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もっとも危険なゲーム-

#創作大賞2024 #ミステリー部門
 裏世界でフリー活動している私(この物語の主人公にして語り手)は、飯塚博士(天才的なロボット工学者)に銃の腕を見込まれて雇われる。
任務は、アフリカでツァー客に殺されるために飼育されている動物たちを救うロボット作成に協力するというものであった。
だが、博士の真の目的は、完璧な戦闘用人型ロボットを作り上げることだったのだ。
アフリカに派遣された私は、嘗て特殊部隊で同僚だった男に出会い、真相を知る。
しかし、博士の策謀により二人は対決しなければならなくなり、そして…。
                                          


                           郷 朔次郎 

 何故だか分からないが私は選ばれた。それは三カ月前のことで、私はアリゾナの射撃場に居た。
腕を錆びつかせないために、私はこの場所をよく使用する。
そこは主に法執行機関の成員に、射撃訓練の場を提供することを目的とした施設でありながら、私のような民間人も利用できるのだ。
ちょっとしたコネは必要だが。
セールスポイントは、野外でライフルや短機関銃を使った、実戦を想定した演習が可能であるということで、それが私をしてここを選ばせた主な理由である。
なにしろ私は、親から受け継いだ遺産で遊び呆けている、サバゲーフリークの道楽バカ息子なのだ。
断るまでもないだろうが、これは偽装である。
堅気の歩かぬ裏街道を辿る身としては、やむを得ぬ擬態というわけだ。
今までのところこの設定は、何とか破綻せずに持ち堪えているようだ。
その日は、私のエージェントによる指定だったのだが、彼のメールにはこうあった。
「仕事だ。〇月〇日〇時、△△射撃場で会おう。詳細はその時話す。」
『お仙泣かすな、馬肥やせ』並みに簡潔だ。
ビジネス文はこうでなくては。
だから私は、彼のエージェントとしての手腕を認めると共に、味も素っ気もない彼の人柄が大好きなのだ。
余計な気を使わないで済むから。
「あんたは、サバイバルゲームのシナリオ作成に協力するアドバイザーだ。」
落ち合った射撃場で、エージェントの彼が私に言った。
「それはどういう意味だ? 」
「知らんよ。先方がそう言ってる。」
「どうやら私のことを相当調べてるようだな。」
「あんたに合わせたカムフラージュの心算じゃないかな。」
彼はまったく気にしていないようだ。
私は、いささか落ち着かない気分になっている。
それに加えて彼が示した私の取り分が、仕事内容に比してべらぼうと言えるほど高額なのも気になる。
私の内部の信号機が、ゆっくりと黄色く点滅し始めた。
「とにかくクライアントは、ここで何時もあんたがしていることを見たいんだそうだ。金も既に前払いで受け取ってある。」
「君が、熱心にこの仕事を奨めた理由はそれか。」
「最大多数の最大幸福。私は常に、周りの者すべてに良かれと思って動いているんだ。私が仕事を受ける。あんたがそいつを片付けて報酬を手にし、 クライアントは満足して眠り良い夢を見る。その結果…、」
彼は、世界中で己れほど善良な人間はいない、という表情を作って言った。    
「私もささやかな利益を得る。それでみんな幸せになれる。」
放っておいたらそのうち彼は、「自分はキリストの生まれ変わりだ。」と、言いだすに違いない。
「その最大多数とは、たった一人君だけのことだと知ったら、ベンサムが化けて出てくるぞ。」
彼は渋い顔をしたが、
「さっ、とにかく始めてくれ。博士が、クライアントが見ているんだから。」
と、私を急かす。
私は始めることにした。
どうせ、普段自分がやっているちょっとした体慣らしを、費用相手持ちで出来るのなら悪い話ではない。
無論、私自身の過去現在に差し障りのある深いところまで見せることはしない。それならいいだろうと、自らを納得させた。
間違いだった。只酒を飲もうというさもしい根性は、畢竟高い代償を払うという結末を招来することになる。
だが、その苦い覚醒と後悔は後からやってくるのだ。
とにかく私は踏みだした。未来を覗くことは人には不可能である。
 
 こうして私は博士に選ばれた。当然、私は彼に理由を尋ねた。
博士の無愛想な言明によると、私の特殊技能、就中銃の腕を買ったということだ。
最初に何処で私に眼を付けたのかは不明だが、彼は良い買い物をしたと思う。
何故なら私は、『反世界』でのミッションを着実に遂行することで、それなりの評価を得てきているからだ。
この『反世界』というのは、我が善良なるエージェントによる表現で、我々はそこにおいて『反正義』を行っているのだそうだ。
即ち、虚妄に満ちた『世界』の如何わしさ満載の『正義』と、我が『反正義』の正面衝突によって対消滅を生起させ、光量子エネルギーを生みだすことが我々の聖なる使命なのだと言う。
そのエネルギーとは金、つまり我々の受け取る報酬のことだという彼の説明を聞いて、私は強い目眩に襲われた。
平坦な街路を歩きながらの会話で幸いだった。これがもし坂道の石段を降りている時だったら、私は転げ落ちていたかもしれない。
しかし、これはいかにも彼らしい発想であり、オチのつけ方なのだと言わねばならぬ。
私は彼のことを「味も素っ気もない男だ。」と言ったろうか? 
