・シダレヤナギ:Salix babylonica

考察③地域の特色を活かした材料で編む

 メリオンは「籐」、川奈では最初は「竹」を使ってウィッカー・バスケットが作られていた。つまり当時は、それぞれの地域で入手可能なカゴ編みの材料で代用されたと考えるのが妥当であろう。現在、日本国内にはウィッカー使用コースが5つあり、これらのウィッカーは全て籐で作られている。昔も今も、ゴルフ場の希望通りのウィッカーを製作できる編み細工職人は限られており、なおかつ、職人が見つかっても素材を何にするかは職人任せのところもある。米国や日本のウィッカーは、英国のウィッカーを真似て別の素材で作られた。そのことについて、筆者は反論を唱えるつもりはない。ゴルフと同様、ウィッカーも英国から伝播し、その地域に密着した素材を用いて、新たな伝統を築いていければいいのだ。
 しかし、もしも柳という素材にこだわってウィッカーを作るのであれば、日本の伝統工芸である豊岡杞柳細工(とよおかきりゅうざいく)¹³で製作することを提案したい。そうすれば、名実ともに「ウィッカー・バスケット(柳かご)」が完成する。

考察④ハット・ピンについて

 ハット・ピンが「ピン」の語源であるということは、さまざまな文献に記されている。しかし筆者は実物を見たことがなく、使用方法もわからなかったため、ハット・ピンの歴史を調べ直した。すると、ピンの挿し方が非常によくわかるイラストを見つけたので本稿に掲載した。((図1)参照)
 ハット・ピンの歴史は英国の服飾史と重ねるとよくわかる。1800年代から1900年代初頭(第一次世界大戦より前)まで、結い上げた髪に帽子を固定させるために長いピンを使用した。高価なものは宝石や羽飾りで作られ、中にはゴルフクラブをデザインしたピンも作られた。しかし、第一次世界大戦が始まると女性の服装は軽装化し、スカートの丈が短くなりズボンを着用するようになる。髪も短く切り、ハット・ピンの需要は激減した。

考察⑤英国、米国のウィッカーの起源について

 英国におけるゴルフの歴史は、文書や記録による日付など証拠となるものを重視しており、そういう意味では、誰がいつホールマーカーとしてウィッカーを使い始めたのか、その起源を辿ることはほぼ困難である。
 次に米国のメリオンについてであるが、メリオンが膨大なアーカイブを調査したところ設計者のヒュー・ウィルソンは、イースト・コースが1912年に開場するより前に海外に渡航した記録ないと発表している。それまで多くの歴史研究家たちは、ウィルソンの英国へのゴルフコース視察は1912年以前だと考えていた。よって、メリオンでは1912の開場当時からウィッカーが使用されていたと推測されてきたが、実際にウィッカーの使用が確認されているのは本文にもある通り1915年からであり、イースト・コースで開場時からウィッカーが使用されていたと記述する資料は間違いである。

考察⑥ゴルフの歴史には俗説があるある!?

 最後に、ウィッカー・バスケットに関する面白い話として、羊飼いがバスケットの中に弁当(食べ物)を隠していた、というものがある。これについては、まずゴルフは羊飼いが始めた遊びという説が、根拠のない俗説であるので、同様にこの話も信ぴょう性に欠けるものである。
 市村(2001)は、「スコットランド国立図書館のスポーツ古文書部が出しているゴルフの資料集でも、羊飼いがゴルフを始めたという『推測』について、それを支持する明らかな証拠は何もないとたった三行で片付けられている。」¹⁴と述べ、そもそもスコットランドの放牧の主体は牛であり、羊に変わったのは18世紀末からであるとも述べている。


7.参考文献・参考URL


1)編者・小学館ランダムハウス、英和大辞典第二版編集委員会『小学館ランダムハウス英和大辞典』小学館,1973年
2)編者・木原研三『大きな活字のコンサイス英和辞典第13版』三省堂,2022年
3)DEBORAH NEEDLEMAN, TRANSLATED BY G. KAZUO PEÑA「不朽の工芸品『カゴ』はなぜ人々を魅了し続けるのか?」(2018年3月19日)https://www.tjapan.jp/design_and_interiors/17196101#content-paging-anchor-17196101

