世界人類が平和でありますように

この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自…

世界人類が平和でありますように

この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われると共に、世界人類の光明化、大調和に絶大な力を発揮するのです。https://goikenkyukai.wordpress.com/

最近の記事

消えてゆく姿

本心というのは神様から来て、光り輝いている完全円満な姿。業想念というのは好きだとか嫌いだとか、あいつは憎らしいとか、私はダメだとかいう想い。思慮分別の想いです。これをいっぺん分ければいい。どういうふうにして分けるかというと、消えてゆく姿として分けるわけです。頭の中をグルグル廻っている想い、おなかの中で煮えくり返っているような想い、そういう想いのすべては、みんな消えてゆく姿である。どこで消してしまうかというと、神様の世界の中に消すのです。神様神様と言って、神様の中に消してもいい

    • 私などは、柏手を打つ時でも、殆んど肉体に力を入れていません。肉体にある力を逆に殆んどぬききってしまっているのです。そうしますと、神霊の世界の力が肉体に働きかけてきまして、普通人の二○○倍以上の力となって現われるのです。

      • 生命

        ですから、天使、菩薩のような、汚れのない浄まった生命の働きをしている人々から、過去世において、生命を汚しきって、その幽体に悪業想念がこびりついている人もあるわけですが、生命そのものは、いずれも大生命の分生命には違いないのです。分生命の中に、個々の心もあれば、想念波動も生れてくるのでありますが、天使や菩薩や、高い霊界からきているみ魂たちは生命そのものが自分であり、その生命の親が宇宙神であることをよく知っているのであります。

        • 私は歩いていても何んにも思っていない。人と話していても何んにも思っていない。こうやって話していても何んにも思っていない。何んにも思っていないのに、どうして話が出来るかというと、肉体の私が話しているんじゃないんですよ。神さまがそのまま口をきいているんです。日常生活も全部神さまがやっている。自分で思ったり、考えたりすることはないんです。今日ここに来て、どういう話をしようかなんて考えてないんですよ。肉体はここに現われている器である。中で働いているのは神さまなのです。そのまま働いてい

          愚痴

          愚痴を誰かに聞いてもらうと、フッと心が晴れるものですよね。それは業が消えるからてす。自分一人で悶々としていますと、とても苦しい。親しい友人に、実はこれこれでとお話すると、聞いているほうは大変(笑)けれど聞かしちゃうと、録音がこっちから向へ移ってしまうのと同じてすから、こちらは消えてゆくし、楽になる。聞かされたほうは明る日病気になったり(笑)、いくら聞かしても病気にならない私の所に聞かせるわけね。私聞いてあげます。時間を限りましてね。五分とか十分とか。 けれども、この私に云わ

          戒律

          こうしてはいけない、ああしてはいけないという、戒律の教では、もう今日の世界は救えないのです。皆が知らないうちに救われの道に入っている。救われているという宗教の道が必要なのですそれが今、平和の祈りとして誕生しているわけなのです。

          宇宙人

          宇宙人たちの科学力にくらべれば、地球科学はまるで低次元の科学のようです。円盤一つとってみても、一瞬にして他の星から地球に飛来でき、地球のジェット機で追いかけても、まるで問題にならぬスピードで消え去ってしまう、走るも止まるも自由自在なのです。もし宇宙人にテレビの子供の時間の映画のように、悪意があって、多くの円盤を使って地球に攻撃をしかけてきたら、地球などひとたまりもなく滅ぼされてしまいます。テレビのように、一人や二人のウルトラマンや、仮面ライダーがいても、映画のように毎回うまく

          想念停止

          すべての想念を止める。とんでもない難題である。一つの仕事に専念している時なら、他の想念は浮かばないが、一日中、想念を浮かばせないでいられるわけはない。古来の名僧でさえこの空の心境になり得ないで苦しんでいたのである。それも坐禅時だけでないのだからなおさらむずかしい。そのむずかしいというより絶対至難と思われることを背後霊は強いてくる。その指示は親友や弟の心から出ているのでは勿論ない。誰れか背後霊団の中心者の命令であるようだ。その指示の口調には甘さや妥協は少しも感じられぬ、あの神示