確かに言った。
メール連絡の時の彼は、まさにブッキラボーそのものである。
ただ、彼にはこんな一面もあるということだ。
おそらく彼は、胸中に双頭の蛇を飼っているに相違ない。二つの頭は互いに相手を呑み込もうと、常に争っているのだ。
双頭に大小の差異はあれ、人間誰しもそんなものだと私は思うが、どうだろうか。
ところで、私は何の話をしていたんだっけな。
そうだ、端倪すべからざる博士について語っていたのだった。
ではその博士の話を続けよう。
これは後で知ったことなのだが博士は、シンザンの末脚みたいな鉈の切れ味を持った辛辣な言葉を、誰彼構わず投げつけることで聞こえた人物だ、という悪評に取り巻かれているらしい。
その彼による評価は黄金に値する。たとえその裏に、一万倍の鉛が張りつけられていたとしても。
こんな私の口振りからも分ってもらえると思うが、私と博士は上手くいっていない。
最初からなんだか合わなそうだとは思った。こういう第一印象は概ね当たっているものだ。
私は彼が嫌いだ、大嫌いだ。時の経過と共にその思いは増していった。
といっても、たかだか二、三カ月しか経ってはいないのだが。
無論、確実に向こうもこちらをそう思っているだろう。
では、何故我々は一緒に『仕事』をしているのか。
それは彼が、飯塚博士が、このプロジェクトの総括主宰者であり、私は『仕事』の途中わけあって彼に救出され、彼の命令のままに動かなければならない、という状況になってしまったからだ。
まったく以って素晴らしい。『ジーラ・ジーラ』を口笛で吹きたくなるくらいに。
 
 さて、少々時間を遡ったところから話を続けることにしよう。
日本に久方ぶりに帰った私は、飯塚博士を訪ねた。
要するに、向こうから呼び出されたわけだ。
兵営のように見える建物の、衛門の前で誰何された私は驚いた。
そのこと自体もそうだが、脇に掲げてある掲示板の文句が衝撃的だったのだ。
『侵入者及び指示警告に従わない者は射殺する。』
(ここは日本のはずだな? 私は白日夢でも見ているのだろうか?)
