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PTAの自発的活動を振り返る

約1年前の話。

PTAの役員があと1名足りないから、誰かできないか、という話を聞いた。正社員として働くことを辞め、娘の登校に付き添うことが多かった私は、こんなに学校に行くなら、PTAの仕事も何とかなると思い、引き受けることにした。

引き受けてすぐ、臨時休校になり、活動再開は夏になった。実質、10カ月間の活動。その役員の任期が先日、終了した。私にとっては貴重でとてもありがたい経験になった。

ひそかな決意

顔合わせの場に行ったら、同時期に一緒に役員をやる人たちは、もともと知り合い同士のようだった。私は誰かと誘い合って役員をやろうと決めたわけではなかったので、初めての人ばかり。せめて、同じ役割を担う人の名前と顔を覚えようと思ったが、人も多くて、結局、名前も顔も、覚えられなかった。簡単に仕事内容の説明もあったが、それもほとんど頭に入らなかった。

その後何回か、前任者からの引継ぎを兼ねて、集まる機会があった。前任者主導の、先生方との会議も見学した。だがその会議で感じた心地悪さは、半端なかった。

一見、当たり障りのないやり取りに見えたが、本当に言いたいことを隠しながら、相手の出方を伺うような、妙な空気が流れていた。先生方との信頼関係は、築けていないように感じられた。ある話題になった時、ひとりの先生が、完全にシャッターをおろしたことにも気がついた。

私は、何を隠そう、何らかの理由で信頼関係が築けていないところから、その関係を立て直すことに燃えるタイプだ。だからこの時、自分が役員の期間に、必ずもっと良い関係にすると、密かに決めた。

幸か不幸か、娘が不登校だったため、役員を引き受ける前から、PTAの窓口である先生方とよく話をする機会があった。その時に抱いた印象のまま、先生方と接すれば、きっと大丈夫だと、根拠はないが直感的にそう思った。

試行と挑戦

臨時休校期間が終わり、学校は再開したものの、PTAとして学校に出入りすることは制限されていた。行事もなく、引き継いだ内容は、全くあてにできなかった。同じ役割を担う3人で、何から手をつけるか相談し、学校に確認しながらのスタートだった。

私たちは、三者三様だった。ひとりは、フルタイムで働く2児のシングルマザー。冷静で論理的思考優位で、いつも筋道を立ててくれた。もう一人は、実母の介護に、お子さんの専門的な習い事に奮闘中の一児の母。毎回、芸術的過ぎて感動するほどセンスよくまとめてくれた。そして不登校の子どもを持ち、仕事を辞め、気晴らしを求め時間を持て余し気味な私。共通していたのは、フットワークの軽さかもしれない。

そんな3人で、LINEのやりとりを繰り返した。アイディアを出して、修正して、学校に聞いて、やってみる、の繰り返し。先生方も、前代未聞の事態に戸惑っておられ、私たちも手探り。どこまで何ができるか、うまくいくかなんて、見通しは立たなかった。

ただ、この状況を逆手に取り、疑問に感じた慣例について考える余裕があった。代々、脈々と引き継がれてきたことをできない今だからこそ、本当に必要なことは何か見極めて、変えられることは変えてみようと、3人の意見が一致した。

不便さにビジネスチャンスがあるのと同じだ。ためらわず、細心の注意を払いながら、私たちはどんどんやった。

先生方に

「ぶっちゃけ、どう思いますか?」

「私たちはこう思っています」

と腹を割って思いを伝えていった。最初は構えていた先生方も、次第に心を開いてくれた感じがした。一個人としての意見と、立場上の発言を区別する葛藤も垣間見えた。ただ、例年通りにコトが運ばない今だからこそ、いつもと違うことをやってみようという方針が一致できたのは、大きかった。

