自分の感情が、わからなくなる時
感情って、とても掴みづらいものです。
そして、表現の仕方が難しいものもあります。
『喜怒哀楽』
気持ちの良いもの、また他人に受け取ってもらいやすいものだと、すんなりと表現できるけれど。
大人に、なれば、なるほど、蓋をしていってしまいます。
例えば‥
「怒りや嫉妬心を持っている自分は、恥ずかしい。隠そう、抑えよう。」
「悲しくて、ウジウジする自分は、弱くてだめ!」
「本当は嫌だけど、相手に嫌われるかもしれないから、とりあえず、YESって言おう。」
「めちゃくちゃ好きー!感動した!」
という喜びの気持ちが、人から認めてもらえない部類やジャンルのhappyだとしたら、嫌われてしまうから隠してしまおう‥とか。
隠す、抑える、なかったことにする、反対の言動する。
そして、さらに自己嫌悪、罪悪感などの新たな感情が、+αとして生み出されていきます。
よくよく考えると、感情ってはとても自然発生的なもので、本当の意味で、良い感情も、悪い感情もないですよね。
ただ、起こって、消えていくもの。
自然な現象。
心模様をお天気の様と、よく例えますよね。
そんな風なのです。
晴れはいい。雨はダメ!そうは言っても、雨が降る日はあるのです。
押さえつたり、隠せば隠すものほど、その感情の声は、大きくなります。
自然の流れを、否定したり、押さえつけることで、起きる弊害は、どんなことでしょうか?
・わからないけど、モヤっとする。
・突然、キレてしまう。
・わけもなく、悲しい。
・自分のしたいことがわからない、元気が湧いてこない。
・無感動、無価値感。
・息苦しい
・人といると、どっと疲れる。
たかが感情、されど感情です。
心身の不調の要因の1つになります。
スムーズじゃなく、ねじれや分断が起きるから、エネルギーが奪われる。
そして、行き詰まっていく。
そんな感情を感じたくないから、自分の感受性や感覚を閉じていくしか、なくなっていきます。
そして思考的に、「こうあるべき」と処理します。
心の閉塞感は、どこかで体にも影響が出てきます。
人によっては、SOSとして、強い反応が体に出る時もあります。
よく「仕方がないよね。」とか
「まぁ、みんなも我慢してるし。」
「こんなもんだよね。」
そんな言葉を使ってしまう時が、ないでしょうか。
この小さな積み重ねが、自分の素直な感情や感覚を曇らせていきます。
自分に、小さな嘘を積み重ねていくように。
自分が、わからなくなっていくのです。
感情をありのままに、表現しましょう‥と言いたいわけではなく。
別に、さまざまな感情を否定する必要性が、全くないということ。
どんな心模様を持っても、OKってこと。
そこに、ジャッジメントの必要性が本当はないんです。
もし「あ、すごくムカついているな。」
と感じたならば。
それをそのまま受け取ってあげたらいい。
誰かに、わかってもらいたい、その感情をぶつけたい、そんな衝動的な気持ちが湧き上がってくるかもしれない。
ただ、まずその前に、その怒りの理由がどんな風であれ。
とにかく、自分はとっても怒っているんだ。
嫌なんだ。
悲しいんだ。
それを自分が受け取るプロセスが大切だと思うのです。
誰かに、世の中に、自分の感情を否定されたって、わかってもらえなくたって本当はいいのです。
なぜって、これは、自分の唯一無二の心模様です。
良い悪いも、正解も間違っているもないからです。
あなただけが、まず素直に受け取ってあげればいい。
そうしてから、感情の表現がしたかったなら、言葉に出して伝えてみる。
何かしら、自分が求めることに対応してみる。
もしくは、起こった感情の動きや色合いを観察してみる。
雨が降ったから、傘をさす。
雨宿りをする場所へ行く。
空の模様を眺めてもいい。
そんな風に。
どんな自分を出てきちゃダメと、拒絶してますか?
全ての自分に、居ていいよ。と言ってあげられた時、ツルツルぴかぴかの綺麗に整えた自分じゃなくて、でこぼこの自分が心地よくなっていく。
人に、いいねっ!て言ってもらえる自分になるのではなく、自分という存在の面白さを自分で発見し、大事にしていける。
武田 生宇