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多分忘れない、「仕事する人」と感謝したこと…242日目

 能登半島地震、石川県内で死者94人を確認。合掌。午後2時時点で連絡が取れない安否不明者は222人

覚えている地震は阪神・淡路と東日本、奥尻島

 人間は忘れやすい動物だ。
 自分が明確に記憶している地震は、1995年1月17日の阪神・淡路大震災、2011年3月11日の東日本大震災である。大震災の名称の通り、死者・行方不明者が数千人、数万人の規模だったためだ。少額だが支援金を寄付し被災地に出向いた。東日本はボランティアなどで頻繁に通った。
 他になぜか、「奥尻島」は記憶にある。何年かも忘れていたが、検索すると1993年7月12日の北海道南西沖地震。阪神の前だ。
 それ以外にもいろんな自然災害が起き、多くの方が犠牲になられてきた。その都度、報道で心を痛めたものの、「〇〇から何年」と言われて初めて思い出したりする。

正月元日に起きた能登半島地震

 能登半島地震は、2024年正月の元日に起きた。
 ふだんテレビを見ない自分が、たまたま家族の家でテレビの画像を見た。阪神・淡路大震災よりも最近に起きた東日本大震災では津波被害がクローズアップされ、地震そのものによる家屋倒壊への言及がそれほど多くなかったため、今回能登半島地震を伝えるテレビで目に飛び込んできた、あまりに多くの家屋の柱が倒壊し瓦屋根が居住空間を押しつぶしている光景は、衝撃だ。
 あの下に、と思うと。
 翻って自分の家族の家のことを考えると、全く別地域だが、同じ規模の地震がくれば同じように押し潰れてしまう可能性が大だ。阪神・淡路大震災後、学校や役所など公共施設は建て直したり、筋交いを入れて耐震補強したりしているが、個人所有の古い木造家屋の大半は手を入れていないだろう。
 ただ、自分のいたところに地震が起きていないだけなのだと、思う。

自分自身が「多分忘れない」ことになった

 そして、自分自身が「多分忘れない」と思う地震となった
 能登半島地震の被災地に救援物資を運ぶ海上保安庁の航空機が、羽田空港滑走路で日本航空機と衝突し、死者4人、複数のけが人を出した重大事故。
 その影響で、国内の便も欠航が相次いでいる。
 その欠航便を予約していた。空港に出発するまで欠航は決まっていなかったが、空港に行ってから欠航を知った。たまたまJALである。当日中どころか、3連休もありしばらく振替不可能。新幹線の駅は「遠い」地区だ。
 さすがに慌てた。
 「どうしてもっと早く」「ここまで来て(空港は市街地からバスで結構かかる)」「ええええ」
 と言ってしまう。つい愚痴が出たような感じ。
 実のところ、空港で欠航に直面したのは初めてだった。今までは報道を見て「欠航する可能性があるとわかってて、なんでわざわざ移動するかね」なぞ、他人事のようにとらえていた自分、甘い。

仕事する人、に気づく

 ふと、目の前のグランドスタッフ(航空会社の地上職員)の目が赤く、感情を押し殺して笑顔を作り、対応していることに気づく。ああ、そうだ。仕事しているんだ、この人。ずっと同じような説明をしてきて、この人も文句言いたいだろう、叫びたいだろう。自分の会社も今大変なことになっているのに。疲れも見えた。内心で「冷静に」と自分に言い聞かせながら仕事しているのだろう。
 そして、周囲の同じように欠航に驚いた人々も騒ぐことなく、淡々と手続きをしている(長蛇の列だが)。
 それは、あの被災地の報道を見たから。さらに羽田空港の事故も知っているから。
 仕方ないな。。誰のせいと言えよう。直前に決まったとはいえ、最初から欠航の可能性は間違いなくあったのだし。早め早めに最悪の状態を想定して動かない自分にも多少の落ち度はある。ま、ここで自分を意味なく責めても仕方ない。
 そう、仕方ないのだ。

 そうでした、あなたが悪いわけでないしすみません、と言った。
 次の担当者には、愚痴は言わなかったが、まだ自分が動揺していて「どうすればいいんでしょう?」と、本心から「素直に」たずねてしまった。次善の策と会社側の対応をうかがい、ありがとうございました、と言った。 

 もはや当日に別の遠距離移動は困難だったので、その日のホテルをなんとか確保。一日遅れで、別の空港を経由し、連絡バスに乗り、新幹線に乗り継いで帰京した(新幹線代、ホテル代などは領収書をもらい、航空会社に30日以内に請求)。
 一日中ひたすら移動していた。いつもと違う空港や地域の光景を見ながら帰ってきた。公共交通機関に乗っている人たちは、騒いでしまう子どもたちは別として「静か」だった。日本人は静かな人種なのだ。いや、単に疲れているだけかもしれないが。
 東京に戻ってきたら、正月明けの会社員の方々が帰宅の時間だった。静かだった。

命があって安全に移動できることに感謝

 命があって安全に移動できているだけでありがたいのだ。
 今回、自分が利用したのはJALだが、ANAも他の航空会社も同様であろう。
 航空会社の方、消防士の方々はじめ、人命を預かる仕事をされている方たちのがんばりに、改めて頭を下げる
 そして、直接に人命を預かる仕事でなくとも、懸命に仕事をする人の姿はかっこいい。現在無職の自分は今更ながら痛感した。

 多分忘れない。忘れてもきっと思い出す。

 皆さまのご健康を。
 被災者の方々が一日も早く、心身共に安全で安心な生活を取り戻されますよう。 

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