そこへ飯塚博士がやって来た。
わざわざ迎えに出てきた博士を見て、私はまたまた驚いた。
(これはVIP待遇と言ってもいいのではないか)
そうではなかった。
すぐに私はそれを思い知ることになる。
私は挨拶の言葉を口にしたのだが、博士は返事もせずにクルリと振り向くと、もと来た方へと歩き始めた。
ついて来いとも言わない。
こんな稼業の日々、私は幾多の印象的な有象無象に出会ってきたが、この博士ほど魅力皆無のクズはいなかった。
極めて頭脳明晰で優秀なロクデナシといった風情だ。
おそらく彼は、この研究所の全所員に深く愛されているのだろう。
腹の中で「忌々しいクソジジイめ。」と罵られながら。
博士に続いて彼のファクトリーに入っていった。
彼は自分の研究所をこう呼んでいるのだそうだ。
博士が部屋のドア前で、壁の隅のパッドに暗証番号を打ち込む。
(これで四カ所目か)
認証を受けて潜り抜けた関所のことだ。
ドアが開いて我々は内に入った。
整然と何列かに並んだ机の上には、整然とパソコンが載り、彼の部下の所員が黙然とキーボードを叩いている。
(確かに研究室なんて何処も殺風景なものだが、これは只の事務室ではないか、理工系の研究所という雰囲気は、あまり感じられないな)
と、頭の中で呟いている私を見透かしたように、博士は振り向いてニヤリと笑った。
我々は部屋の後部の壁に達し、博士が隅のキーパッドに数字を打ち込む。
(五カ所目。いよいよ奥の院らしい)
なんだかキーパッドが今までのと違うようだ。操作も複雑になっている。
そこは博士の専用室のようだった。
このパソコンルームを通り抜けないと、博士の部屋には到達できないわけだ。
これもセキュリティの一要素なのだなと、私は特に意識することもなく頭に刻み込んだ。
(そうか、このキーパッドは博士専用なんだな)
つまり、この部屋に入れるのは博士自身が解錠した時だけなのだ。
だから私を迎えに出てきたのか。
この男が案内ボーイなんかするわけがない。
私は胸の奥で苦い笑いを笑った。
その部屋には、壁に巨大なスクリーンが設置され、その前には大きく幅を取った制御卓がある。
博士がコンソールのメインスイッチを入れ、更に卓上のボタンをいくつか操作すると、スクリーンに広々とした草原が映し出された。
様々な動物の群れが画面の端から現れる。どうやらアフリカのサバンナのようだ。
「あれはロボットなのだよ。ライオン、象、犀、それにヌー、キリン、水牛、みんなロボットだ。」
どうだといった表情で、彼は私の様子を窺った。
本当に生きているようにしか見えない。
確かに驚いた。これで今日三度目だ。
「動物を狩り立て娯しんで殺す、これをスポーツというのだそうだ。そのためにあの大陸では、ライオンその他を養殖している。そう、養殖だ。海で魚をそうしているように。だから私は、それらの動物をロボットで置き換えようとしているのだよ。」
意外だった。博士にこんな側面があったとは。
「私は、これらの動物ロボットの出来に自信があった。そこで、ハンティングというあの優雅で上品で残酷な趣味を持つ紳士たちに、実地にサファリツァーに参加して貰い、実際に狩りを行って感想を聞いた。ところが…、」
そこで博士は肩を竦めた。
「ところが、彼らは不満そうな顔をするのだ。で、何と言ったと思う? 『赤い血が流れていない! 』彼らはそう言ったんだよ。文字通り彼らは、串刺し公ヴラド三世の末裔、血に飢えた紳士だったわけだ。」
話している博士の表情は、曇っても怒りを湛えてもおらず、むしろ愉快そうに見えた。
私はそのことに違和感を覚えたが、その時は流してしまった。
後から考えれば、この後に続く彼の発言や態度を含めて、もう少し注意を払うべきだったのだが。
そんな私を気に留めることもなく、博士は話し続けた。
「これが人間だ。残虐で血を見るのが大好きなのだ。ところで、浅瀬を渉るヒューマニズムの信奉者はこれを非難し否定する、そのような浅薄な善意の持ち主もまた、この惑星上の至る所に棲息している。それもうんざりするほどの数で。いいだろう、私は彼らの存在も認める。双方ともだ。つまり…、」
そこで言葉を切って、博士は私を見た。
あの人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべながら。
「獲物の喉笛に食らいついて命を絶ち、腹を引き裂いて内臓を貪り食った口から血を滴らせながら、平然と日常生活を送る普通の人々。そうだ、これが人間だ。これが人間なのだ。
