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UTJ退職エントリー

2017年に入社し、4年ほど勤めた Unity Technologies Japan 株式会社を退職しました。今まで書いたことがなかったのですが、初めて退職エントリーを書いてみようと思います。

ちなみにヘッダー画像は UTJ 裏名物の Unite枡です。Unite の度にスタッフに1つ配られているものですが、2017は確か予算の都合で、2020はコロナ禍の影響で Unite なかったので枡もありませんでした…。来年こそは Unite 開催されて欲しいですね…!

さてこの記事では、入社前から今後のことなどの「自分のこと」と「UTJのこと」を書きます。

なお、結構 UTJ メンバーの名前を脈絡なく出しています。数年前に退職された伊藤さんが書かれた UTJスゴイ人列伝 を先に読むとより楽しめるかもしれません(スゴイ人列伝は読み物としてもめちゃくちゃ面白いのでオススメです)。

自分のこと

UTJ入社前

入社前に何をしていたか、みたいな情報が需要あるかは微妙ですが後に改めて触れるのでその前フリとして書いておこうと思います。

ぼくはゲームコンテストを機に20歳の時に Unity に出会い、プログラミングもその時始めました。その後、趣味でやった初めてのチーム制作で行き詰まった時に(面識がなかったのに)大前さんに Twitter の DM で相談したり、Unity に関する技術ブログを書いたりしていました。大前さんに相談した時のログについては以前は個人ブログに載せていたのですが、今はブログが消えています。公開していた時はとても好評だったので、後日改めて投稿しようかなと思っています。

とにかく、この時から大前さんにはお世話になりっぱなしで本当に頭が上がらないですが、それについては「UTJのこと」で改めて書こうと思います。

その後、Unityマニュアル翻訳のバイトの募集があったのでそちらに参加したり、地元の愛媛で働く傍ら ゲームジャムやUnity で映像を作るハッカソンなどを開催する コミュニティ を運営していました。

UTJ入社時

Unityでゲームを作る仕事をしたいと思い、そのために上京の準備をしていたところに元々知り合いだった大野さんという方から突然お声がけいただきました。大野さんには愛媛にいた時から仕事をいろいろ振っていただいていたのもあって、「そういう話」だとは思わず面食らいました。お話をいただいた時のことは今でもすごく覚えています。

大野さん「Unityに入れるとしたらどう?」
ぼく「えっ!…憧れてますし将来的に入れたらいいなという気持ちはありますけど、ぼくなんかで務まるか自信ないです…」

みたいなことを数分間、煮え切らない感じでモニョモニョと Skype で話していると大野さんの後ろから別の方が。

安原さん「どうもーユニティの安原ですー」
ぼく「!?」
安原さん「うちに来てくれるかなー?」
ぼく「いいともー!?!?!?」

というやりとりをし、画面越しに数人の笑い声が聞こえてきました。1対1で話しているものと思っていたのですが、どうやらそれまでのやり取りは複数の方に聞かれていたようでした。当時このドッキリの仕込みは大野さんだとずっと思っていたのですが、結局誰が仕掛けたのか分からず分からず終いです…w

その後、オンライン面接を一回経て採用となったのですが、今はこれほどゆるっとした採用プロセスではないはずで、いろいろとおおらか(婉曲表現)なこの時期に入社できたのは本当に幸運でした。大野さんには本当に感謝しています。

UTJ入社後

最初は技術的な側面5割くらいのサポートの仕事をやっていました。その後、それに加えてサポート業務の一環として Unityわくわくキャンプ というもくもく会を全国で実施したり、コミュニティ周りの仕事をいろいろしたり、少しだけ技術講演なんかもしました。また、最後の1年はサポート部署の再編に関する業務を海外の支社とも協力しつつ進めました。

サポートの仕事は時に理不尽な目に遭うこともありましたが、幸いぼくはその辺りの痛覚が比較的鈍めで、周囲からの手厚いフォローもあったのでそれほど苦ではありませんでした。イベントの段取りなど入社前からやっていたこともやりつつ、技術講演のようなやったことない仕事も社内の強い方々に見守られながらやることが増え、総じてよい経験を積めたと思います。

なぜ退職するのか

仕事としてチームでゲームを作りたいという想いが募っていたけれど、UTJではそれだけはできないためです。UTJ ではできない、という辺りの事情を知りたい方はスゴイ人列伝の 大前さんの記事 を読んでみてください。

また、元々ぼくは地元のアプリゲームの会社に勤めていたのですが、その期間は短くそれから年数も経っているので未経験も同然でした。UTJ にいた時は仕事として Unity を触る機会も少なかったため、年齢を重ねるにつれ転職が難しくなると思ったことも理由です。

転職活動について

前述のとおりぼくはゲーム業界でのキャリアを積めておらず、仕事としてプログラミングバリバリやっていた訳でもない中 UTJ に在籍していたという経歴だけで転職活動をすると、ぼくは勿論転職先も不幸になるのではという懸念がありました。

そこでポートフォリオとしてゲームを作ることは考えていたのですが、転職を考えていることを大前さんに伝えると、なんと大前さんから「ポートフォリオ見ようか?」という提案をいただき、それから約1年、毎月何かゲームを作っては大前さんに月イチで見せる機会をいただけました。大前さんの多忙さは全貌を知らないぼくでもなんとなく理解していましたし、これから出ていこうとしている人にそんな風に接していただけるのか…とビビリながら、とにかく柱となるポートフォリオを作ることができました。

