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思考の三原則。

本日もお読みいただき、ありがとうございます。

常に思考を巡らせている、五木田穣(ごきたゆたか)です。

思考の三原則

「思考の三原則」というのがありまして、私は常にこれに基づいて、思考を巡らせています。何事も原理原則に則ることが大事だと思います。

■思考の三原則
①目先にとらわれず、長い目で見る。(長期的視点)
②物事の一面だけを見ないで、できるだけ多面的、全面的に観察する。
(多面的視点)
③枝葉末節にこだわることなく、根本的に考察する。(全体的視点)

あらゆることに関して、思考の三原則を基準にして考えていくと、ぶれないし、本質的な答えが導き出せます。

例えば、ダイエットであれば、
①短期的じゃなくて、長期的に考える。
②食事制限すればいいんじゃなくて、それによる弊害はないか考えてみる。
③摂取と消費がどうとかPFCがどうとかじゃなくて、何が根本的な原因かを考える。

となると、短期に詰め込むダイエットはリバウンドを絶対するし、食事制限すれば、体調を崩す可能性が高いし、そもそも生活習慣、食習慣、思考習慣が悪い結果、太ってしまったわけだから、そっちにアプローチが必要という風に考えることができます。

木を見る。森も見る。全体を見る。

思考の三原則に基づいて、「木を見て森を見ず」という言葉から考えてみます。

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木も見る。森も見る。
枝葉も見る。根も見る。
森に住んでいる動物も見る。
森の近くに住んでる人も見る。

あらゆる視点から、全体的に、多面的に見てみる。

例えば、森の中のある木が1本だけ枝葉が枯れ始めているのを見つけたとします。その原因は何でしょうか?根が腐っているから?では、根が腐った原因は?あらゆる可能性を探ってみる。

周りを見渡してみたら、モグラのものと思われる穴を見つけました。根をモグラがかじってしまい、栄養がいっていないのかもしれない。そうなると、やるべきはモグラの退治です。モグラを退治せず、どんなに枝葉や根に栄養を与えても意味がありません。

原因ではなく、症状に対処しているうちは根本的に問題解決することはありません。

あらゆる専門家が陥るのはここでしょう。専門性に特化しすぎて、枝葉末節ばかりに目がいき、全体から見えなくなってしまう。全体ではなく、部分だけをみている。それでは、根本的な問題解決には至りません。その場しのぎの対症療法にしかならないんです。これでは、何のための専門家なんでしょうか?

専門家は、専門に特化しすぎると、かえって根本が見えなくなってしまいがちです。

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例えば、胃が痛くて内科に行ったとします。そしたら、きっと整腸剤などを処方されるでしょう。でも、そもそも胃が荒れた原因は何でしょうか?胃に負担が来た原因は何でしょうか?食生活?なんで食べ過ぎたんでしょう?なんで飲み過ぎたんでしょう?その原因が人間関係のストレスからだとしたら?そこを解決する必要がありますよね。

根本の原因を辿っていかなければ、絶対に根本的な問題解決とはなりません。

思考は、とどまることを知らない。

長くなってしまいますが、先ほどの例え話に戻ります。
まだまだ思考を巡らすことができます。

待てよ?もしかしたら、モグラが増えすぎたのでは?なぜ、モグラが増えたんだろう?モグラの天敵のイタチやキツネがいなくなったのでは?キツネの天敵のクマや狼がいなくなったのでは?なぜ、いなくなった?人間が狩りをしたから?

…と、どんどん問いかけは進みます。まだまだ続けられます。

とことん思考を追求し、では何をすべきか?多面的に問題を捉えつつ、長期的な視点に立ち、何から始めていけば良いか、どう段階的にアプローチしていけばいいか?自分にできることは何か?協力してくれる人は誰か?

もう、とにかく色んなことが考えられます。 とにかく色んなことを多角的、多面的、全体的に、長期的に、考えたうえで、計画を立て、実行し、評価し、改善する。その繰り返しです。

そのためには、あらゆる知見が必要。視点が必要。本質を捉える「考える力」が必要と考えています。

だから、私は本をひたすら読むんです。

あらゆる視点を知るために本を読む。本質的に問題を捉えられ、解決策を提案できるように本を読む。本に限らず、人の話は自分とは違った視点だから、違った視点を知るために人の話もよく聴く。

とにかく考え続ける。行動し続ける。それが1番大事だと思います。


思考力、考える力を養うには、読書がオススメです。


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