![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130378923/rectangle_large_type_2_5937a847813f5e18cdce6f8fc61df749.png?width=1200)
長く。
2024.2.10
もうすぐ自分の歌集批評会。
準備をしつつ、なんだか月曜日から慌ただしくて記憶がない。
今週は漫画家さんのニュースや、宮城の同僚からのパワハラで自死したひとのニュースや…追い詰められる社会の蔓延を思う。
パワハラの加害のひと、停職3ヶ月は軽すぎる。基準がなくて3ヶ月?その決定を出した人たちの感覚がどうかしてる。このニュース、もっと社会のなかで考えられる必要があると思う。
津村記久子『水車小屋のネネ』をひたすら読む。
分厚い小説なのでまとまった休みに読もうかなあと思っていたけれど、トワイライライトさんの朗読がなんだか良くて読み始めた。あの場面はとてもクライマックス。
津村記久子さんは働くひとの希望が書ける作家だと思う。設定が、生きづらさから出発してなくて、生きるためにどうするか?を周囲の人たちとの少しずつの親切やかかわりから描いている。
人を追い詰める社会に足らないのは、少しずつの親切とかかわり。だと思えてくる。
そして、人は長く付き合ってみないとわからない。しごと上、そつないひとを沢山見ると、そう思う。だから言葉や行動をよく見ないといけなくなる。
たぶんパワハラの加害のひとが主任というポジションであったことを思うに、人当たりもそこそこで周囲からは仕事する人と思われていたふしがある。でも、若い人を追い詰めて自死まで追い込むということは、相当えぐいことだ。
つくづく、言葉は薬にもなるし、毒にもなる、と思う。
そして、毒を吐く人が実は優しかったりする面を持ち合わせてたりするのも経験上知ってる。私の長年の親友は相当毒吐くし、しかし、相当良いやつだから。なので、長く付き合ってみないと人はわからない。
良くなっているのか、荒んでいってるのか、わからない世界。
だけれども、良いものを見ようとするのが、『水車小屋のネネ』の世界だし、そこに賛成したい。