自分の「解釈」を変えると、すべてうまくいく。
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
5日連続更新中の五木田穣(ごきたゆたか)です。
五木田ですから、5が好きです(笑)
「五木田の頭の中」というマガジンなので、とにかく日々考えていることをどんどん出していきます。
人は必ず自らの「解釈」というフィルターを通して、世の中の出来事を見ています。どんな色メガネで見ているかで、世界は変わって見えるんです。
「解釈」を変えれば、同じ事実も違う結果として捉えられます。
人が変えられるのは、「自分の思考と行動」だけです。
「他人の思考と行動」は変えられない。
起きている事象は変えられない。
でも、起きている「事象」に対する「解釈(捉え方)」は変えられる。
そして、それに対する「反応(どんな行動をするか)」は変えられる。
自分以外に原因を持っていけば、自分は正当化できますし、簡単です。でも、自分以外が原因だとするならば、人のせい、何かのせいにするならば、解決しようがないじゃないですか。常に誰かに流されて生きていることになってしまう。常に周りに流されて生きていることになってしまう。主体性なんか存在しなくなってしまう。
過去や、相手や、周りの環境を変えようとするのは無理な話ですから、まずは、自分から変わってみることです。
例えば、誰かにきつくあたられたとしましょう。すごくイライラしてる。ここで「何だこいつ?!」みたいに反応してしまうと、こちらもイライラするので、喧嘩みたいになっちゃう。
これは、賢い対応の仕方ではありません。
きつくあたられたら、まず「何か失礼なことをしてしまったかな?(言ってしまったかな?)」と我が身を振り返ります。そこで心当たりがあれば、素直に謝りましょう。心当たりがなければ「申し訳ありません。何か失礼なことをしてしまいましたか?」と直接聴いてみるのもありです。
自分に非がなさそうな場合、理不尽にあたられているであろう時は、「何でこの人はイライラしてるんだろう?」とそのイライラの原因を考えてみる。
「もしかしたら、会社で嫌なことがあったのかな?」
「家族とうまくいってないのかな?」
「同じように誰かに理不尽にきつくあたられたのかな?」
なんて考えてみると、イライラしなくなり、相手に共感することができます。そして「自分が相手に対して、できることは何だろう?」「相手のために、私には何ができるだろう?」と考えてみることができます。
敵対することは無意味です。とにかく相手を認める。共感する。受け入れる。と、相手は自分のことを理解者、共感者、仲間だと認めてくれ、一気に、好感、信頼へと繋がったりします。喧嘩相手どころか、親友に変わってしまうかもしれない。
自分の思考と行動、捉え方、それに対する反応、それに基づく行動で、結果はいくらでも変えられるんです。すべてはどう解釈するかでうまくいく。
イライラにイライラで返しても何も良いことはありません。ただ、相手をそのまま受け入れる。キリスト教的な考えでいえば「愛」ですし、仏教的な考えでいえば「慈悲」になります。キリストも仏陀もいいこと言ってますね(笑)
自分の反応、思考、行動を変えることで、相手や環境も変わっていくと思います。
すべては解釈次第。愛と慈悲の心で接すれば、うまくいく。
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