見出し画像

467人/6649、「テレワークデイズ」怒理~431日目

 再再宣言49日目。※208日連続投稿
 都内新規感染467人/6649、前週の同曜日を上回る(昨日まで29日連続下回っていた)。都基準重症者46人(-5)、死亡8人(累計2150人)。都担当者「人流増えており、感染が広がり始めると一気に広がる可能性がある、日曜も外出自粛を」。

 G7サミット、英国で2年ぶり対面開催。コロナ、経済回復など討論
 11日、改正国民投票法成立。憲法改正の手続きを定める

 暑いが、風が吹いている。まだ「うだる」には少し時間ある。予定あり、出かける。

オリパラ中は「テレワークデイズ」で外に出るな(怒

 11日、武田良太総務相が「東京オリンピック・パラリンピックを安心安全な大会とするため、テレワークの集中的​な実施を呼びかける〝テレワーク・デイズ2021〟を行います」と宣言。企業など3000団体の参加を目指す。

「テレワークデイズ2021」ttps://teleworkdays.go.jp/

テレワークデイズ2021

 これは、怒る。怒らないと、人間としての尊厳が冒される。いくら、お上の言うことをハイハイと聞いて従順に従うという日本人、と言われてもだ。

と言いつつ物分かりいい自分、だが

 ……の一方で、これが「苦肉の策」だと“理解”してしまう自分がいる。
 これは「“上級”じゃないお前らは上の言うとおりに家に籠ってテレビで応援して国威掲揚に協力しろ。ほら、気持ちが盛り上がるだろ、『感動をありありがとう』と言え」の意味にとれる。
 こう言われて侮辱されたと怒りを持たない人は、ある意味ヤバイ。
 
 しかし、直接的にそうは言わない。一応「お願い」にしている(と言いつつ、裏では平井卓也デジタル改革相のような“恫喝”がありそうだが、「実は仲がいい」という言い訳のもとに)。そこがぎりぎりのラインだ。この辺はA氏あたりが失言しないように、“見張っておく”必要がある。

「物分かりの良さ」を政権に利用されるのは拒否

 最近ネット上で増えている有名人の言葉で「五輪反対を言うばかりでなく、どうしたらできるかを考えるべき」という、その「どうしたらできるか」の策の一つ、なのだと、思う。オリパラを開催するとしたら、これは予想された策のひとつで、もともとオリパラを観に街に出る気はなかったし、出られるとも思っていなかった。コロナ以前に暑いので。
 しかし、その心持をを政権側に利用されるのは嫌である。

 そもそも、米国の都合に合わせて熱中症厳重警戒期の真夏に開催され、さらにマラソンが札幌に行ってしまった時点で、オリンピックは都民のものではなかった。
 マラソンが東京で行われれば、一瞬でも見ようと頑張ったと思う。
 で、チケットを取る気は最初からなかったし。それでも、街中を歩けば外国人が増えていることで、オリパラを感じるのかと思っていた。それすらないんだな。というか、接触回避。

画像3

議論百出であれ

 オリパラをどうしても開催するなら、感染者数を抑える策、という。
 前にも書いたように、オリパラを開催してもしなくても「犠牲者」は出る。それが自分か自分の大切人なのかは、もうほぼ確率の問題。
 この、どうしようもない状況の中で、為政者が判断し、責任を負う。その前提として、議論百出であるべき。たとえ、それが一部の人にプレッシャーになってでも(プレッシャーでその人の心身が蝕まれるなら、その立場を去った方がよい、生きること)。足を引っ張るという言い方は、どうかな。「一丸」とか、そういう言葉は嫌い。

 意見が抑えられる社会は危ない。

 ただ、あれか、議論の「共通基盤」が必要だが(語用論ほったらかし)。

画像2

「秀吉」の記事に惹かれる、思考の引き出し

 あるネット記事を知る。
 「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断、被害者の数はなんと5万人(東洋経済オンライン 6/8(火) 15:01配信)
 その多数のコメントを読み、思うところ、いろいろ。
 秀吉。歴史。宗教。戦力。経済。奴隷。

 ネット上で安易に評価するのは避けるが、言えることは、偏った情報に思考を左右されてはいけない、ということ(この記事が偏っているというわけではない)。今、また、自分がよく知らない「話」を知り、自分の考察に加えていく。生きるとは、様々な思考の引き出しを増やしていくこと。

 ワクチン接種のように「する選択」を迫られ、迷うこともある。また、ビジネスにおいてはあまりに多くの選択肢を示すと消費者が決めきれないので、3つとか5つとかにする、とか聞く。しかし、生きるための思考では、できるだけ多く情報を入手し、考えたいのが、自分だ。

 もとい、自分はバランスとるというか両論併記の、ふらふらした人間だ。
 ただ、「秀吉」。この人を何度も何度もするめのように噛みしめて生きていく、その時々の評価も含めて、この人はいい人だったのか悪い人だったのかその中間だったのか、生きる間問い続けていくだろう。
 秀吉は、やはり日本史上、よきもあしきも興味を持たれ続ける人なのだと思う。

 ある人物や物事の評価が歴史上、二転三転する。そのどちらが正しいと盲信することを避け、二転三転することを知る。それが重要と思う。

 ただ、少しだけ、書く。宗教。
 先日観た映画で『トゥルーノース』の中で、極限状況の中で「死後の世界を信じる」という話がちらっと出た。これは、宗教の始まりに近いと感じた。あまりにも過酷かつ何も抵抗できない状況の中で、人間が思うこと。
 同時に、一神教が根付かない日本を思った。自分はそれでいいと思う。

 皆さまのご健康を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?