見出し画像

エンジンのかからない朝に ~『おんなのことば』

きのう、朝に淹れたコーヒーを冷蔵庫で冷やしていた。夫が飲んだだろうと思っていたら、「飲んでないよ」と言う。冷蔵庫でコーヒーは私の帰りを待っていた。キンキンに冷えたコーヒーを夜の8時に一気に飲んだ。寝つきが悪くなると分かっていながら。そんな風にあえてする時がある。疲れた時になぜかそうする。

夜中、散らかったリビングを片付ける。テーブルの上をまっさらにする。ひとつひとつ元に戻して、心がすうっとしていく。

そして、あれはまずかったな、と大いに反省する。笑えない。子どもたちにかわいそうなことをしてしまった、と思い出す。やりきれなくて、気持ちのやり場がなくて苦しくなる。うっかりばばあ。

そんな風にした次の日の朝は、エンジンがやっぱりかかりにくい。ソファにどかっと座り、茨木のりこさんの『おんなのことば』(童話屋)を開く。「自分の感受性くらい」から始まり「汲む」で終わる詩集を。

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

「自分の感受性くらい」より 茨木のりこ

私の志よ。と問いかける。

お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ

「みずうみ」より 茨木のりこ

私の湖を思う。大荒れだ。



初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても



大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと.……
.…

「汲む」より 茨木のりこ

「汲む」の詩を、友だちが私にぴったりだと、ある日教えてくれた。そんな風にして見ててくれたのね、とちょっとおかしくて(そんな風な自分だ)。「汲む」を読みながら、ちょっと泣いた。それでこの本はいつもそばにいてもらわないと、と思って買った。

茨木のりこさんの言葉を、感じる。

そうやってエンジンをかけていく朝。

次に生かそう。
日々に生かそう。
今に、生かそう、と。