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なぜ「体育嫌い」? 3つの視点から

1、自分の経験
2、体育が好きであろう児童
3、体育が嫌いであろう児童

1、自分の経験
 私は体育が好きである。運動が得意だったからである。
 体育の授業では、どんな単元でもなんとなくできた。だから、体育の評価は良い評価だった。疑うことなく、体育は好きな教科になっていた。

2、体育が好きであろう児童
 全ての児童に当てはまることではないが、体育が好きであろう児童の特徴「進んで運動する」 ことが多い ※以下同じ
「声が大きく影響力が大きい」
「運動の意味を感じている」
「順位が出ることがうれしい」
「動くこと自体が楽しいと感じている」

3、体育が嫌いであろう児童
 体育が嫌いであろう児童の特徴
「やらされて運動する」 ことが多い ※以下同じ 
「声は小さく静かに過ごしたい」
「運動の意味を感じていない」
「順位が出ることが悲しい」
「動く事よりも他に好きなことがある」

 比べてみるとどの項目も対極にある。
 自分の視点と照らし合わせても、今までの授業で、体育嫌いを生み出してしまった理由は、後者の視点が足りなかったことにあるだろう。
つまり、

「目的の説明なく、やらされてきたこと」

「やたらと競わされてきたこと」

「できる・できないが目立ち、ヒエラルキーを助長させたこと」

ここに体育嫌いを生む原因が隠れているのではないかと考える。

研究を続けたい。

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