アサインではなくサインアップ

役割分担を明確に決めたわけではなかったが、それぞれが得意なこと、できることを自ら進んで「それ、私がやるよ!」と声をかけあい、私たちはとてもうまく回った。会社員時代はそれがうまくいかなくて、大変だったのに・・・。誰かに指示され「アサイン」されるのを待つのではなく、自分から「サインアップ」して仕事を取るようになってもらいたくて、どうしたらいいか、頭を悩ませた過去を思い出した。

私は発案されたことを形にするのが得意だが、性格的に勢いで突っ走るところがあり、緻密さに欠けている自覚がある(笑)。そこをすかさず突っ込んでくれたり、センス良くまとめてもらえたりして、本当に助かった。

今までの社会人生活で接しなかったタイプの人と、意見交換できることは、とても楽しく、新しい発見も沢山あった。多様性の時代と言われるのに、自分がいかに、狭い世界で過ごしてきたかを思い知らされた。

勤務や介護などで時間に制約がある2人と違い、娘が自宅にいるとはいえ、私は自由に動けた。日中学校に行く用ができた時は、娘に留守番を頼み、一人で学校に出向いた。夕方、担任の先生に会いに行く娘に付き添う時に、ついでに、PTAの用を済ませることもできた。

はじめのうちは、私が一人で学校に行くと、先生方は娘のことを気にして

「◯◯ちゃんはお留守番ですか?来ればいいのになぁ」

と言い、私が

「夕方、担任の先生に会いにくると思います」

と言うと、苦笑していた。

学校で過ごす大勢の子どもたちを見て、我が子が自宅にいる不思議を感じながらも、次第にそんなことは気にならなくなった。一緒に役員をしている人たちに、子どもが学校に行っていないことを、ネガティブな感情を乗せずに、ただ事実として淡々と話せるようになっていた。

PTAの仕事は、視野が狭まっていた私の生活に確実に「育児」以外の彩りを加えてくれた。もしやっていなかったら、娘のことを考えるばかりで、気分がうつうつとしてしまったかもしれないと思うと、本当に私は救われた。

自発的行動のモデル

PTAの仕事は、完全なるボランティアだ。一生懸命やるも、やらないも自由。「PTA」に対するネガティブなイメージも、世の中には溢れている。

私が役員だと知る人たちの中には、大変だね、と声をかけてくれる人もいれば、PTAを無くさないのか、とか、やり方を変えたことを不平等だと不満をもらす人もいた。私は直接聞かなかったが、情報操作していると言われたこともあるらしい。他にも知らない所ではおそらく、いろいろ言われているのだろう。

様々な考え方や価値観の保護者がいるので、仕方がない。理解されないのは、残念だなぁとは思うし、意見がある人こそ立候補して役員を引き受け、改革していけばいいのにとも思う。ただ、そこまでの情熱を持てないというのも、理解はできる。

3人でもよく話したが、ネガティブなイメージを持たれるのは、実際にPTAの役員が、何をしているか分からないのと、立候補者が出なかった時にくじ引きで役員を選び、やりたくない人に無理矢理、引き受けてもらったりするからだろう。

今回、私の周りのPTA役員の皆さんは、皆、立候補者で、主体性もあり、すごく協力的だった。ネガティブに感じるやり取りなんて、無かった。運が良かったのかもしれないが、私には、意味があってのメンバーだったと感じられてならない。

私はもともと、ライフワークとして、会社員がもっとやらされ感なく働くためにはどうすればいいかを考えていて、それを体系立てたいと思っていた。娘の不登校に(私が勝手に)振り回されて、すっかり頭から抜けていたが、今回のPTA活動は、自発的に、積極的に、主体的に、自分の役割での仕事や、得意なことで貢献しようという人の集まりにより成り立った、素晴らしいモデルケースだった。こうして振り返って、改めて、一緒に役員をやった皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいだ。

任期を終え、ひと段落ついた今、気がつけば、娘は毎日、通学班で登校するようになっていた。これから、このモデルケースを分析して、上手くいった要因が何か、整理してみたいと思う。





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