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父への愛憎

私は希死念慮を持った子供だった。
私の希死念慮はどこから生まれたのか、なぜ私はここまで「生きていける」という実感が湧かないのか。理由が分かった。父だった。

私の父は、とても努力家だ。何冊も本を読んで毎日日記をつけて緻密なスケジュールを計画して、それをこなすのが好きな人だ。
読む本の内容は全て自己啓発。「自分を嫌うな」「成功する人の10の秘訣」「ありのままの自分を認める」
父の日記を何度かこっそり盗み見た。
「ある男から人間性を否定するようなことを言われてとても傷ついた。」「家族とカードゲームで遊べた。幸せ。」
そんなことばかりが書かれていた。
「幸せ。」
これは、誰が書いたものなのかと疑った。

父は最近一人でテレビを見るようになった。
リビングには家族が何人かいるが、誰も一緒にテレビを見なかった。
ただ丸く座りながら一人でテレビを見る父の背中は、ひどく弱いものに見えた。

父は、とても哀れな人だ。
少年の頃から、誰も手につけられず両親から放置され非行を繰り返していたらしい。一体いつからお酒と煙草を始めたのか見当もつかない。

父がとても傷つきやすい人だと知っている。
自分の意見、行動、見た目、自分の1〜10全て、否定すると逆上した。そして一度プライドを傷つけられると手がつけられなかった。家族に手をあげるような暴力はしなかったが、私は何度も手をあげられた記憶がある。言葉の暴力が酷かった。
何才の頃か、「お前は社会で生きていけない」「お前は皆から嫌われている」そんなことを何度も言われた。

父は理想主義者だ。
将来のビジョンも1日の予定も他人の自分に対する対応も、すべて自分が計画したものの通りにならないと気が済まない人だ。
父は本当に旅行が好きで私達は何度も旅行に連れて行ってもらった。
父は長期休みの前になると一人で旅行の計画を立てた。4泊だとか5泊くらいが多かった。
旅行の計画は時間がミッチリ詰め込まれているので朝は5時、6時から出発していた。
父一人で決めた計画に、私達は何とか日程を合わせた。旅行が始まっても私達の行きたい場所に連れて行ってはくれなかった。
受験のときも母が風を引いていても学校があっても、旅行に連れて行ってくれた。
父は理想主義者だからきっと、休みの日皆で仲良く旅行に行く、といのが家族の理想のかたちなんだろう。

父は、とても私に似ている。
父は私そのものだと思う。
血がつながっているから?声も顔も、仕草も、性格も全て似ている。いや、同じだ。
 
父は、皆から嫌われている。
家族、会社の人、ありとあらゆる場所で出会う人達。特に飲食店の店員さん。
父はクレーマーだ。
父の母親も。

父が、本当にこの世界に必要な人間なのかということを何度も考えた。父はこの世界に何も良いものを生み出さないじゃないか、と。
父親が最底辺の人間であれば、その父と似ている私も最底辺の人間で。私は、絶対に子供を産まないと誓った。負のループは繰り返したくないからだ。
そして、私は父の短所を全て克服しなければ、完璧にはなれない。そんな思い。

何度も願ったり空想したり。
もし、父親が違う人だったら。こんな人だったら。でも、もし違ったら私は、決して生まれなかった。
私は自分を愛している。
好きになれなくても愛だけは止められない。
私の自分に対する愛着は。
私は死にたくないし幸せになりたい。

父は?
父のことは?
私が自分を愛しているのなら、自分の半分である父親は?

断ち切れたら良い。
父親だから何?って。
私の何でもないって。

父は、とても哀れな人だ。
父は本当は、家族皆でテレビが見たいのだと思う。
父は本当は、旅行中、皆が心から楽しんでくれていると思っている。
父は皆、自分の事を愛してくれているのだと思っている。
でも、父は決して分からない。
人には人の事情があることを。
他人は自分の理想の世界の人形ではないことを。
他人に自分と同じ感情があることを。
父が求めているものは何冊本を読んだって手に入らないことを。
もしかしたら、薄々気づいているのかもしれない。

私は父が死んだ時、泣くだろうか。
やっと自由になれたと喜ぶだろうと思っていた。
心の底から父親を亡くした悲しみに暮れるだろうか。
でも、もし父が死んだら。そのとき私は自分から父に似ている片鱗を見つけ出しては自分のコンプレックスを増やして生きるような、そんな生き方を辞められるかもしれない。私はやっと父から解放されて、私として生きられるかもしれない。私は最底辺の人間を辞められて愛されるべき人間になれるかもしれない。
だけど私の中の父へのコンプレックスは、もはや私を作っていた。

父の孤独な背中は、私だった。

父の脆い感情が並ぶ本棚は、私だった。


私は父を亡くしたとき、何を思うだろうか。
愛する父を亡くした娘は、何に暮れるだろう。

だけど、この世界はフィクションじゃない。
それならば私は父を利用して消費して生きてやる。
いつか私は彼を忘れ、美化された記憶の中の彼の「父親」だけが私に残る。
父が死んだら、きっとそうなる。


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