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ヴィクトリアマイル2022 回想録

ーー春の最強競馬決定戦。その日僕は、府中の直線に白き神獣を見た。

 NHKマイルカップの衝撃から一週間、僕は当代最強の牝馬たちが織り成す新しいドラマの目撃者になるべく再び府中のスタンドに立っていた。

 1番人気は、前年の大阪杯覇者にして前走・前々走と2着に入線し、満を持してG1・2勝目を狙うレイパパレ。鞍上はマイル戦で類まれなる成績を残し、先週のNHKマイルカップの勝利騎手に輝いた川田将雅。強力なコンビだからこそ、堂々の1番人気だ。
 2番人気は、数々のG1で好走し、善戦ホースとして知られつつあったファインルージュ。2着・3着はもういらない。鞍上は、2020年覇者 アーモンドアイ・2021年覇者 グランアレグリアら世紀の名牝たちと共に同レースを連覇し、3連覇に王手をかけるクリストフ・ルメール。悲願の戴冠なるか。
 3番人気は、ドバイでの勝利で勢いに乗るソングライン。追切での抜群のパフォーマンスと先日の京王杯でメイケイエールを重賞5勝目に導いた鞍上の池添謙一への期待からこの人気を集めた。昨年のNHKマイルカップでは、惜しくもシュネイルマイスターのハナ差2着に敗れており、1年越しのマイルG1制覇に期待のかかる一頭だ。
 4番人気は、白き桜の女王 ソダシだ。白毛という極めて希少な毛色にして、デビュー当初から注目を集めた彼女は、札幌2歳ステークスを制すやいなや2021年のクラシック候補に名乗りを上げ、暮れの阪神ジュベナイルフィリーズの覇者に輝き、世界初の白毛G1馬として競馬史に名を刻んだ。勢いそのままに桜花賞を制覇。もはやアイドルではなく女王という名にふさわしい名声を手に入れたが、オークス・秋華賞と惨敗し、ダートにも挑戦するも勝利には至らず、長らく勝利から遠ざかっていた。素質は十分ながらも、3歳シーズンから徐々にたメンタル面の難しさも見せ始めており、そのような懸念要素からこの人気に落ち着いたのだろう。
 5番人気は、デアリングタクトだ。史上初となる無敗の牝馬三冠を達成し、コロナ禍に覆われ鬱屈とした世の中に光をもたらした彼女は、数々の名馬を引退に追いやった繋靭帯炎から奇跡的な復活を遂げ、384日ぶりとなる大舞台に舞い戻った。返し馬で彼女に向けられた拍手歓声は、奇跡にも等しい復活とこれからの活躍に向けられたものであり、ヴィクトリアマイルデーの中で特に印象的な光景だった。

 錚々たる名牝、春競馬の最強牝馬決定戦が幕を開けようとしていた。規制が緩和され、数万人の大観衆で賑わう東京競馬場こそ、その舞台に相応しい。パドックは1時間以上前から大勢の観客でごった返しており、スターホースたちを一目見ようと詰め掛けた人々の熱気が伝わってくる。パドックに綺羅星の如き輝きを放つソダシの純白なる様が印象的だったが、レイパパレやソダシ、デアリングタクトらを写真に収めた僕は、全速力でスタンドへ奔る。ゴール板の真正面で少し見下ろせる位置、絶好のポジションを確保。ファンファーレと共に大歓声が上がる。これぞG1といった感じ。僕はその歓声の真っただ中にあって、競馬場がコロナ禍の暗雲から解き放れつつあることを肌で感じていた。それも束の間、ソダシがゲート入りを拒否するそぶりを見せ、場内がどよめく。今浪厩務員がなんとか引き入れようとすると、彼女は渋々とゲートに入る。場内から拍手が巻き起る。僕は、その光景に2015年の天皇賞春を制したゴールドシップの姿を重ねていた。僕に競馬の面白さを教えてくれた永遠にして初恋の名馬だ。ゲート入りを嫌がり、散々観客をどよめかせた挙句、何事もなかったかのように見事な勝利を収めてみせたあの日の彼のように、彼女もまた何事もなかったかのように勝利を収めるのではないか。奇しくも、彼女はゴールドシップと同じく須貝厩舎・今浪厩務員の担当という事実も重なり、おぼろげながらそう思った。しかし、それは間違いではなかったことを1分と数十秒の後に知ることになる。

 第4コーナ、歓声は最高潮に至る。ハナを主張して逃げるローザノワールを後続が捉え始める。大外3番手にレイパパレ、最内はデアリングタクト、馬群の少し内側にソダシ。役者は揃った。もうどんな結果になっても受け入れられる気さえした。いよいよローザノワールの脚色が衰え始める。後続は虎視眈々。さぁ、どうなる。レイパパレ差し切るか、デアリングタクト内から突き抜けるか、それともファインルージュ悲願の戴冠か。その刹那、縦横無尽に駆け巡る僕の思考を、純白の閃光が切り裂いた。ソダシだ。馬群を割って今にも突き抜けんとする桜の女王が、連敗の影を振り払い完全復活を遂げようとしている。スタンドから目に見える位置で最後の攻防が繰り広げられる。レイパパレは伸びてこない。最内で粘るデアリングタクト。突き抜けるソダシ、追いすがるファインルージュ、レシステンシアも負けじと突っ込んでくる。しかし、それらをあざ笑うかのように突き放す純白の馬体が、府中の坂を悠々と越えて征く。1馬身、2馬身と差が開いたところでゴールイン。抜群のスタートを切り、序盤から先頭集団に取り付きつつ2番手から4番手の位置で足を溜め、最後の直線で馬群から突き抜けて圧勝。完璧な競馬で、白き女王の完全復活を告げる完勝だった。
 ウイニングランでソダシを出迎える今浪さん。吉田隼人騎手と3人で、大観衆に迎えられ祝福される様は感動的だ。今浪さんが見せた、腕を天高く掲げるガッツポーズも印象的だった。ゴールドシップを手掛けた須貝調教師と今浪厩務員の活躍を目の前で見ることができただけでなく、新たなる白毛伝説の目撃者になることができた、競馬ファンとして本当に幸せで充実した1日であったと思う。また、純白の馬体を弾ませ府中の坂を駆け上がるソダシは、ギリシャ神話に登場する神獣ペガサスにも似つかわしく、たったの3ハロンで僕に”スターホース”という概念の意味を理解させてしまったのだ。
 
 僕は何者でもない、何者かに成る能力もない、そして意思もない。
畢竟、刹那の栄光を求めターフを賭ける駿馬たちを彩る大歓声の90デシベル程度にしかなれないのだ。当事者気取りの傍観者、そんなこと分かってる。
だからこそ、そこにいたーⅠwas there. その事実さえあればいい。

                  2022年 5月19日  

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