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アニメ観たり、雨に怒ったり、の、日記 6/3-6/6

6/3
とくになし
6/4
今日は天気がいいし、気温も涼しいし、気持ちも晴れ晴れとしていた。
ネームもわりと描けた。
近頃は趣味のネームを描いている。

足りなくなった食品等を買い込む。
たまねぎはいまだ高く、トマトが安くなっていた。
夏が始まる…!

夜、ねこがおれの背中で爪を研ぎ始めて出血した。
このねこは、おれが呼んだら扇風機のほうを見ていたし、どうもおれを無機物と理解しているフシがある。
でなければ背中で爪など研ぐものか。

ゆうれいについて考えていた。
ゆうれいはかつてあった既存のものの名残なのか、別の現象なのか、おれたちのしらないこの肉体に隠れたもうひとつの要素が分離した、はたまた変質した存在なのか。

また、確認しよもうないことを考えて時間を潰してしまった。

6/5
雨が結構降る。ムカついた。
基本おれの怒りは大地や社会に向かうが、それはもうどうしようもないと諦めるためだとも思う。おれは氷室京介ではないから、社会や大地と対決しても勝てる見込みは無いのだ。
なので、個々人へ怒りを向ける人間はそれでなにかを変えようとしている人間、もしくは歯止めの聞かない感情に支配された狂人だ。

自分で何かを変えられると信じる傲慢な人間というのが人へ怒りをぶつけるのだが、それはある意味で一つの素質でもある。
もしこの世の不幸や悪徳を是する人がいるならそういう傲慢な人だと思うからだ
是するってこれ使い方あってる?

人を助けるために怒り散らす人間というのは確かに存在する


そういった人間は本質的に傲慢だが、その愚直とも言える傲慢さでなければ死にゆく人をその瞬間に救うことはできないのだろう。
なんでか目がイッてる人が慈善団体によくいるのはきっとそういう理屈だ。

そんな人間の本を読んだが、見ず知らずの人のために怒り狂うのは完全に狂人だと自分で言っていた。でもそうだからしょうがないらしい。
結局人はその魂にあらかじめ刻まれたもので動いているのだと思う。壊れたものを抱えたまま生まれてくるのはなにもおかしいことではない。

6/6
雨。うんざりする。梅雨はバカ。
前日もバカ(雨)だったので、雨具が半乾きかつ原付きのシートも半乾きで、ケツがぬれた。人のケツに災難は絶えない。それは逃れられぬ宿命。

絵を少し描く。
ラフと言ってもいいかもしれないが、おれが今までかいたラフで清書されたものはない。
記憶にある限り、ない。
ので、完成することがあるのかは謎だが、けっこういいラフだったので完成してほしい。
祈るしかない、明日のおれはもはや他者だから。


グリッドマンを観る。
おもしれーーーーーーーーーーー
つーかお母さんもはやハルコじゃねーか!

勢い余って7話まで見てしまい、この日記は実は6/7午前4時にかかれている。
頭いてーーーーーーーーー

こういう所がおれの悪しき部分だ。
でも面白いからしょうがないじゃんな?

おもしろいものに触れると元気がでる。(出ない場合も大いにある)なにかを作ろうという気持ちが湧いたり、湧かなかったりする。

↑なんて無意味な文章なんだろう。
一歩進んだあと一歩下がりましたみたいなことが書いてある。でもそういうものだろうな。


人生って奴はサ…





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