自分のレール
もしあの時、
父と別れることがなかったら、私は父が望むレールを生きていたかもしれない。
運命なのか宿命なのか、巡り合わせなのか前世から定まっていたのか。何が真実かなんて私にわかるはずもないが、
ただ、、、
あの中3の秋から、『自分で選ぶ』という人生がはじまったのだと感じている。
そう、はじめは受験校を変えることから。
葬儀が終わってから1か月も経たないうちに三者面談があり。
そこで最初の現実が待っていた。
担任 「ここは、両親揃ってないと難しいと思いますよ。」
いつも冷静な母が怒りを露わにした。
母 「ついこの前まで父親は生きていたんです!」
私はその場を収めようとしたのか思わず口にしたことを覚えている。
私 「ママ大丈夫、私行きたいところがあるから。」
そして家に帰って、私は超特急で動きだした。
そう、自分の進むべく道を探しはじめたのである。
はてさて、私は一体何をしたいのか、どんなことに興味を持っているのか、小さい頃から当たり前に大学まで行くもんだと思っていた私は、大学も見据えて高校選びをはじめていた。ただ・・・お金のことが思考に"待った"もかけていた。
主(あるじ)を失い、1冊の通帳も見つからず、しかも現金は20万しかなく途方にくれていた母。
給料は手渡しでもらっていた昭和の頃のことである。
それでもある日きっぱり母は私にこう言った。
「私が大学までだすからね。」
そして私は母の意地と愛をもって『自分のレール』を歩いてきた。
最近になってふと思う。
もしやあのタイミングで父が逝ったのは、彼が仕組んだ私への最高のプレゼントだったのかもしれないなって。
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