見出し画像

アシンメトリーな日記:25日目

みらいへのひかり


眼帯が外せれることになった。

少しずつ良い方向に向いているのか?

少しずつ心のストレスが晴れてきていた。

退院してからも月に一度の定期健診には通っていた。

ある日、主治医の先生が僕と両親にこんな話をしてくれた。

「私はいままで色々な患者を診てきました。

彼が病院へ運ばれてきたとき、

頭から出血もなく意識もなくて、正直、手の施しようがなかった。

だから、植物状態になる可能性をお伝えしたし、

意識が戻ったとしても植物状態になる可能性も大いに残っていた。

しかし、しばらくしたら彼の意識が戻り 

練習で歩けるようになるまで回復した。

これをなんとか呼ぶか、奇跡としか言いようがない。」

そう伝えてくれた。

自分の医者としての立場と、

世間の認知とその作用を十分に理解した上での発言だったのではないか。

医者とは時に人を癒し、時に前を向かせて背中を押すものなんだな。

それは多分、入院中の両親の僕への看病の労いと、

僕に希望を与えてくれた。

奇跡という意味は分かるけど、

まさか自分の身に降り注ぐとは半ば信じれなかった。

嬉しかった。 

将来へ希望が持てた。

僕はうれしくなって、

言葉が独り歩きしているように、周りのみんなに話して回っていた。

そうこうしているうちに、

中学卒業後の進路指導で三者面談が行われた。

担任の教師は、僕の事故の影響し考慮していける範囲での

高校を2つ選んでくれていた。

男子校か男女共学。僕は迷わず男女共学を選んだ。

行きたい高校がなかったわけじゃないけど、

生きるので精一杯だった僕は勉強を放棄していた。

そして中学の卒業式を迎えた。

振り返ってみると、

約一年前に事故にあってから、とんだ目にあった。

なんで俺なんだよ?

と、すねる自分を感じていた。

今回はここまで、

それではまた、あす!