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高いハードルを最初に跳ぶ〜準備編3最終〜

大沢結希です。

としまえんのロッカーの話はこちら。

さて、英語なんて本当にもう嫌だ、、と思っていた私に、
『やっぱり、私英語を始める!』と
決断させる出来事を今日は最後お話して終わりにする。

ある日のこと。私は品川のクライアントのところに向かっていた。

すると、目の前に外国人のお母さんと赤ちゃん。
お母さんは、でっかいキャリーケース1つと、ベビーカーを引き、さらには抱っこ紐の中に赤ちゃんを抱えていた。

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そして、赤ちゃんというのは、わけもなく突然泣き出すものだ。

私も3人息子を育てたから、一応わかる。

さらには、ベビーカーを持ったお母さんに対して、乗客というのは意外と冷たい。泣いた赤ちゃんに対しても、もっと冷たい(と勝手に感じていたのかも。)。

赤ちゃんが、泣き出すと、
『ごめんなさい、静かにさせます』。と思い

ベビーカーを抱えていると、
『すみません、邪魔で。』と私は思っていた。

だから、目の前にいる外国人のお母さんが、当時の私と重なった。

でっかいキャリーケースまで持って。しかも異国の地で。

もしかしたら、そのお母さんは、なんにも感じていないかもしれないし、日本に10年以上住んでいるベテランさんかもしれない。

でも、私は、子育てを経験した一人として、手を貸したかった。でも・・・

「手伝えることある?」「荷物もとうか?」

その一言が、出てこない。

May I help you?

は、いらっしゃいませ?だっけ・・?
言えたとして、そのあとなに話す?

そんなことを考えていたら、品川についてしまった。

山手線の中で、泣き続けている赤ちゃんと、そのお母さんを置き去りにするような気持ちで、私は品川で降りた。

階段をのぼりながら泣いた

あのお母さんは、あのあとどこまで行くんだろう?
ついた駅で、エレベーターを探すの、大変じゃないかな?
赤ちゃん抱っこしたまま、危なくないかな?
助けを求められるかな?

すべては、私の妄想かもしれない。

でも、悔しくて悔しくて。

その後、品川の駅、ホテルを歩いている時、
なんだよ、外国人ばっかじゃないか!とも思えた。

そして、当たり前のように英語を話している。

英語を話せないのは、まるで、世の中に私ひとりなんじゃないか?と思えるほど、落ち込んだ。

大変な思いをしている外国人すら、救えない自分が嫌で、
ジェスチャーで声かける勇気もない自分が嫌で、

『私、英語話せるようになろう』

そう泣きながら強く思った。

ここが私の2019年の夏の原点。


だが、、、、

すんなりは始められなかった。

目の前に立ちはだかる大きな壁・・・

時間がない・・・・・
仕事が忙しい・・・

つづく





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