岡部悠加についてまとめ
直接お会いした方や、セッションでお話しをしている方には私の成り立ち的なことをまあまあ知って頂いていると思うのですが。と言うより、こういう説明をするのが面倒なのでインスタグラムではヨガの話だけではなくて私の私生活おっ広げーでやっているんですね。
ヨガ講師になり7年目でもあるのでなんとなく今までの経験やどうやってこんなハッピーポンコツ野郎になったのかを自戒も込めてまとめます。(大丈夫です。死にません。)
さあ行ってみよー!
1993年8月23日生まれ27歳。東京出身の獅子座です。
私の母は17歳の時に私を産みました。当時、一家離散状態だった岡部家(早速突っ込みポイント1)は母の妊娠が発覚すると祖母は母にこんなことを言いました。
「この子(私ですね)をみんなで育てよう!あんたが育てられなくても私が育てるからいい。」
超絶鶴の一声。
でまあ、元々育てる気はあった母らしいですが若いと言うこともありいろいろ忙しかったんでしょうね。程なくして私は祖母の養女となりました。
ちゃんちゃん。
と、一筋縄ではいきません。
保育園から幼稚園に行き、公立小学校から、小中高大とエスカレーター式だった私立小学校へ転校をし無事高校を卒業しました。まぁ無事と言ってもそんな無事じゃなかったです。雨が降ったら基本悠加は休みみたいなテンションでした。
中高の頃からモデルやダンスの仕事を楽しんでいました。ありがたいことに私が通っていた学校では”公欠”扱いにしてくれる制度がありここでも救われましたね。
あ、小学校か中1、2くらいの時に他の人が聞いたら大したことじゃないと思うけど私の中ではこれは死ぬほどきつい!と思うようないじめにも遭いましたね。
まぁ、そんなのは今となってはらだから何。過去は過去でしょ〜な感じですが。当時のはるかちゃんは苦しくてしんどかったねぇ。死にたい、とかじゃなくて、いなくなりたい!って思っていたものねぇ。
過去に戻りたいなんて微塵も思わないですしね。反骨精神です。あんな辛い過去があったんだから、今をとことん楽しんで、いつだって、「あの時に戻りたい!」なんて思わない生き方をしてやるぞー。という。
だから昨日より今日の方がいつも100倍楽しいです。
ちょっと話がそれました。
高校卒業後、AO入試で看護の専門学校に入学が決まったのですが半年で心が折れ2年ほど休学をしましたが復学はしませんでした。
入学をした半年後、すぐに銀座でホステスの仕事につきました。
復学をしなかった理由は至ってシンプルで西新宿に一人暮らしをしちゃってお勉強よりもプライベート、ホステスの仕事の方が楽しかったからです。
今考えると、よくもまぁ、18、19歳のひよっこを受け入れてくれたなぁと感謝でしかありません。
あれ?全然ヨガの話が出てきませんね?そろそろです。
銀座や六本木でホステスを続けている中、もしこの先結婚をするのであればもう少し地に足がついた働き方がいいよなぁ〜と漠然と考えていました。
ネットで【ヨガ 資格】と調べると何百万円単位での資格習得可能なページがずらり。
どうせ資格取るなら海外がいいなぁ〜でもそんなお金ないしと思っていました。
あ、水商売で稼いだお金のほとんどは給料日になるとドレスを爆買いし、知り合いの飲み屋さんで酒をたらふく飲む。みたいなことをしていたんですね。楽して稼いだ金は残らないと勝手に思っていたので貯めることはせずにしっかり使い切っていました。ただ、いつもきてくれるお客様には、いつも楽しく美味しいお酒を飲んでいただきたかったので、とびっきりのおめかしをしようと張り切っていましたね。
で、なんでしたっけ。そうそう。だからそんな何百万もの大金をポンと出せるような状態ではなかったわけです。
そんな中、育ての親の祖母に「ヨガの資格を取りにバリに行く。お金がないから1年くらいかけて貯金していくことにする。」と電話で伝えると、明日家に来なさい。と言われました。あー怒られるのかな〜ヤダなー腰が重いなーと思いながらも翌日実家に向かいました。
実家に着くと祖母は静かな声で「そこに座りなさい。」といい、封筒に入った現金を渡してくれました。
そのまま続けて、「1年後にあんたが本当に行けるかどうかなんてわからない。今すぐ行ってきなさい。」と力強く背中を押してくれました。
なんか書きながら泣けてくるー。
そしてバリにてヨガの先生になる修行が1ヶ月間行われます!!!
