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死海文書を読む

死海文書といえば、1940年代に死海に近いユダの荒野の洞窟で発見された紀元前2世紀頃から紀元1世紀頃までに書かれた大量の聖書の写本などの巻物群である。羊飼いが迷い込んだ羊を追って入った洞窟で、壺の中に巻物が入っているのを発見したのがきっかけだった。発見当時から国家創設期の内戦状態だったイスラエルを舞台に、古物商や考古学者、そして宗教者が入り混じって、一筋縄ではいかないゴタゴタの中、それでも洞窟などの発掘調査が進み、巻物群はイスラエルの研究所に納められ、翻訳や研究が進められた。
この巻物群の所有者は、当時本人たちは自分たちを何と呼んでいたかはわからないが、現在のユダの荒野の地名からクムラン教団と名づけられた。1世紀の歴史著述家ヨセフスによると、ユダヤ教にはファリサイ派、サドカイ派、 エッセネ派という3つの派閥があったらしい。ファリサイ派とサドカイ派は新約聖書にも登場する。このうち、エッセネ派の一部が共同体を形成して、ユダの荒野に住みついたのではないか、この共同体がクムラン教団だといわれている。戦争だったかもしれないし、当時大きな地震もあったのでそのせいかもしれないし、とにかくクムラン共同体は歴史からこつぜんと姿を消す前に、荒野の近くの洞窟の中に、壺に収めて大量の巻物群を隠した。
翻訳の出版などが遅々として進まなかったことから、死海文書にはイエスの時代の不都合な証言が書かれていて、バチカンがそれを隠そうとしているといったゴシップが騒がれたりした。そのゴシップのもとの一翼を担う当時のベストセラー本は日本語訳がある。柏書房から出ているベイジェント・リー共著「死海文書の謎」である。Amazonで見ると今でも手に入るよう。私も持っているが、好奇心を刺激される大変おもしろい本。
今日では研究者の努力により、死海文書本文の出版もすべて行われている。一方で、洞窟発掘時にすでに盗まれて空っぽだった洞窟もあり、そこには重要な文書があった、裏死海文書である、といった都市伝説のような話はなくならない。
日本では山本書店という出版社から「復刻死海文書ーテキストの翻訳と解説」という題で解説付きの翻訳が出版されている。私が持っているのは1996年の8版となっている。若い頃に大きな書店で入手した。6千円以上する高い本だったのでよく覚えている。わくわくしながら読み始めた。詳しい解説と「宗規要覧」「戦いの書」「感謝の詩篇」「ハバクク書註解」「外典創世記」など死海文書の代表作が収められている。
最近、ぷねうま舎という出版社が全12巻の死海文書の翻訳の出版に乗り出した。「今日までに発見・校訂されている、死海文書8百点余りのうち、聖書写本以外の約6百文書から、ある程度意味を成す分量の文書が残っているものすべてを訳出する」とうたっていて、私も楽しみに買いそろえて読んでいる。
現在まで7巻出版されている。残念ながらページが入れ替わる乱丁があったりして、ちょっとがっかりさせられたが、概ね満足して読んでいる。昔の翻訳で「宗規要覧」となっていた文書は「共同体の規則」という題で今回翻訳されている。「宗規要覧」の本文の方が訳文の格調が高いようだ。
読みながら1世紀のユダの荒野のクムラン教団に思いをはせる。荒野を吹き渡る熱風と瞑想する人々の群れ。いつかイスラエルに行って、博物館に展示されている死海文書と対面したいものと思っている。

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