第一回ゴイサギ読書会『光と私語』吉田恭大 レポート

開催日時:2020年1月25日 (土)

開催場所:塔短歌会事務所

出席者:いわこし(レポーター)、吉川宏志、河野美砂子、中津昌子、梅原ひろみ、谷口純子、三潴忠典、笹川諒、大森静佳(記録)、以上9名。

まず、レポーターのいわこしさんがA4✕2枚のレジュメをもとに発表をおこなった。発表の主眼は、『光と私語』における「私性」のあり方についてであり、それを探るために、「一人称」の歌、「二人称」の歌、友達や恋人の歌、というふうに「人称」ごとにいくつかの歌を抽出して検証を試みるものである。


◎一人称の歌

PCの画面あかるい外側でわたしたちの正常位の終わり

真昼間の部屋のひとりのわたくしの振る舞いの素早い能っぽさ

◎二人称の歌

人間の七割は水 小さめのコップ、静かにあなたに渡す

砂像建ちならぶ海際から遠く、あなたの街もわたしも眠る

いわこしさんはこうした歌を引きつつ、二人称の歌では事物を介して自分と「あなた」の関係性がわりとすんなり叙情されているのに対して、一人称の歌では「私性」「個人性」を排除しつつ「私」のいる時空間をひとつの「景」として捉える手つきが濃厚だ、と指摘する。いわば「私性」を排除した「写生」のような作風。そこには、略歴にもある作者の「ドラマトゥルク」=演出補佐としての視線が反映されているのではないか、とも述べられた。


◎友達や恋人の歌

外国はここよりずっと遠いから友達の置いてゆく自転車

友達の部屋から見える友達の東京に伸びきる電波塔

電器屋が怖いと笑う恋人も、明るくて白くて音が鳴る

2首目、三句目の「友達の」は「東京」に直接かかってゆくのかどうか。3首目「明るくて白くて音が鳴る」の主語は「電器」類なのか、それとも「恋人」なのか。口語の語順、リフレイン、助詞のずらし方、句読点や一字あけの駆使によって、一首の意味が多層的に膨らむのが面白い。


◎意味や認識のずらし方

のぞみから品川名古屋間ほどの時間をかけて子孫をつくる


◎「ト」(第2部 p.132~134)について

六畳の白い部屋。その床面にあなたは水平に横たわる。

横たわるあなたの上を跨ぐとき、まだ生きていることを確かめる。

家具を買うことを、おそらく本能的に恐れている、から白い部屋。

サミュエル・ベケットの「伴侶」を連想させる一連。p.132の「あなた」は「私」から見た「あなた」であったのが、p.133で出てくる「あなた」は「あなた」から見た「私」のこととして読める。「私」も、相手から見ればつねに「あなた」であることの不思議さ。「あなた」がいつのまにか逆転してしまう構成。ただしこの読みについては、出席者からの反論(=単純に「私」と「あなた」が固定されている、すなわち「私」とともに暮らす「あなた」は一日じゅう家にいた)も多く出た。おおよそ三十一音の一行ずつが並んだ散文詩のように見えるこの一連「ト」については、その一行ずつを「短歌」として読むか、それとも全体でひとつの詩として読むか、によって、主語が揺さぶられる。なぜなら、「短歌」だと思って読む場合には、主語が書かれていなければ何となく「私」を補って読む習慣が個々人のなかにあるからだ。そういった意味でも、「ト」は「短歌とは何か」という問題を読者に突きつけてくる一連だと言えるだろう。


◎装丁について

本のデザイン(形・カバー・各頁の中の余白や矩形)が舞台装置となり、歌集が現代演劇やコンテンポラリーダンスのような舞台芸術のように読める。このことがうたから私性を更に排する役割を果たしているように思う。(レジュメより)


☆そのほかの出席者からのコメント

・「私性」の内実は何なのか、多くの人が曖昧なまま使ってしまっている言葉のように思う。『光と私語』の場合は特に第2部で、作者の故郷だと(歌集巻末の略歴から)わかる鳥取の地名が多く登場しているし、東京での生活の細部もかなりくっきりしているので、必ずしも「私性」が排除されているとは言えないのではないか。

・地名や固有名詞が多く出てきて、同世代の歌人のなかではむしろ普遍よりも個性のほうに傾いていて、現代的な新しい土俗性も感じる。

・従来の評価軸で読める歌とそうでない歌の落差が大きい。

・従来の短歌の叙情性を「人工的」なもの、『光と私語』の乾いたうたい方や破調をふくむ文体を「自然」なもの、として評価してしまうと、『光と私語』の歌はプロレタリア短歌と同じような行き詰まり方をしてしまう危うさがあるのではないか。

・自分や恋人などの「人間」を詠んだ歌よりも、都市や風景、モノを詠んだ歌が面白い。作者の興味も、「人間」ではなくて「人間」を包みこみ支配する社会のシステムや世界のありようのほうにあるのではないだろうか。

・文体としては、笹井宏之、永井祐、斉藤斎藤など特に男性歌人の同時代の口語のリズムから広く影響を受けている。

・文体が非常に「アドリブ」的であり、その快感を共有できるとすごくいい歌だと思える。

・一歩間違えれば「冷笑」主義に陥りそうな、そのぎりぎり感。

・「人々がみんな帽子や手を振って見送るようなものに乗りたい」で、「見送られたい」のではなく「見送るようなものに乗りたい」と願うこの屈折の仕方が作者らしい。作者の叙情の本質がにじんだ一首かもしれない。

・装丁やデザインはやや凝りすぎで、気が散ってしまう。        岡井隆『伊太利亜』(2004年書肆山田)などと比較して考える必要がある。


☆話題にのぼった歌

あれが山、あの光るのはたぶん川、地図はひらいたまま眠ろうか

脚の長い鳥はだいたい鷺だから、これからもそうして暮らすから

ぱーじぇーろ、ぱーじぇーろって時として道行く皆様に囃されたい

ふるさとの雪で漁船が沈むのをわたしに告げて電話が終わる

乗り遅れたバスがしばらく視界から消えないことも降雪のため

朝刊が濡れないように包まれて届く世界の明日までが雨

飼いもしない犬に名前をつけて呼び、名前も犬も一瞬のこと

恋人の部屋の上にも部屋があり同じところにある台所

その辺であなたが壁に手を這わせ、それから部屋が明るくなった

(文責 大森静佳)

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