なんか辛いし楽しいし、自分の感情と嫌と言うほど向き合ったし毎日泣いて毎日二日酔いでしたね。ほんと大忙しでした。
そもそもで私はヨガ歴なんてなかったのでバリでヨガに触れることがほぼ初めてでした。ダウンドッグってなに?みたいな。
海があって住んでいるアパートの下にはピザ屋があって毎日ウォッカパーティーイエーイ!しか考えてなかった。
ありがたいことにそこで仲良くなった女の子もウォッカイエーイ!みたいな子だったのですぐ打ち解けましたね。二人で毎日二日酔いでした。
ちょっと大切な話を書きますね。
バリで出会ったオーストラリア人の先生(後に私の人生に大きく影響をもたらしてくれる女性です。)は、霊気ができる方でした。当時の私はレイキもヒーリングもちんぷんかんぷんだったのですが、受けたい方いたらどうぞーと言ってくれたので、物は試し!と思ってヒーリングを受けることに。
その先生とのセッションは非常に神聖かつ刺激的なものでした。
私のトラウマを解放する〜的なことだったかな。しかし私自身は取り立て悩んでいることもないし基本前向きだけど何がわかるんだろ〜楽しみだな〜と言う具合でした。
セッション後にはその考えが180度変わってしまうなんて想像もつきませんでした。
いざセッションが始まると涙が止まらないのです。もうねひっきりなし。人間の体の7割は水分と言われていますが、全部使い切ったんじゃないかと言うくらいに。
まあ具体的に何をしたとかはよく覚えていないんですがね、産道を通った人間と一緒に過ごす時間があまりにも少なかったため、寂しさやそのほか諸々を「自分にとって大きく悲しいこと。」にせず蓋をしてしまっている状態だと言われましたね。
人を癒すパワーって凄まじいし、自分が自分を癒すことができなければ人を癒すなんてまず無理だな。と痛感しました。
まあそこから右も左も分からないヨガの修行をし、毎日自分の過去の記憶と向き合い大泣きをして海でバシャバシャして大口開けながら大笑いをし酒を飲んで二日酔いで朝5時に起きるみたいなスーパーハードスケジュールを1ヶ月こなしました。
バリに来たすぐの頃はよくわからないヨガにイライラし、こんなもの2度とやるものか!と思っていたのですが、帰国する日には今度は私が先生となって自分の生徒をここに連れてくるね。なんてバリの海と約束をしていました。
今考えると、どうした。1ヶ月でついに頭おかしくなったか。と思いますがね。
大人に片足を突っ込んでいる21歳が、触れたこともないものに触れると言うのはかなりエネルギーのいることです。
何が正解で何が不正解かをしっかり見定めていきたい時期なのにそんなものをぶち壊すような先生に出会ってしまうのですからね。
いままで大事に大事に持ち続けていたルールをポイするなんて簡単なことじゃあありません。
捨て方はどうする?このルールはどうする?と毎日ラベリングをしていくわけですよ。
でね、TT中に東京にある、ありとあらゆるスタジオに、今ヨガインストラクターの資格習得真っ只中で東京に戻ったら働かせてほしいと問い合わせのメールをしまくりました。ほとんどのスタジオがダメでしたがオーディションをしてくれると言ってくれたスタジオに行きましたがそこもやはり技術不足でご縁がなかったんですね。
いやぁ〜何個受けたかねえ。気づいたらオーディション慣れしまくっていましたね。
東京に戻ってきて初めての私のヨガの先生に手取り足取り指導方法を教えてもらいました。
特にその先生が大事にしていたのは「言葉で誘導をすること」。
これ本当に難しいんですよね。慣れなないうちは。
毎日家で言葉での誘導をひたすら練習しました。
動きながらまずしゃべる。慣れたら動きよりも先に次にどこを動かすかをしゃべる。そして今度は動かずしゃべったものを録音をし、録音をした音声のみで自分が動けるかを試す。と言うのを永遠やっていましたね。
いくつか受かったスタジオもあったのでお世話になりながら講師歴2年目に突入した時、気づいてしまったんです。
なんかつまんない。
と。
そう、私はヨガが大好き!な訳ではなく、ヨガを「指導すること」が得意で好きなのだと。
教えるものが少なくなってしまった私はクラス自体のマンネリ化に気づきインドに行くことを決めまーす!
