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momoro66
観察。
夕方から雨。
次の季節に入っていく予感の雨。
これから読みたい詩集がたくさんある。
2023.10.14(金)
リコールになった車を車屋さんに持っていくと、
兄弟と父母のお客さんがいた。
兄と弟でオモチャの取り合いとなり、弟のほうが勝つ。
親に怒られた兄の不満が見ている方まで伝わってくる…
という場面に出会った。
子どもの頃の不満は、こういう風に溜まっていくのかな?と思う。
しごとの時、
叱るのと、ほめるの方法について考えることがある。
職に就きたての頃から比べ、
年々怒ることも叱ることもなくなってきた。
叱るのは危険な行為か、他人を貶めたりした行為がみられた時に留めている。
ただ、個人ではなく、場を叱らねばならぬ時もあるから、うむ、とすごーく冷たい怒りを醸し出し、察せよ…という雰囲気で場を沈めることはある(技術です)。
褒めることがあれば褒め、ほとんどは、フラットに。
普段しごとの特有の雰囲気を纏いたくないので、いつも「ただの大人」の感覚を心がけている。
職は、しごととして大切だけど、わたしの「私」の領域を侵食してまではいかんと思っている。
「私」>「しごと」
とはいえ、これは難しくもある。
しごとの時間が長いゆえ。
話を戻すと、叱られた記憶は残るのですよね。
今だに不条理な怒りの向け方をされたことととか…子どもの時の記憶はわりと鮮明です。
小学校も中学校の先生も嫌いだったし。
高校の先生だけが、よい大人だったと思う。
体育館で並べられて集団で怒られる意味がわからん、と思って育ってきた。
こんな時代に子どもやってて、学校通うだけでえらいです、で良いと思うよね。
叱る、は、めっきり減って、
近頃は一緒に考えるが増えた気がする。
困ったねえ、どうしようかねえ、だよ。
その方が色々と改善していくのです。