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すっかり垂れたおっぱいと中学生になってもブラを買ってもらえなかった話

こんにちは。ご機嫌な暮らし研究家のかもめです。
毒親育ちのアダルトチルドレンだった私が鬱になった経験や失敗、鬱状態から回復していく過程の中での気づきなどを書いています。

生まれて初めて下着のフィッテングに行ってきました。今までは、なんとなくこれくらいのサイズかなーと思って、ピーチジョンやフェリシモなどの通販で下着を買っていました。もっと言えば、初めて鬱になった10年前からは、私の体はどんどん太り出し、ブラが苦しくなっていって、着けているあの苦しさがなんとも煩わしくて、10年間ユニクロのブラトップを着ていました。

正直、ブラトップは着ているのが楽なんですよね。

でもね、完全に胸が垂れてきました。最近は鏡で自分の姿をちゃんと見るようになって、胸のトップの位置が明らかに低くておかしいと気がつきました。

かわいい洋服を着ているのに、おばあちゃんみたいに胸が下がっているので違和感がある。せっかくのお気に入りの服を、自分の理想通りに着こなせていないことに気がつきました。
すっかり垂れて離れた胸を見て、ブラをつけたほうがいいのは十分わかっているんだけど、「どのブラを買ったらいいのか分からない。もはやサイズも分からない」。
分からないので、とりあえず放置していたら、そのうち友達から下着のフィッターさんを紹介されました。
少し前までの私は人との交流を絶っていて、その時はそれが自分にとって最善で、その判断ができたことで、今の私はまた人との縁を出来るだけ大切にしようと思えるようになりました。偶然見つけたもの、声をかけてもらったこと、どんな小さいことでも、出来るだけ参加して繋がっていこうと思えるようになったので、そのお店にも行くと決めました。

生まれて初めて、人に胸のサイズを測ってもらいました。ブラを付けていた10年前より10キロも太り、私の記憶よりだいぶアンダーのサイズが大きくなっていましたが、ちゃんと自分のサイズにあったブラは苦しくなくて、思ったよりずっと付け心地がよかったです。私は今までサイズの合っていないブラをつけていたら、あんなに苦しかったのかなと思いながら、忘れていたある苦い記憶を思い出しました。

それは人生で初めてブラを買った時のこと。
毒親あるあるのひとつに、適齢期になってもブラを買ってもらえないという話はよく聞きます。うちも、そうでした。

中学生になっても、私は制服の下にタンクトップを着て学校に行っていました。
ある日、友達から「女子の中でかもめちゃんだけブラをつけていないって、クラスの男子の間で、噂になっているよ」と言われました。頭をガツンと殴られたような衝撃で、恥ずかしくて死にたいと思うような出来事でした。泣きそうになるのを必死に我慢する私に友達は「ブラを買うに行こう」と誘ってくれました。
買い物に行く約束をした日の朝になっても、私は母親に「ブラを買いにいくお金が欲しい」と言い出せずいました。母はいつも機嫌が悪く、話しかけるタイミングを間違えたら、絶対にお金はもらえない。

一緒に買い物に行こうと誘ってくれた友達からもらった手紙をお守り代わりに手に握って、勇気を出して「買い物に行きたいからお金が欲しい」とだけ言いました。案の定、母は「何を買うんだ!何か悪いことに使うんだろう」と怒り出し、私の手から手紙を無理やり取り上げて、勝手に読みました。そして親に隠し事をしていたなんて許さないと怒り出しました。


騒ぎを聞きつけた祖父がやってきて、「おじいちゃんに説明しなさい」と母から言われ、私は「クラスの中で私だけブラをつけていない。だからブラを買うお金が欲しい」と泣きながら、祖父に話しました。それでやっとお金をもらうことができました。最終的にお金をくれたのは祖父でした。

生きていくのに必要な物で、みんなは当たり前のように買ってもらえる物なのに、私は、異性の祖父にまで事情を説明しなければお金をもらえない。屈辱的な状況だったと思います。

成長しても、相変わらず「新しいブラを買って」と言い出せずに、私はサイズの合わないブラを着け続けました。ワイヤーの跡は痣になり、洗い古したブラからはワイヤーが飛び出し、肌を傷つけました。


他の人からしたら些細なことかもしれないけれど、思春期の私にとって、心と自尊心が傷つけれたひとつの出来事。私はこんな風に日常の中のひとつひとつに、下着ひとつにもいちいち嫌な悲しい記憶が結びついてしまっていたんだなと気がつきました。ブラを付けているのが、あんなに苦しかったのは、この苦い記憶が無意識にあったからかもしれないなと思います。だけど、それに気づいた今、私は絡まった思いをひとつひとつ解いていっています。

これからの私は、自分のサイズに合った、付け心地のよいブラを付けて、胸を張って、姿勢を正して生きていく。
今の私は、ワイヤーの飛び出た痛くて、古くて、苦しいブラを着ける必要はもうなくなったんだと、心のブロックをまたひとつ外しました。

今でもこうやって、時々悔しい過去を思い出すこともあるけど、だけど今の私は少しづつ、日々心地よくご機嫌に生きていけるようになりました。

私はここまで来ました。次はあなたの番です。あなただけのストーリーを聞かせてください。どんなに苦しくても辛かったことも、言葉にして吐き出すことで、流した涙と一緒にあなたの外へ出していく。頭の中に、心の中にしこりとしてずっと残しておかないようにして、自分を自分で傷つけることから守ってください。
自分自身を救い出す光は、あなたの中にあります。

今、私たちの目の前には常に選択肢があり、その中から私たちは、楽しいもの、好きなもの、ときめくもの、心地よいと思うものを自分自身で選択することができます。
本当はどんな自分になりたいのか、理想の自分なら何を選ぶのか、今私はどうしたいのかを確認していく。今の自分の気持ちと丁寧に向き合っていく。あなたのその思いと選択がいつかあなたの暮らしを変え、人生を変えていく。私はそう信じています。

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