あとは、転職活動を意識してやっていた訳ではありませんが、趣味で書いた 同人誌 や、Unity道場での講演 なども含めました。

次の会社について

2021年7月(明日!)からは ジェムドロップ株式会社 でお世話になります。最近だと ゆるキャン△ VIRTUAL CAMP や、COGEN: 大鳥こはくと刻の剣 などを制作されています。

実は元々上京する前から存じていて UTJ に入社する前はジェムドロップに入りたい!と思っていたので数年越しの念願達成だったりします。

UTJのこと

一線級の方が多い会社

特にエンジニア職の方は、他の会社の第一線で活躍してから Unity にやってきたという人が多いです。UTJ は立ち上げの経緯から特にそのような方が多いのでは、とも思います。その経験に裏打ちされた有り様はカッコよく、憧れの方もまた、めちゃくちゃ多いです。

あと、想像ですが他社で少なからずハードな目に遭った方も多いのだと思います。それが理由なのか邪悪な人がいなくて、助け合い精神のある方が多いとも思います。

外資系企業の支社でありながら存在感を発揮し続けている会社

他の外資企業に於いては業種を問わず本社のいいなりで辛そうなところも結構あると思います(数年前に話題になった、某凍結騒ぎの時の謝罪担当の人とかが象徴的だなと…)。そんな中、UTJは自治を保ち、対外的にも存在感がありまくりで本当に凄いです。

これは UTJ のトップの方々が自治を維持できるよう本社の人と戦っているからであり、逆にそれができるのも UTJ の人がそれぞれ一定の成果を挙げ続けているからだと思います。上場や社長の交代など、節目の時期でもありますが今後もトップと中の人の相互努力で素敵な会社であり続けるんだろうなと思います。

心理的安全性の高い会社

挙げるとキリがないので思い出深いエピソードを2つほど。

まずプランクという、リングフィットでキツいと話題にもなったエクササイズについてです。ある時地元の友だちとダイエット勝負をすることになり、プランクはいいぞと鎌田さんに誘われオフィスの片隅で始めることになりました。

オフィスが移転した後にも徐々にメンバーを増やしつつ豊田会長(当時社長)のデスクのパーティションを挟んだ裏でやっていたのですが、うめき声を上げながらやっていた上に勝手に業務時間の途中にやっていたのもあって「見逃していただいているなー」という意識でやっていました。

その後、コロナ禍で自宅作業が必須になっても Zoom を使って定例会として続けていたところ「新入社員のオンボーディングに貢献した」として全体会議の時に表彰されました。そんなことあります???

なお、当初の目的であったダイエット勝負はぼくだけ体重増えて大敗しました。

また、転職の話を会社の人にした時には皆さんに応援していただきました。裏切り行為と見なされるようなことも一切なく、むしろそうと確信していたので事前に多くの方に相談していました。転職の面接前日にはなんと多くの面接官経験者の方に囲まれて対策会を開いていただけたほどでした。本当に有り難かったです。

特にお世話になった方々

大前 広樹さん

圧倒的カリスマを持ち、誇張抜きにゲーム業界の景色を変えた方です。Unityユーザーの中には、大前さんのファンという方も多いのではないでしょうか。大前さんには、先に何度か触れていますが人生の岐路において何度も助けていただきました。Unity・ゲーム業界の今後のような大事に目を向けながら、ぼくのような一社員・一ユーザーのような小事も気にかけられるような方が果たして世界中にどれだけいるのだろうかとも思います。

最後の1年は大前さんへの恩返しの意味も込めて頑張って働いたつもりだったのですが、逆にもっと大きな恩を受けてしまってどうすればいいんだ…と途方に暮れています。と書いている一方で、作成中のゲームをリリースするために監督役を続けていただけませんか、という話も承諾いただいていたりします(厚かましい)。恩返しのことは今後も考えるとして、今後ともよろしくお願いします!!

安原 祐二さん

安原さんには、こんな完璧な人がいるのか!と衝撃を受けました。また、安原さんの業務を引き継ぐために入社したのもあって、様々なことを教わりました。

入社当時のぼくはプログラミング能力に優れた方はコミュニケーション能力に乏しい、むしろそうあってくれないと困る、ぼくには両方ないんだぞ!みたいな偏った思考をしていましたが、UTJ に入ってその考えは粉々になりました。天が二物どころか何物でも与えた方が沢山集まっていました。

安原さんはその代表のような方だと思います。「宮田くんくらいの年齢の時にはオメガブーストのメインプログラマーやってたっけな」と何気なく強者っぷりを示されたかと思えば、ぼくのようなできない人の考えにも寄り添う思い遣り力の半端ない神のような方です。

ぼくのプログラマーとしての目標は安原さんです(厚かましい)。

名雪 通さん

名雪さんには、こんな自由な人がいるのか!と衝撃を受けました。UTJ 自由人代表という印象の方も多いのではないかと思います。それは多分今後も変わりません。

名雪さんとは本来部署としての関わりは薄いものの業務的、個人的に何度も助けていただいています。個人的な内容でいうと、転職の前にキャリアパスどうしよう…といった内容でどうしようもなく悩んでいた時期があり、その頃から幾度も相談に乗っていただきましたし、個人的に落ち込んだことを Twitter に投稿したら間もなく近くの駅に来て飲みに誘ってくださったこともあります。

名雪さんは話していてすごく楽しいのですが、それは頭のキレはもちろん根底にある優しさから感じるものなのだと思っています。

最後に

最後は"特に"お世話になった方々についてでした。お世話になった方々という括りだと話したことのある全員になって書ききるのが難しくなるので、一旦退職エントリーとしてはこちらで締めようと思います。

Unity Technologies Japan の皆さん、本当にありがとうございました!

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