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エンジニア始めて10年目を迎えた(前半戦)

IT業界歴は2008年頃からなのですが、完全にエンジニアとしてのお仕事を始めたのは2011年の3月のことでした。震災があった月ですね。

10年終えた段階で振り返ったほうがキリはいいのですが、記事の球数増やしたいので、書いておこうかなと思います。

1年目: 浜松町の某大手SIer

この書き方がSESっぽくてアレですが、まあSESで行ってたんですよ。

浜松町の現場では某大手家電メーカー絡みのお仕事をしていました。そのメーカーのカメラの写真をインターネッツにアップロードして時系列順に並べるといういわゆるフォトライフログと言われるやつです。Instagramの走りみたいなやつですね。(もうすでにあの頃にあったような気もしますが

写真のアップローダーとライフログ表示させるところがかなりリッチで、なんとAdobe Flexの案件でした。Flash案件だと聞かされていってみたら実はFlexだったとは……それまでも多少PHPやJSを書くことはしてましたが、FlexはActionScript3です。技術的にはFlashをベースに、と言われても作り方そのものはかなり違います。使うIDEもEclipseですし。しょっちゅうワークスペースがぶっ壊れてましたが、当時は「そんなもんだろう」とあまり意に介してなかったです。

そんなことより単純にFlex使ったWebアプリケーションの作り方が皆目検討もつかなかったし、そもそもオブジェクト指向プログラミングもしたことなかったので大ピンチでしたが「まさか自分もこうだったとは思わなかった、1週間死ぬ気で勉強するから黙って見ててほしい」とPMに懇願して、文字通り死ぬ気で本をピラピラしながらなんとか写真をアップロードするところを作りました。このときの経験がずーっと生きてて、「なんか技術的なつまづきがあっても1週間死ぬ気で勉強すればできないことなどなにもない」という風に思うようになり、なんとかかんとか今日までスキルを伸ばすことができました。

最後の方は僕が作ったお粗末なFlexアプリを元に、その道のプロがフルリファクタリングすることになって、その手伝いとサーバーサイドとの仕様調整役として浜松に行かされることになったりして、まあ楽しい経験をしました。その時のエンジニアさんの影響は自分にとって絶大で、いまIntelliJ IDEA使ってるのもその影響の一つです。3ヶ月ばかしのお仕事でしたが、とても印象深いです。

1〜2年目: 水道橋の開発会社

浜松町の現場がお役御免になったあとに行ったのは水道橋の案件でした。この頃にはフロントエンドエンジニアなんて言葉はなかった記憶がありますが、やったことはjQueryを鬼のように駆使してフロントエンドをAjaxでいい感じにする仕事でした。当時はAngularJSがあまり知られていなかったので、jQuery Templateと言うのを使って頑張ってた記憶があります。。。たいへんだった……

そこのCTOの方が強烈な方でした。なんていうか、IQ180のジャイアンみたいな感じで、死ぬほど頭はいいんですけど、それ以上に光○信でも見たことないレベルの攻撃力の高さでした。なんでしょ、龍が如くシリーズだと0の阿波野みたいな感じですかね……まあ、僕は運良くその方に気に入られたので色々教わることができました。特に「オブジェクト指向プログラミングとはなんなのか」ってところですね。彼はハスケラーなのでオブジェクト指向大っ嫌いなんだそうですが、嫌いであるがゆえに詳しかったですね。ただ、 emacs教でもあるのでC言語系シンタックスの皮を被ったLISPであるJavaScriptには好感をもったようです。この頃に学んだことは知識の部分ではベースになってるのかなって思います。

ちなみにGit初体験はこのときです。Git素晴らしい。

2年目: 大久保のスポーツ関連の会社

この時は当時所属していた会社のエンド直案件(なんでも社長がゴルフでそこの取締役と知り合って取ってきた案件だったとか、ゴルフすごい)だったので、僕も張り切っていたし、自社のCTOがDBのマイグレーション作業など僕ができない部分をサポートしてくれるって話でしたが、結局孤軍奮闘することになりました。「CTOって言っても色んなタイプの人がいるんだな」って実感しました。

この会社で知り合ったそこの経理のお兄さん(もう退職してる)とは未だにご飯食べに行ったり、ダーツしたりなかよくしてもらってます。

WordPressの案件ではあったのですが、今思い返すとバッドノウハウの数々をためらうことなくブチ込みまくってて恐ろしいことしたなあと思います。技術がないって怖いですね。。。

2年目: チームラボ

ほんのちょっとの間だけいました。この案件のチームリーダーの方、死ぬほど口が悪くて最初はあんまり仲良くなかったのですが、なんだかんだ面倒見の良い方で、最後の方は僕がなんとか会社に居れるように奔走してくれたり、すごく良くしていただきました。

ココで一番インパクトのあったことは「phpMyAdminなんて使おうと思うんじゃねえ、SQLぐらい書けるようになれ」とスパルタでSQLを叩き込んでいただいたことです。この案件に来るまで実はSQL書けなかったのです。(未だにそんな自信持って書けはしないのですが

ゆめみのライバルとして語られることも多い会社ですが、とにかく個性的でした。壁が真っ黄色で塗られてたりとか、社内用の会議室の机がダンボールと模造紙で作られてたりとか。移転後は知らないですが。

あとここで驚いたのは小学校時代からの幼馴染に現場で(別チームですが)再会したことです。彼はその頃iOSアプリのエンジニアで、おそらく当時僕の倍ぐらい稼いでいたので、よく「お前この歳でこんなことしてて大丈夫なの?」と心配されたものでした。

3年目: マーベラスエンターテインメント(現マーベラス)

もともとゲームクリエイターを目指していた僕にとって憧れのゲーム開発案件でした。ソシャゲのバックエンドだけど。

そこで「コインサーガ」というコイン落としで進めていくRPGのサービスをやっていました。スタッフロールに僕の名前も出ていたので出しちゃいますが。

人生初のリモートワークを経験したのも多分この案件だったと思います。リモート用のマシンを渡されてて……

やりたい放題、ストレスたまりまくり放題で初めて金髪化したのもこの頃です。自分がパキパキの金髪にして初出社したときに、サラサラ黒髪ロングだったインフラエンジニアも金髪になってて驚きました。


思いの外、はじめの3年間が濃く長くなってしまったので、残りの6年分は次回書きます。

後半戦はこちら!



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