2022年11月29日 藤原辰史さん“植物考”発刊イベントに参加して(丸善ジュンク堂)
*自分のための覚書き的要素が強いので、読んでも意味がよくわからないことがあるかもしれません。
歴史学者の藤原辰史さんと、いとうせいこうさんによる対談。アーカイブ配信あり。
別のイベントで痛い目を見たので、本は買わずにチケットだけ購入したのだが、お話が大変面白かったので、対談中に出てきた他の人たちの本と一緒に入手することにした。
植物を、一般的な概念や存在として認知されている植物として、だけではなく、哲学的、また生物としてももっと微細に繊細にそしてダイナミックな視点で観察した上で見えてきた植物像というものを語っていた。
【聞きながらメモしたキーワード】
植物は歩く、動く。 多孔性。 見える。8Kカメラの解像度。 育種の人は、心の持ち方の時間が長い。芸術家の感覚と似てる。 木は?植物は?ラジオを発信してる。数打ちゃ当たる、で発信されている。偶然出会った相手とは、詩のやり取りしているかのよう。植物の視覚は分散している。 人間は視覚のマスキングを多く受けているのでは?他のもので保全する必要があるのかもしれない。
植物は歩く、動く、とか、多孔性から云々とか。植物についても知らないことが多く、上のキーワードが出てきてもピンとこないことが多かったが、とにかく、人が植物を外から観察しているだけではなく、その解像度や視点の持ち方を変えることで見えてくる世界が変わるということ。また植物の戦略は、数打ちゃ当たる、不特定多数へのラジオのような、など観察が足りてないというか、植物の能動性についての観察や理解、そこからの気づきのようなものを得てみたいと感じた。
【単なる薬効成分をもつ植物という視点からだけではなく、形態や特性などからもその植物が、薬効を持つ意味が見えてくるのではないだろうか?その上で、どう利用していくか、どう体に取り入れていくのかを考えていくことが大切なように思う。】
植物についてだけではなく、言葉(?だったか、発信だったか?考えだったか?)って綺麗に整理されているものではなくて、出しながら修正しながら、というのがリアル(←という言葉は使っていなかったが)だというような話をしていたように思う。ただ、聞いていて納得したので、(書籍や論文の場合は、また別の範疇になるのかとは思うが)この点についてもアーカイブ配信でもう一度よく聞いてみたいと思う。文字で書いた文章って頭で回るけど、口に出して読んでみることで、違うな?とかさまざまな気付きがある、って話だったかな。
☆ 最後の15分ぐらいのところで寝てしまった。自分が眠ってしまう反応をする時って、大事なことを話していることが多いので、しっかりアーカイブで聞き直すこと。(結局、聞いてない・・・ダメ子。)
以下は、今回の対談内で出てきた人や本。
藤原さんの植物考
牧野富太郎博士という植物学者についても、初耳であった。
著書や論文に触れると同時に、こちらの植物園にも行ってみたいと思う。高知県。
いとうせいこうさんと植物。なんで今回の対談相手になっているのかお話を聞くまではよくわからなかったのだけれども、こういう活動をなさっている様子。
著書 ボタニカル・ライフ ー植物生活ー
銅金裕司さん
東京芸大の研究者でもあり、アーティスト。この方についてもよく調べて、触れてみたい。
まだご所属なのか???
紹介されていた本
“言語はこうして生まれる” モーガン・クリスチャンセン
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