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清々しいものと流れ。

昨日は塩屋に行き、新しくできた書店に立ち寄り、てくてく坂道をのぼり、美しいものを見た。
11月なのに暑すぎる。今日は阪神が優勝した。

2023.11.5(日)
昨日、塩屋に行ってきた。
行く前に、塩屋に住んでる友人に「行くんだけど」と連絡したら、友人は相変わらず忙しいようで、でも、わざわざ新しくできた複合施設の写真を送ってくれた。

塩屋ははじめてで、駅を降りると不思議な街並みが続いていた。ノスタルジックなような、それでいて、アジアな感じとでも言おうか。
ちょうどイベントの日でもあり、人が多くて、本来の住人でない人々も多かった。人のエネルギーが多い。
新しく出来た書店に立ち寄ってみる。イベント真っ最中で人が多く、落ち着く頃に本棚を眺めようと思う。2階の陶器屋さんで、水辺のイヤリングを買ったりした。

そして、てくてく坂道を行き、途中これで道は合ってるのかと不安になりながら(私は迷子率高い歌人ですから)、それでも坂をのぼり、目的地にたどりついた。

先日、良き本屋さんにてフライヤーをもらった展示が気になり、行ってみようと思ったのだ。ガラスや七宝焼、貝をブローチにしたものや、キャンドル…長く手元で眺めたくなるものばかりで美しかった。

梅の花が好きなので、白に明るい色がほつほつしている七宝焼のブローチを買った。なんとなく、柔らかいひかりがある。

その後また坂道を下り、書店に再度寄ってみたら、やっぱり人が多くて、本棚はまた今度ゆっくり…かな、と思って塩屋を後にした。

タイミングというものがある。

その後、いつもの良き本屋さんに行くため、海浜公園の駅で降り、まっすぐ歩く。青い道が続いていて、伸びやかである。この、すーんと駅から道が伸びた感じもまた良い。のびやかで、風が通って、向こうに海があるし、ひとの動きもゆったりしている気がする。

昔住んでた頃の良い思い出があるから余計にのびのびとした気持ちにもなるのだと思う。

本気出したら30首は詠めるかも、須磨で。

いつもの良き本屋さんに行くと、思わず「落ち着くわー」と心の声が出てしまう。近所の小学生っぽくなる。不思議に落ち着く。

私は少なからず、その場の持つ力みたいなのを信じていて、それはそこにいるひとの巡りや纏っているものに左右されたりすると思っている。

あんまり言うとスピ系っぽいので控えるが、それでも清々しい場所と澱んでいる場所の違いは体感する。ふだん人の多い場所でしごとをしているから、そういう空間の持つ力のような何かが体感できてしまうようになったのかもしれない。ここはちょっといやだな、と体感で近づけないところと、ここは清々しいなあ、と感じる場所がある。

説明がつきにくいが、清々しいというのが、語彙としては合ってるような気がする。

そういう清々しい場所は、そこを維持するひとの力のありようで、見事なのだと思う。そういうところへひとは行きたくなるものだ。不思議でもあり、納得でもあり。

「落ち着くわー」は体感的な言葉だったと、これを書いていて今、理解できた。

ロザムンドおばさんのシリーズと、前からnoteでは読んでいた古賀及子さんの本などを購入。

そして、こんなにアクティブな日も珍しいので、水分が足らず、お腹も減ったし、近くの前から行きたかったお店へ。

カウンターでいちじくのソーダと炒飯を食べた。
炒飯の上に水菜がのっていて、野菜の味がしっかりしていた。Instagramでお店の美味しそうな写真を見ていたけれど、予想以上に美味しくて、外の食べもので久しぶりに感動した。

カウンターから、調理する場所が見えて、なんだかとても、そのただずまいが素敵だった。清々しい場所から美味しいものが作りだされる、という感じ。

お店のたたずまい=ひとの力

と言うと、えらそうに聞こえるかもしれないけれど(ごめんなさい)、清々しい場所とひとのありかたは連動している気がする。それはもう、そのように感じてしまう。

なんだか食べものから深いものを得た気もする。

この流れで、また今度にしようと思った土井先生の本もやっぱり買おう…となった。

何事も流れがある。
昨日は食べものへのリスペクトの流れがきていた。
食べもの、お店のたたずまい、場の力と人のあり方、それらについて考えた。

清々しさ、そういう場と人の関係みたいなのもを時々考えて、じぶんもたたずまいがキリッとしてきたいなあ、と思う。清々しい場所から学ぶことは多い。

昨日は本と食べもので随分とエネルギーが満ちた。
また明日からしごとです。