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正しさ

マッチングアプリを真剣にやっていたころは、お金を払っていたので、なんとかして、元を取ろうとしていた節がある。まだ好きでもない相手にお金と時間と感情を全力で使って、なんとも思っていないのに、こちらもなんとなくそんな振りをして、でもそれがその時には正しいのだろうと思っていた。

別に相手がいないことは恥ずかしいことでもないし、必要ともしていない。元嫁は昔、僕と出会って生きる意味が見つかってよかったと言っていた。当時の僕はそんなことを考えたこともなかったが、結婚して別れて、それで満足してしまった今では、その気持ちが少し分かるような気がする。僕は大体いつもそうで、精神的な成長が遅く感じる。何か起こってから反省する癖が抜けない。実際のところ、反省しているのかも分からない。心の底では、自分自身がいつでも正しいんだと思っている。

買い迷っていたギターを買い、昨日から練習している。めっちゃ指が痛い。こんなに痛くなるのもかと思いながらも、上手く弾けたら、どれだけ楽しいのだろうと、ワクワクしている。早くカネコアヤノになりたい。

感情を吐き出すのが苦手で、文章にするだけでも、正しい言葉を選ぼうとしている。正しさの基準なんて、人それぞれなのに、なんて無駄なことに時間を使ってしまっているのだろうか。頭に思いついたことをそのまま文章に出来ればもっと面白いんじゃないかと、思いながらも、実際に出てくるのは、駄文散文だ。思ったことをそのまま言えれば楽なのだろうけど、考えて出した言葉でさえ、つまらないので、絶望している。最近絶望してばかりだ。そろそろ、誰にも、もたれかからない自分の人生を歩んでいかなくては。

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