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男もすなる日記といふものを、

女もしてみむとてするなり。

かの有名な、紀貫之『土佐日記』の冒頭部分。

そう。今日、6月12日は、日記の日。

“1942年6月12日にポーランド系ユダヤ人のアンネ・フランクによって『アンネの日記』が書き始められたことにちなむ。”
(Wikipediaより)(2015年6月12日閲覧。)

日記というか、何かしら小学生の頃から言葉をノートに書き綴っていたように思う。
でも、日記として、ちゃんと一冊のノートに記録として残したのは、中学生の頃からかな。
もう10冊以上にもなる。最近はあんまり書いていないけれど。

そもそも、日記を書き始めたのは、『アンネの日記』を読んだのがきっかけ。
戦時中に迫害されたユダヤ人の日記ってことで結構有名なんだろうと思う。けれど、それよりも私は、アンネが「親愛なるキティ」と日記に話しかけるように書いているのが印象に残っている。何だかかわいくて、自分だけの秘密を持ったような。そんなときめきを感じたのだ。きっと、小学生の頃に流行った鍵付きの日記と似たような感覚。自分だけしか知らない、というものに憧れを持っていたあの頃。鍵付きの日記を買うのは高いけど、普通のノートに、こっそりと語りかけるように書くのは、すぐにできる。そんなこんなで始めたのだった。

時は流れ、今では日記に語りかけるように文章を書くことはしていない。その日の出来事を淡々と書いたり、自分の思ったことを感情の赴くままに書きなぐったりしている。そして、最近ではネットで日記を書いたりSNSで感情をまき散らしている。紙の日記とはご無沙汰している。何たることだろう。

noteで文章を書いたりTwitterで呟くのは、楽しい。スマホから簡単にアップできるし、反応があると嬉しくなる。でも、逆に反応を貰うために文章をねじ曲げて書いたり、その結果反応が無くて更に落ち込んだり、と本末転倒。何の為に文章を書いているんだろうね。まあ、SNSも上手く使えたら楽しいということかな。
でも、一人で向き合う時間も必要。じっくりと向き合って、その日を振り返ったり、自分が何を考えているのかを冷静に振り返ってみる。そして、文章にまとめてみる。人に見られる文章と違って、正直に書けるから楽だなぁ。
……と言いながらこのnoteは半分個人的な日記でもあるんだけどね。

とにかく、日記を書いてみよう。
そしたら、何か新しいことが見つけられるかもしれないから。


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