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誕生日の思い出

今日は詩をひとつ書いた。
次のフリペにのせる候補のひとつ。推敲したり、他にも書いてみて、一番しっくりくるものにしよう。


2023.11.22(水)
今日、誕生日なのだった。
うっすらと、「そういえば誕生日…」と一昨日思い出していた。母によると、わりとすんなり産まれてきたそうで生まれながらにしてヨシという感じだ。今日くらいは自画自賛しておく。ひとりでありがたがってみる。

高校や大学院の友だちからおめでとうLINEが来る。
ありがたいことだ。

多少誕生日の気持ちで、好物のシュークリームを買って食べた。新しいパソコンや液タブを買おうかしら(キラキラした目で)と思いつつ、土鍋を買った。実用的な買い物。


誕生日の思い出といえば、甘いものとほろ苦いものがある。

ほろ苦いやつ。


お誕生日会というのが流行っていた年頃…小学生3年生くらいだったろうか。うちに4人お祝いに来てくれた。
なんとなく美味しいものを食べて、遊ぶ。
そのあと、お返しの鉛筆とかメモ帳を渡したり、そういう不思議な会だ。
その日、ひとり欠席の子がいて、その子のお返しが余った。それで、皆と分けたんだけど、会がおひらきになってから、
「余ったんなら、おいとけばよかったのにー。お人よしだねえ。」と母に言われ、腑に落ちず。
しょんもりした気持ち。なぜ。

そういう母は、私としてはひとつも要望した覚えのない陶器のドールをくれた。外国製の。

そのドール、夜目が覚めると、なーんか目が合うの。

これは母が欲しかったのだろうな…と後に思った。
母と私はほんとうにタイプが違うので、こういう絶妙なわからなさを繰り返している。
ちなみにこの頃の父は、ちょっと酔って(まだこの頃は飲んでたし、腹を割って話してはいない)ぎこちなくサンリオの鉛筆やノートをたくさん買ってきてくれたことがある。我が家は前にも書いたがステップファミリーゆえ、気を遣わせてしまったなあ、というか、欲しいものが私もよくわからなかった。

あの頃、何が欲しかったのだろう?


ドラマや漫画のような、ザお誕生日という経験がある人は案外少ないのかも?
欲しいものが何だったか?
子どもの頃は、漫画好きだったので漫画のことしか思いいたらない…
ちょっと貰ってうれしかったのは、マーカーと色鉛筆と絵の具がセットになってる道具箱だったと思う。
あの頃何が欲しかったか。
ぼんやりした子どもだったのだ。欲しいものは欲しいと言うのだ、ということがわかっていなかった。
今でも上手く言えてはいない。

しみチョココーン 


大学院生の時に、お風呂と台所とトイレ共用の学生寮に住んでいた。

誕生日の、真夜中である。

とんとん。とんとん。どん!

ドアをノックする音がして、あけてみると、友だちたちがお菓子のケーキにローソクを立てて廊下にいた。

しみチョココーン、星型の。
それになぜかヨーグルト味の何かがかかっていて、
すごーく笑えた。三人で、くだらないことや、恋愛や、論文のことなどを狭い部屋で話した空気を覚えている。

そのうちのひとりはもう、あちらの世界へ行ったけれど、時々彼女の福岡弁を思い出したりする。
歳はとりたくないなあ、と思いつつも、彼女がしたかったことを思うと、歳をとって、生き延びたいと思う。

良い歳のとり方とは?

わからない。

良く生きるということなのだろう。

簡単じゃあないんだ、良く生きるということ。

良い顔でいたいものだ。

あの頃も、あの頃も、欲しかったものはあったはず。
覚えてないだけだね。

でも、たしかに、ありがとう。祝ってくれて。