終章:終焉
九星は、草の影に身を潜め、息を整えていた。
目の前では、鎧武者の人だかりが、焚火を囲んで何やら談笑している。
彼らが海賊なのか、平氏なのかを見極めないといけない。
九星は、再び指で輪を作ると、草木の陰を移動しつつ、軍団を隅々まで見てまわった。
一太のことを思えば、自然と涙があふれてくる。
涙を流しながら、それでも九星は己がすべきことをしようと試みた。
男たちをつぶさに見てゆく。
ふいに、鎧を着ていない集団が目に入った。
よくよく見てみると、遠くに見えるその集団は、村の男たちだった。
九星は、彼らに近い位置へと移動した。
村の男たちの中に、父親が、いた。
しかし、何やら村の男たちと鎧武者たちとの間で、いさかいが起きているようであった。
いきなり斬られたりしていないということは、鎧武者の男たちは援軍を頼んだ平氏ということでいいのだろうか。
ええい、ままよ。
九星は思い切って、その集団へと駆け寄って行った。
「九星」
父が、いち早く九星の気が付いて声をかけた。
「父上、この方たちは平氏ですか」
「お前、どうしてここへ」
「これを、持ってきました」
九星は、懐に入れていた血塗られた地蔵の前掛けを取り出す。
「おお、それは」
鎧武者の男が歩み寄ってきた。
「まさしく我らの印」
その顔色を察して、九星の父親の顔が明るくなった。
「ということは、あなた方の知らせの者が、この村に来たという証拠でしょう」
「いかにも。これで我らはそなたらを助ける大義名分が立つ」
そんなやりとりをしている大人たちに囲まれながら、九星は言った。
「海に、船がたくさん見えましたが、あれは」
「ああ、あれは海賊どもよ。我らと一戦交えようというのか、近寄ってきよる」
九星の問いには、鎧武者の男の中の一人がこたえた。
「なぁに、我らが来たからには鬼に金棒よ」
「高みの見物でもしておればよい」
鎧の男たちは声高にそう言うと、一斉に鬨《とき》の声をあげた。
「よかった……」
九星は、力なくその場にへたり込んだ。
しかし、しばらくのち、九星は来た道を急いで取って返していた。
海賊の脅威を平氏が防いでくれるのは分かったが、一太の容態が気がかりだったのである。
九星は、再び走った。
東の浜から散在する家々を横目に、一心に走った。
一太は、九星の言葉を受けて斬られたに等しい。
実際に一太が斬られて、九星はとまどった。
しかしそれでも九星は、一太に対し、おもしろくない感情を捨てきれなかった。
その感情は、走りながらも健在であった。
一太の馬鹿め、生意気だからそんなことになるんだ――。
そんな思いをひそかに胸に抱えつつ、九星は来た道を一目散に戻った。
やがて自分の家が見え始めたころ、九星は家の異変に気付いた。
表に数人の女たちが出ているのである。
海賊たちが来るかもしれないのに、おかしなことであった。
その中に、九星の母親の顔も見えた。
「母上!」
九星は、母の元に駆け寄った。
「どうなされたのですか、こんなところで。一太は――」
九星の問いに、母は黙って首を振った。
まさか――。
九星は急いで奥の部屋へと急いだ。
しかしその前にある大部屋に、三人の人間が寝かされているのが目に入った。
これは――。
三人とも、その顔は白い布で覆われている。
人の、死体――?
子供のものが一体、大の男のものが一体、それに女のものが一体だった。
九星は、一番間近にあった子供の顔の上に置かれた布を、おそるおそるはぐってみた。
すると、おそれていたように、そこには目をつむる一太の土気色の顔があった。
「――一太!」
九星はその場に崩れ落ちた。
そんな、ばかな、なぜ――。
あのやりとりが、最期のやりとりになるだなんて。
私、まだ一太に謝りもしていないのに――。
なぜ。
なぜ――。
なぜ――。
九星の胸の内に、怒りの炎が灯った。
なぜ、一太が死ぬのだ。
まるで、私が悪いみたいじゃないか――。
私のことなどおかまいもなしに、なぜ一太は死んでしまったのか――。
意味が分からない。
一太、なぜ死んだ!
一太!!
九星は、爪が埋まらんばかりに握った握りこぶしを、そっと胸の内に抱いた。
「九星――」
背後から、母の声がした。
途端に九星は、この怒りを隠さなければならないと感じ、「ああ、母上、どうしたのですか」と引きつった笑顔で答えていた。
「どうしたのって、お前……」
母にそう言われ、九星は自分の返答が場違いであったことに気づく。
「一太は、死んだのですね」
内心あわてて次の言葉を継ぐ。
「そうね、いい子だった。隣は貞観殿と伊代さん」
「え」
そう言われて、見ると男の方の着物は法力僧のものであった。
「なんで、お二人が」
「遺書があってね、文字の読める者に読ませたところ、世をはかなんで二人で命を絶つとのことだったよ。私たちが見つけた時には、二人して首をくくっていてね、もう息がなかったよ」
「そんな」
さすがに二人の顔の上にある布までは、はぐるわけにはいかなかったが、九星は、見えないその顔が何だかおそろしく思えた。
「そんな!そこに平氏が来ているのに!」
気づけば九星は叫んでいた。
「助かるのに!」
いきり立つ九星の肩に、母がそっと手を置いた。
「伊代さん、長くなかったみたいだからねぇ」
母はそんなことを、言った。
「だからって!」
なぜみな、死んでしまうのか。
九星は駆け出していた。
なぜ、なぜ――。
やるせなさだけが胸を支配していた。
怒りがあった。
悲しみがあった。
どうにもならぬ憤りが、九星を内から食い破らんとしていた。
九星がそのまま家に戻ることはなかった。
九星はその夜、ひとり辻の地蔵に手を合わせると、にぎりめしを二つ置いて、その場を後にした。
そうして平氏の軍団の船に乗り込んだ少女は、二度と故郷へ帰らなかったのである。
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