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涅槃

阿難よ、このように天上界に等しき土地を統べていた大王、大善見こそ、前の世の我れの姿であった。

我れ今にして、過去幾万歳の古に遡り、追想憶念するに、かつてこの地において、我が転輪聖王となりしこと六度び、常に骨をこの地に置いたのである。

阿難よ、私が無上正覚を得て仏陀となり、またしても、この地において生命離るるは、かかる過去世からの縁によるのである。今より以後は永く生死を絶ち、この後、我が肉身を置いてゆく所はない。この身は今生が最後のものであって、この後更に有を受けて肉身に生れ来ることはないのである。

阿難を諭すように、この地との過去世の因縁を説き明かされたのである。

「…………」

阿難はもはや、一言の言葉もなく、み言葉にうなずくのみであった。彼は世尊の仰せの如く樹木の間に涅槃の臥床を設け、

「世尊、仰せの如く致しましたが、この後は如何致しましょうか?」

とお尋ねした。すると仏陀は、

「阿難よ、それでは、そなたら何人かで手分けして、未羅族の人々に、世尊は今夜半ここで涅槃に入ると伝えて来なされ。それに何等かの疑いの点があったら、遠慮なく私に質問して教を受けるようにいって聞かせるがよい。後ではもはや間に合わぬ故、時が過ぎて残念がるようなことのないように、その点をよくよく伝えてくるがよい」

といわれた。阿難は悲しみで一杯になった胸を抑えながら、

「畏まりました」

というと、一人の比丘を連れて、拘戸城へむかった。拘戸城についてみると、五百人の未羅人が偶々集会があって一ヶ所に参集しているのに出会った。そのうちの一人が阿難尊者の顔を見ると、

「阿難尊者、このように晩く、しかもお元気のないお顔してお出でなされたが、何か変ったことでも起りましたか?」

といぶかしそうに尋ねた。阿難はその漢の顔から一同の方に眸をむけ、

「ご一同!ご一同!」と呼びかけた。

阿難に問いかけた漢も、阿難の近くにいた人々も一斉に

「皆の衆、阿難尊者が私共に何か急なご用がおありなさるそうじゃ、どうぞ、こちらに耳を傾けて下され!」

と呼びかけた。その呼び声に一同の視線が、次々と阿難の方にむけられた。

「ご一同、この阿難の申すことを聞かれて、甚だ驚かれることと存ずるが、……実は釈迦牟尼世尊が……」

阿難はそこまでいうと、今まで耐えていた涙が声にからんできて、思わず嗚咽の声となって言葉が途切れてしまった。

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