難しいオタクをするということ

唐辛子、いつでも美味い。食ってりゃ、脂肪燃焼してくれる。自分より遥かに優秀。ただ、イボ痔になる。

レイトショーの楽しみ
映画を観るとき、自分以外の誰かと行けば観終わった後、「あれがどうで、それがこうだ」と言い合ったり出来て楽しい。
1人で映画を観ることは、お風呂の中で食べるアイスクリームみたいな静寂の高揚。特にレイトショーを、人の少ない街の映画館で観ること、明日はお休みで、ちょっとナチョスとか、ポップコーンとか、買って観ちゃおう。という気持ちになれば、ディズニーランドの開園待ちのような気持ち。

声優のやらかし炎上ツイッター情報を得た。面白いので、好き(最低)。
けれど、(煽りではなく)ファンは哀れ。
声優も、アイドルも、二次元キャラも、代わりがないこと、唯一神である。これは宗教に似ている。つまり、それを好きになることは、信仰や崇拝。
そして、彼らは彼らの発言や振る舞いで、彼ら自身をブランディングしなければいけないし、ファンはブランディングの一部だけれど、同時に彼らを盲信してはいけない。どれだけ自担を客観視出来るか。世論という言葉は苦手だけど、明らかに言動が常軌を逸していると気づいた場合は、きちんとそれを指摘すること。これは、義務。崇拝対象、崇拝者共々、そうした判断基準を兼ね備えることは、人間として必須。
自担の言動を客観視し、そこでまた、好きになれたことを誇りに思えたりもする。これは、とても幸せなこと。
やらかし炎上声優のファン、キャラクター経由であれ純粋にその人を好きで、幸せを願っているファンもいる。お金を落とし、時間を費やして、応援している。そんな人たちがいてくれることに、代替のない仕事をしていることに、リスペクトはないのか、感謝はないのか。この言い方には、傲りがあるかと思われるかもしれないけれど、偶像崇拝と宗教との違いは自担とファンはwin winの関係だという点。自分の立ち位置くらい、把握してください。と、わたしがファンなら思います。


2020年4月29日 16:04のメモ

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