4)摂津茂和『偉大なるゴルフ』ベースボール・マガジン社,1985年,p.99。
5)JGA『2023ゴルフ規則のオフィシャルガイド』2023年3月10日更新
http://www.jga.or.jp/jga/html/rules/image/OfficialGuide_forWeb_20230309.pdf
6)JGA『用具規則The R&A / USGA編集 2020年1月1日発効 初版(version 1.1)日本語版 version 2.1』p.74。
http://www.jga.or.jp/jga/html/rules/image/2020EquipmentRules_Japanese-ver.2.1.pdf
7)西塚庫男「ハット・ピン」編纂 服装文化協会『増補版 服装大百科事典 上巻』1969年,p.98。
8)マルコム・キャンベル『ザ エンサイクロペディア オブ ゴルフ』新星出版社,1994年
9)Merion Golf Club https://www.meriongolfclub.com/
10)摂津茂和『偉大なるゴルフ』ベースボール・マガジン社,1985年, p.101。
11)同前,pp.99-100。
12)程ヶ谷カントリー倶楽部『程ヶ谷百年』2023年,p.61。
13)玄武洞ミュージアム 豊岡杞柳細工 | 玄武洞ミュージアム (genbudo-museum.jp)
14)市村操一『ゴルフを知らない日本人』PHP新書,2001,p.28。

(図1)The Pragmatic Costumer「Call the Fashion Police! I'm Wearing an Illegal Hatpin!」
Call the Fashion Police! I’m Wearing an Illegal Hatpin! – The Pragmatic Costumer (wordpress.com)
(図2) Museum of Cornish Lifehttps://museumofcornishlife.co.uk/objects/hatpins/
(図3)R&Aワールドゴルフミュージアム「セントアンドリュース・レディース・ゴルフ・クラブ(1886年)」
https://www.worldgolfmuseum.com/the-museum
(図4)Society of Golf Historians
 https://x.com/SHistorians/status/1615939625733718016?s=20
(図5)Hisashi Kunie 氏所有 R&Aが1891年に発行した『RULES OF GOLF』
(図6)Prestwick Golf Club
『First International Match Scotland v. England, Prestwick Golf Club, 1903 』
https://www.prestwickgc.co.uk/
(図7)Yuji Nakamura「プレストウィックGCの練習パッティンググリーン」(2023年)
(図8)Yuji Nakamura氏提供「メリオンGC イーストコースのウィッカー・バスケット」
(図9)Yuji Nakamura氏提供「アウトコースは赤色のウィッカー」
(図10)Yuji Nakamura氏提供「インコースのオレンジ色のウィッカー」
(図11)筆者撮影 川奈ホテルにて「紅白の旗がついたウィッカー」(2023.12.25撮影)
(図12)筆者撮影 川奈ホテルにて「展示されているウィッカーの拡大写真~割いた竹を編んで色を付けたもの」(2023.12.25撮影)
(図13)川奈ホテル 写真資料「昭和11年頃プレー風景」
(図14)筆者撮影 川奈ホテル大島コース(2023.12.25撮影)

編む植物図鑑①『ヤナギ:Salix』 高宮紀子 - ART&CRAFT forum (goo.ne.jp)
・佐々木麗子『名画のかごを編む』誠文堂新光社,2022年
・佐々木麗子『かご編みの技法大全』誠文堂新光社,2013年
・自然素材工作編集部『竹細工』誠文堂新光社,2007年
・田中実『技術の歴史』岩波書店,1956年


・The R&A (The Royal and Ancient Golf Club)
The R&A (randa.org)
・USGA (United States Golf Association)
https://www.usga.org/

Prestwick recreates original Open course, which includes Old Tom's so-called 'killing zone' (scotsman.com)
Golf Business News - Prestwick celebrates 150th Open by reviving original 12-hole layout

U.S. Open — No Flags at Merion, But Wicker Baskets Instead - The New York Times (nytimes.com)
Origins of the wicker - Articles - DP World Tour (europeantour.com)
2013 US Open: What's with the wicker basket "flagsticks"? - Aussie Golfer

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