          守護神

          先生の話には冗談がありますが、あれも神さまでしょうか、と聞いた人がいますが、冗談の神さまというのもあるんですよ(笑)神さまといっても多うございますよ(笑)大神さまというのは、在りてあるまま、そのままのものなのです。光なのです。大生命なのです。大智慧、絶対者なんです。それが働きに現われる時には、守護神として現われるんですよ。だから守護神はたくさんいるのです。その守護神が代り番こに、サア今日は俺をつかわしてくれ、今日は私が……ある時はキリストが来て話をし、仏陀が来て話をし、いろん

          袖振りあうも他生の縁といいますね。縁が合わなければその人と会わないし、顔を会わさなくとも同生している。それも縁です。ですから縁があるとかないとかいうのは、縁が薄いか濃いか、深いか浅いかということなんですよ。その縁にもいい縁と悪い縁とがあるけれど、本当にお祈りしていると、知らぬ間に悪い縁がよい縁に変わってゆくのです。そこでいやな奴に会ったら、それは自分にとって過去世においていやな奴だったんですから、それを解脱してしまうといやな奴でなくなってしまうのです。 #縁 #ご縁 #仏教

          直観力

          年中、来ていらっしゃる人は、必ず霊能が開発されます。霊能が開発されるということは、いわゆる霊眼に見えたり、霊耳に聞えたりするばかりではありませんよ。直感的にわかる。直感的にわかるということはどういうことかというと、パッとひらめくというのと、ひらめかないで、そのままスーッと行なったらいい方へ行っちゃう。そのままパッと行ったら良い人に会う。パッとしゃべったらいい言葉が出て来た。そういう風に、知らない内に、神さまの言葉が自分のロをついて出るんです。そういう風になっている。そういう人

          職業

          職業を捨て、宗教団体に走るということは、これは実に恐るべきことでありまして、日本の働く力、日本の産業の興隆する力を、衰亡させてしまうものなのであります。 #職業 #宗教 #働く #仕事

          調和

          妥協というのは、自己の業想念行為と相手の業想念行為とが、或る点で協力し合うということであって、こちらの本心とあちらの本心とが調和してゆくのとは違うのである。調和というのは、神のみ心の中で、本心と本心との間で真実に一つになってゆくのであって、そこに業想念行為の入りこむ隙がないのである。だから平和の祈りなどは調和そのものの祈りなのである。調和調和といいながら、自分の業想念行為の都合で妥協してゆくのは、そのままいいとはいえないのである。 #調和 #平和 #感謝 #マインドフルネス

          お金

          思わぬお金が入った、と云ったって、飲んじゃったり、競馬にいったりして、足を出したりして(笑)宝くじが当って、気違いになった人もある。思わぬお金なんか入らないほうがいい。なくなったと思ったら自然に現われてくる。現われたと思ったらまたなくなって、又現われる。そのように知らない間にお金も循環してゆくようにすればいいのです。けれど過去世の業があるから、それが全部消えるまて、そうは問屋が卸さない。 #お金 #お金の管理 #お金の勉強 #お金欲しい #金持ち #金持ちになりたい

          妄信

          一教団の妄信ということは余程考えねばならぬ問題です。その教えが真理であれば、必ず他との調和が計れるものでありまして、相手を抑えつけよう、相手にいうことを聞かせよう、というようなやり方は、そのことそのものが、宗教の道に反することなのであります。

          宗教とは

          宗教の本質というのは、人類生命の源である、大生命、つまり無限の生命、無限の能力である、我々が一口に神と呼ぶ存在を、自己の心の中で、しっかりと把握することであります。 把握などという言葉を使うと、ちよっとむずかしくなりますが、易しくいえば、人間が神様のみ心と一つになる、ということであります。神様のみ心と一つになって、神様のみ心のままに働けるようになる、ということが、宗教の本質をつかんだということなのです。 #宗教 #ヨガ #魂 #神 #霊 #瞑想 #念仏 #仏 #マインドフ