手紙(Sさんへ)

「炒り卵に見える」
Sさん、ずいぶん前にこう書いていたでしょう。それからもうさ、モッコウバラを見るたび、たまごにしか見えなくなっちゃって。見たらもう、いいたまごの香りまでしてくるくらいになっちゃった。今、信号待ちのその先に、モッコウバラが咲いているよね。きっとSさんも見るたび「炒り卵」って思ってるのかなあ。なんて思ってるこの頃です。

一昨日、旦那さんが挨拶してくれて。ちょうど娘と自転車で出かけるところだったんだ。まだ娘が不登校(になりそうだ)という状況に、私まだ覚悟が決まらないというか揺れ動くのだけど。挨拶された時は、ちょうど揺れに揺れていて。『あー、見られちゃった』と思って、「こんにちは」と返しながら、ちょっと目をそらしちゃったんだ。でもね、娘と自転車こぎながら、旦那さんのいつもの笑顔といつもの「こんにちは!」に私は力をもらった、というのが分かった。たったひとことなのにね。そのひとことに込められているものがあるんだよなあ。旦那さんの職業柄というのも、もちろんあると思うのだけど。すごいなあ、って再び思った。いやもう、何回も思ってる。旦那さんが日々接しているお子さんたちは、きっとそれを日々、受け取っているのだろうな、って。

私たちこうなってから、自転車であの池まで行くのを日課にしようと思っていてね。池までの道に老人ホームがあるでしょ。入居されている方が、いつも窓辺で外を見ていらっしゃって。ただただ外をながめているから、私いつも手をふりたくて。娘に「あそこにいるひとたちに手をふりたいんだよね」って話したら「えー、やめてよ。やめて」ってずっと言われてて。まあ、知らないひとから手をふられてもびっくりするか、とも思ったのだけど。ただ遠くを見ているあのおじいさんやおばあさんを見ると、やっぱり手をふってみたい、って思ってしまって。「お母さん、手をふりたいんだよねえ」って娘にまた言って。「じゃあ、誰かいたら手をふってみよう」ってことに今日なって。いよいよだとドキドキしながら見上げたら、お昼の時間だったからか、誰もいなかった。残念でした。でも、また明日挑戦するつもり。私なりの、こんにちは!を届けてみたいなって。というわけで、この日々を楽しむ覚悟はできつつあるよ。

Sさん、ありがとうね!