インドでは布を飲んだり謎のアレルギーに苦しみまくったりまたここでも自分と向き合いまくるわけですよ。
ここでかな。アーユルヴェーダの素晴らしさに触れたのは。
上述したようにそもそも私はヨガに限らず何かを継続して練習することが大の苦手だったのでもう毎日拷問でした。
このTTが終わったらスリランカに遊びに行こう!決めた途端アレルギー症状も全部おさまってしまい、あー人間とはなんて単純なのだと思い知りました。
そしてそしてー帰国した1ヶ月後にまたインドに行くんですね。アーユルヴェーダを勉強しにね。
そこでもまたトラブルが起きるんですよ。
一緒に学ぶはずの日本人の女の子がインドの瞑想センター帰りで超トランス状態になってしまっていて、スクールも思うように進まなかったんですね。
でまあ、そんなこともあるかーな感じでもう今回はバカンスにしちゃおーと言うことで毎日アーユルヴェーダに触れつつも楽しい南インドライフを過ごしていました。
本帰国後、インドから帰ってきたのでもう一度オーディションをしてほしいと、以前落ちてしまったスタジオにもう一度連絡をしたんですね。
ありがたいことにそこでご縁がつながり4年くらいかな。クラスを担当させてもらいました。
いまだにそのスタジオの生徒さんとは繋がっているから嬉しいよね。
はい、ゴールが見えてきましたよー。もう4000字くらい書いている。
帰ってきて生徒さんからいただいた声の多くが、「はるちゃん、インド行って本当に変わったね」でした。
ええ、本当に変わったんですよ。
ヨガの講師のキャラクターを作らなくなったんですね。なるべく、ヨガ講師と日常の岡部悠加のギャップを作らないように努力をしたんです。
どうせ自分の首を絞めちゃうからね。
そして私は、いつも「私らしく」それを好いてくれる方達に「私らしいやり方」でヨガの素晴らしさを伝えているのでした。
ちゃんちゃん。
でさぁ、書いてて思ったんだけど、多分こう言うことじゃないよね知りたいことって。
なのでここからは質問がきそうなことをQ&A形式で。
Q1)なんではるかさんはヨガのスートラを教えることが得意なんですか。
A1)これはですね、育ての祖父母が熱心に仏教を信仰しているのですね。なので毎日お寺に通いお坊さんのお話を聞きまくっていたからだと思います。それこそ細胞がもう覚えているみたいな感じでしょうかね。
Q2)いじめられたこと引きずっていませんか?
A2)引きずっていますよー。私より幸せになったら許さないって思う。だから私がその人たちが追いつけないほど幸せになってやろうとも思うんです。が!そんなこと毎日思っているわけでもなくてね。結局、今のはるかを見てくれている人たちを私は愛しています。で、今のはるかを見てくれている人たちも同様に私を愛してくれています。オールオッケー。
Q3)なぜそんなにありのまま、自然体でいられるのですか。
A3)なぜでしょうね。結局最終的によ、自分が1番の理解者であり、自分が誰よりも自分を愛することができ、自分が誰よりも自分を蹴落とすことができると、腹の底から理解しているからでしょう。全て自分の軸でしか動いていないのですね。だから、なんて言うか、周りの目も気になったりするけど、その周りの人と一生ともに過ごすなんて確証されたことでもないし。気にしない!にする必要は一切なくて、気にするなぁ。を、持ち続けながらも上手に扱えばいいと思うのです。真面目か。
Q4)なんで悩みないんですか
A4)全然ありますし、普通に生徒さんに相談します。生徒さんとは言っても人間関係を築いている、に過ぎないからね。
Q)なんではるかさんはそんなに可愛いのですか
A)なんでかって?それは簡単です。みんなが可愛い可愛い、と言ってくれることを素直に受け止めると言う技術を持ち合わせているので私の可愛いは、みんなの可愛いで出来上がっています。どうもありがとう。
5000字!!!!みんな読んでくれてありがとう!
あなたのサポートで私の未来が救われます。 大げさ大好きです。