ゴイサギ読書会(中止分)『さるびあ街』著/松田さえこ (感想:梅原ひろみさん)

梅原ひろみさんからの感想をいただいたので以下に記載する。

 『さるびあ街』は、しっかりと写生された自然の景が背景に置かれているから余計に、心象があざやかに浮かび上がってくるのだと感じました。自然についても視野が広く、樹木、花も詠まれるが、雲や海、広い畑なども多い。花々の移り変わりや日の照り翳り、季節のうつろいに、個人的な心情がのって、広い世界との対比によって普遍性を獲得している。心情だけだと詩心にあふれていても、一冊分となるとちょっと息が詰まってくる。     その個人的心情は、己を見つめるにも客観的で、元々この人が持っている鋭い切取りによってそれが際立つ。切り口に、彫刻刀の使い方の妙のような効果を感じました。                          客観的な凝視ゆえの清潔感。己に甘えを許さぬ潔癖さゆえの生き難さを感じさせつつ、それが作者の歌に骨を与えている。不穏で暗いトーン。まだ人生のさなかにある年代の、若さからの照射との対比。夫はいつも寝ており、眠れない作者。                            尾崎さんの最近の作を目にする機会があり、この方は90代半ばに差し掛かる現在まで、ずっと変わらずに生きてこられたんだ、と、それが作者への信頼感に繋がりました。そういったことを感じるのは一首一首の歌の良さからだとも改めて思います。下記に引きます。

【尾崎左永子さんの歌】

まひるまの病窓遠く雲往(ゆ)けど生きねばならぬ理由(ことわり)もなし   
今まさに死期の間際(まぎは)に佇たさるるわが窓過ぎゆく今日の夕雲    ー「短歌研究」2019年 10月号より

戦争と平和こもごもに生き来たり病床に臥す己とは何          
世の中の大方の事は些末にて些末のゆゑに人は拘泥(こだ)はる        ー「短歌」2020年 1月号より

病窓の夕光(ゆふかげ)ゆつくり薄れゆくもう少し明るき妄想湧けと思へど 
死期はのぞみて来るものならず冬深き廊のあかるき老人病棟
死に際の威厳などあるはずもなしせめて平穏にその期(とき)は来よ
珈琲嚥(の)むために電車にて通ひしか自由ヶ丘のかの自由感
若桜といへる悍馬が若き吾を振り落とさんとせし思ひ出づ         ー「歌壇」2020年 4月号 より


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