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さんぽ神

昨年の秋のある日、私はいつものようにぼんやりとYouTubeを観ていると、Vtuberの月ノ美兎が『さんぽ神』というゲームで遊んでいた。
果たしてゲームと言っていいのか迷うそれは単語帳ぐらいのサイズの本で、本の前半五十頁は「どこで」、後半五十頁は「何をする」という項目に分かれており、プレイヤーが行く場所と、プレイヤーが実施する行動が描かれている。プレイヤーはそれぞれの項目の好きな頁を選んで、それを神のお告げとし、実行するという実に他愛のないものだ。

月ノは動画で「30分適当に歩いて」「食べたことのないものを食べよう」というお告げを引いて遂行し、更には「降りたことないバス停で降りて」「匂いを嗅いでまわろう」というお告げも引いて遂行していたのだが、私にはそれがとても新鮮で楽しそうなことに思えた。
それらのお告げに従えば、自分の見知らぬ場所で自分では絶対に思い付かぬであろう行動をとるのだ。こんなにわくわくすることは普段の生活の中では滅多にない。

感化されやすいことに定評のある私はそれを観て直ぐに「あのゲームを買って遊んでみたい!」と、そのゲームを売っているボードゲーム店のネット通販でさんぽ神を購入したのだった。価格は税抜きで八百円。毎日、ろうそくの炎で暖と灯りを取っている私の財布にも優しい。もちろん、このnoteも手回し発電機の電力を利用して書いているのは言うまでもないだろう。

そして昨年の十二月二日の土曜日。私はさんぽ神を決行することにした。その日に私がランダムで引いたお告げは「カッコいい地名のところで」「世の中について考える」というものだった。

カッコいい地名か……。
私はネットで首都圏の路線図を眺めながらカッコいい地名を探した。清澄白河、聖蹟桜ヶ丘、天王洲アイル。これらは私が抱えている不治の病、中二病にフィットした。
他にもあるだろうか?
私はmixiとTwitterで友人に案を募った。すると鬼死骸村(岩手県一関市)、神領(愛知県春日井市)、九頭竜湖駅(福井県大野市)、大将軍(京都府京都市北区)など、カッコいいことにはカッコいいが、散歩の範囲を優に飛び越えて旅行先かと思うような案を出してきた。
ダメだ! ふざけてやがる!
私はあてにならない友人の案を悉く却下し、自ら思い付いた豪徳寺に赴くことにした。
豪徳寺。名前は聞いたことがあるがそこに何があるかは私は全く知らない。場所も小田急線沿いというだけで、イメージが全く沸いてこない。
乗り換え案内を調べると、私の家の最寄り駅から四十分ほどで、近過ぎもせず、遠すぎることもなく、ちょうど良い距離感だった。
良し、今日は豪徳寺だ!
私は予備知識が全くない状態で豪徳寺に行くことにした。旅行だったらある程度は自分の行きたい場所や店を調べておくだろうが、私は何も調べずにその日の午前十時過ぎに家を出たのだった。私の勘とセンスと思い付きだけで見知らぬ土地を散歩する。行きの道中から楽しみで仕方がなかった。

私はJRに乗り新宿まで行き、小田急線の急行に乗り下北沢で下車すると、各駅停車に乗り換えて豪徳寺へ。乗換案内のアプリを頼りに難なく豪徳寺に下車した。

ここが豪徳寺か!
豪徳寺駅は複々線のホームで高架上にあり、一番線と二番線のみで、改札も出入り口も一か所しかないこじんまりとした駅だった。
駅を出ると、高さ一メートルはあろうかという巨大な招き猫が私を迎えてくれた。招き猫の顔を見ると、どこかおっさん臭くてかわいくない。
だいたいにおいて、招き猫や猫のキャラクターというものはかわいいものが定番だ。おっさんくさくてかわいくない招き猫も珍しいのだが、その招き猫の脇に「豪徳寺まで900m」という案内板があった。

豪徳寺という寺があるのか!
私に衝撃が走った。
これを読む方は「豪徳寺という駅名なのだから、豪徳寺という寺があって当然だろう」と思うだろうが、私は大泉学園のように地名はあれど、その学校がないのと同様に、豪徳寺というのは地名のみであり、寺が存在するとは考えていなかった。それ故の衝撃だった。
そっか……。豪徳寺は存在するのか……。それなら行ってみるしかないな!
私の豪徳寺を目指す散歩が始まった。
だが、目的地を目指したら散歩と言えなくなるのでないか?
今更ながらにそんな疑念が脳裏を過ったが、私は考えることを放棄して足を動かした。これが脳筋というやつか。 


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