青年部改革②
30代半ばまでには、あの頃下っ端だった僕らも執行する立場になり役員会を形成するに至っていました。
代が替わるにつれ青年部の方針、進むべき方向性が変わってきました。
若手…これからを担う者
まず、創部から僕らの代までの方針は花屋組合の若手(主に2代目3代目)の親睦でした。
活動は、たまにスポーツであとは呑み会といったもので、勉強会もたまに開催しました。そして、花屋組合の下部組織としてイベントなどに駆り出されるというものでした。
僕らの代になってくると、徐々に初代で花屋を始めた人も出始めました。その中で、同世代の親睦も必要ですがもっと何かをしたい!と思い始めました。
というのも、前回の投稿で出てきた僕ともうひとりは、自分が初代で花屋をはじめていました。
店を引き継いでいないので顧客も持たずに花屋を始めたので日々何か考えながら仕事をしないといけない状況でしたので、青年部の人員と花屋組合の下部組織として予算がありそれを何か花業界を動かす企画に使いたいという欲求を沸々と胸の内に蓄えてチャンスを待っていました。
僕らの代になる前には、ファッション×花でイベントを企画運営しました。
いよいよ僕らの出番です❗️
僕が青年部部長になる際に、花屋組合の青年部担当理事への就任が打診され選挙の結果就任しました。
そして直面した現実は、青年部員数に対する予算を花屋組合から拠出しているので組合の意向を汲み活動すること。
というものでした。実質的にイエスマンたれ!と宣告されました。
これでは、自由闊達を旨とする若手の発想と実現は困難だと思いました。
『青年部改革をしなくては!』
先ず踏み切ったのは、創部当初60名近く在籍してた部員の整理でした。
実際幽霊部員が多数いました。理由は、「部員数に対する予算」により人数を減らせなかった。貰えるものは貰っとけ!というものでした。
また、規約で年齢制限があるにもかかわらず部員数維持で活動してる感を出そうとしたりしてました。
幽霊部員は、在籍していることになるので総会など手続きする際に連絡を取らなくてはならず、顔も知らない先輩だったり市場に来ておらず連絡が取れない方などもいて作業効率が著しく低下する原因でもありました。
この2点を整理して活動に能動的に参加する部員を主とする体制にする為動きました。
総会で決議を取り退部手続きをご本人に促し勧めることにしました。結果的に20名くらい退部手続きして新生青年部になり活動がしやすくなりました。
次に、誰が役員になってもその担当の仕事が出来る様にシステムの統一と引き継ぎを行いそれ以降続いて行くであろう青年部活動を円滑に回るようにしました。ただこれには理解不足の一部の人で進むのが遅れました。
なかなか公的な立場を理解できるように後輩を育てるのは難しいものだと再認識させられる事案でした。
運営費を稼ぐ
続いて着手したのは、企画運営を立案から予算全てを行い既存のものではなく常に新しいことにチャレンジしました。
それと並行して青年部として仕事を引き受けるという事業を模索し始めました。
これにより企画を立案出来て予算も外部からの委託で確保出来るようにもなります。
この2点から、『音楽×花』『カフェ×花』などの企画が始まりました。また、この頃から行政との接点が花屋組合の理事として生まれ県の職員にフラワーバレンタインとして『女性に贈るブーケ』を購入していただくプレゼンを行い契約まで漕ぎ着けました。
イエスマンからの脱却
以上を進めて行くことである事が実現します。
そう!花屋組合からの一部独立性を保つことです。
これにより上からの予算を30%程度削減していただき、ある意味支配からの脱却を図りました。
また、自発的な企画の立案と実行で今まで『受け』の花屋のシステムからの脱却も可能にしていきました。『自分から考え動く』はこれまでには無くこれからの花業界には必要なものです。
この2つの『脱却』はこれから先の青年部の活動に大きく影響を与えました。
日頃からついでに後輩の花屋に顔を出して、
ビジョンなどや今の問題点などを話して理解を促して
僕らの作る青年部の物語にいつの間にか参加しているように錯覚させる活動をしてました。
これにより新規に若手を青年部に加入して貰い、ビジョンと問題点を共有している部員を徐々に増やすことで企画などの運営側を含め参加者を作っていきました。
また、企画運営の実績からJAの青年部の企画プロデュースな仕事などもいただくようになりました。
こうして、青年部改革を進めて新しい風を起こして行くのでした。
つづく。
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