「note3年目の今とスタート起点に贈る」を書いてみて
先日、note3周年記念のエッセイを書いたところ、予想外に反響が大きかったので、また読み返してみた。
当時のあの「ふーん」を書いた時のことを少し思い出したので、ちょっとスピな表現になるが、素直に書いてみることにした。
何に対して「ふーん」と書いたのか。
それは、声にはならない内側のエネルギーが伝えてくるもの。
そういうものに対しての「ふーん」だったのだと思う。
自分にはハッキリと聞こえてくる声やイメージとは真逆の、そうではないものがある。
それは脳内のおしゃべりとは別の、自分由来のエネルギーの動きのことだ。
たとえるなら「こうするべき」という一種強い感情があるなら、それとは別次元の「ひとまず、こうあればいい」というような思いのことだ。
もっと細かく言うと、「これはすごいことに気づいた!すぐに書いて伝えたたい!」というものの反対側から、ひそやかに伝わってくる「いそがなくていい。2、3日時間をかけててみたらどうか」という穏やかなエネルギーのことともいえる。
ここで急にパンの話しになるが、おいしいパンも低温で長時間発酵させるほうが旨味も酵母の育ち方もいいし、確かに味わいが深くなる。何か最初はカタチにならないものをクリエイトする場合は、それと近い。
さっきから、何とか表現しようとしているこの「見えないエネルギー」は、常に自分の機嫌のよしあしにも関わってくる。
わたしはいつしか、そう思うようになった。
最近はとくに、この見えないエネルギーを整えることが、心地よさにつながる大事なことなのではないかと思いはじめている。
たとえば、何度も蘇ってくる記憶とアイデア。
それとは全く違う静寂の中で動くもの。
私たちはあふれる記憶や、さっきまで読んだ情報にいつもふれている。
そして、その状態に無頓着で生きている。
それゆえ、時に自分の本音と離れてしまったりするのではないだろうか。
そして何より大事にしたいのは
今、ここに自分がいるという感覚だ。
記憶は忘却のかなたに溶かして、消してしまっていいものが沢山ある。
もしも、その中に浸っている自分に気づいたら
今すぐに、思考の洪水から引き出してあげるのだ。
ただ そんな自分に「ありがとう」伝えて
愛するだけ。「ごめんなさい」でもいい。
私たちは、裸で生まれてきた。
生まれてこれまで、感じて行動してきたのだ。
考えるよりも。
本当は、生きていることそのものに価値がある。
あなたが生きている今日は、誰かの宝なのだ。
結局「ふーん」から
こんな長い話に、なったけれど。
自分の脳内のおしゃべりが本音だと思って生きてしまわないように
内側からちゃんと導いてくれる深いところとつながって
行くために、今朝は凪いだ海を眺めながら書いた。
こうしてつながっているあなたと共に。
結局、分離している感覚とは、誰かとではなく、自分自身となのだろう。
そんな時は緑のあふれる場所を散歩したり、海をながめたり、ベランダで風に吹かれたりして呼吸を整えたりできる。瞑想しながら寝るのもいい。
自分の中の穏やかさや静けさは、ちゃんとつながっているからなのだ。
そして青い空のもっと上空には、思考なんて存在していないのだ。きっと。
#エッセイ #感謝の手紙#ふーん#つながっている
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