人間不信って

マクドナルドで淡々と仕事をしていたのだが、隣の隣くらいにいたギャルが友達と恋バナをしていたらしく、彼氏?の対応に不満があるのか「まじで人間不信になりそう〜」となげいていた。

人間不信か。。俺ならどんなときに思うだろうか。
まぁ文字の通り信用を裏切られたときか。
例えば道でいきなり知らない人に殴られたとする。このときは「暴力=悪」という定義と突発性からショックを受けるだろう。もしかしたらトラウマになって外で歩けなくなるかもしれない。これは一般常識という信用を裏切られたことによる人間不信だ。

彼女に浮気されたときは、俺だけを愛してくれていたんじゃないのかとショックを受け不信になる。
好きなタレントがSNSでひどいことを言っていたときは、自身が描いていたイメージとかけ離れていて不審になる。

つまり、自分の中で思い描いていたものと実際に起きた現象において、自身に不利益が生じた際に傷つき、世間を信じれなくなる。特に人間は自然現象のように、「こうすればこうなる」というコントロールが難しい。結果、特に人間に対して不信というのは生じる。

でもこれは全然悪いことではないと思う。
すべてに不信になってしまったら、部屋に引きこもり他者との交流を断ち切るしかない。そして、断ち切ったら切ったで孤独を感じ、最終的には自身すら信じられなくなるかもしれない。
もちろん信用することに賭けていても良くない。他者依存は自身の価値を人に委ね、拒否されると絶望的に落ち込むメンヘラのようになってしまうし、ずっと人に合わせるような空気読みになってしまう。

そうなると、人間不信とは起こることとして笑い話にすることがちょうどいいのだろうか。天気みたいな自然現象と同じく、急に雨が降ることもあれば晴れることもある。対人についても同様に、予想はできず、期待とは違っても「そんなもんだよな」とあまり溜め込まない。

うーん、上記はありきたりな結論すぎるな。人間関係は傷ついてなんぼ、だけどまったく合わないやつも絶対にいるからそいつと出会ったら徹底的に回避しろ。わかり合いたい場合は別だが。ではどうだろうか。
しかしそれでは理解できないもの=悪もしくは恐怖と捉え思考が固まりそうだな。人と信用、そして理解。むっず。こりゃ争いはなくなりませんわ。

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