平和を説き命の尊さを語りこれらを非難する者たちも、もっともらしく聞こえる手管を弄して、綺麗事を言う口を持っているというだけだ。これを偽善と謂う。一皮剥いた中身に変わりはない。彼ら両者に本質的な違いなどない。」
私は混乱していた。
博士の話の端倪、即ち、彼が語る事の始めと終りがうまく結びつかなかったのだ。
(そうか、これが飯塚博士だ。これが飯塚博士なのだ)
やはりこの男は、常人には理解し難い怪物なのか。それとも、理解したくもない下司下郎なのか。
「君にはアフリカへ行ってもらう。」
博士は言った。
「改良した動物ロボットをテストするために。」
「上手いこと赤い血が流れるかどうかを確認するために? 」
「そうだ。」
私は、サバイバルゲームのシナリオ作成アドバイザーだったはずではなかったのか。
おっと、そうか。『アドバイスに必要とされる作業等を含む』という但し書きがあったな。
これが高額報酬の裏というか真の理由か。
「感謝しますよ、博士。」
私はにこやかな表情を作って言った。
やられっぱなしでいるわけにはいかない。
「私の特殊技能を、どんなに高く評価してくださっているか、よく分かりました。」
「いや、分かっていない。」
厳しい声だった。
「君は、ジープやランドクルーザーに乗って動き回り、ハンティングするわけじゃない。サバンナや、場合によってはジャングルもしくは砂漠を、徒歩で行動するのだ。ベース迄は我々が支援する。が、その後は自分の足で歩いてもらう。装備を背負ってね。」
「何故…、」
言いかけた私を遮って、博士は続けた。
「質問は無しだ。今日のところはここまで。後は現地のスタッフが説明する。以上だ。」
つまり、もう帰れということだ。

 私は地下鉄の駅から地上に出た。街には宵闇が迫っている。
不快な靄が頭蓋内を覆っていて、何か気晴らしが必要な気分だった。
泊まっているホテルのバーで飲む気にもなれない。
居酒屋が密集している飲み屋街へ向かい、一軒の店に入った。
日本に居るときは、偶にこういう場所を訪れる。
勤め帰りのサラリーマンたちの喧騒の中に身を置いて、
(あるいは、自分もこのような人生を送っていたかもしれない)
懐旧か悔恨か定め難い一時の感慨に浸るのだ。
(そんな事にはならないだろう、現にならなかった)
と、俯きながら肩を落として店を出るのが常なのだが。
ふと、首筋の後ろを刷毛で撫でられたような、何かゾワッとした感触を覚えて、アドレナリンが全身を駆け巡った。
店を後にしてホテルへの道を歩いている時だった。
(尾けられている!)
店からか、あるいはもっと前、博士のファクトリーを出た時からか。
(分からない)
私は自身を罵った。
確かに、日本にいるということで、周囲に向ける注意力のレベルを幾分下げていたことは否めない。
言い訳をするようだが、常に百パーセントで注力していては身が保たない。肝心な時に不覚をとる恐れがある。
(要するに、完投を目指す江川の投球術のようなものだ)
しかし、今回は完全に言い訳だ。
(江川だって、下位打線にホームランを食らうこともある)
うむ、これもまた言い訳だ。
ホテルが見えてきたところで気配が消えた。
尾行者は中止したのか? そんなはずはない。
次の行動フェーズに移行したのだろう。気を切ってはいけない。
ホテルに戻ってみると、ロビーで若い女が待っていた。
刺客ではないだろう。彼らなら死角から不意を衝くはずだ。
もっとも、囮の可能性もあるので私は油断しなかった。
裏世界の渡世の習いが、身に染みこんでしまっているのだ。
女はファクトリーの事務員だった。
博士からの言伝で、ロビーでは話せないと言う。で、私の部屋に行くことにした。
エレベーターでも廊下でも、私の頭の中の警報は鳴らない。
私は少し身体の力を抜いた。
部屋の前で、今一度注意力の感度を上げてドアを開け、慎重に足を踏み入れる。
五感を全開にして周囲の空気を探ってから、明かりを点けた。
念のため部屋中、バスルーム、クローゼットまで隈なく調べてから視線を戻すと、女はまだドアを入った所に立っていた。
通りに面した、壁一面がガラス張りの前のソファまで手招きし、掛けるように言ったが、彼女は立ったままだった。
「どうした? ファクトリーに何かあったのか。急用なんだろう、黙っていては分からないぞ。」
「すみません、嘘なんです。博士に言いつかったのではありません。」
「え? 」
「ファクトリーの裏の顔が…、どうしてもお知らせしなくてはいけない事があって…。」
鞭を叩きつけるような衝撃音と共にガラスに穴が開き、女が吹き飛ばされるように倒れた。
咄嗟に私は床にダイブし、射線を避けようとして転がった。
頭を捻って見ると、女は暫しの痙攣の後動かなくなった。
カーテンも引かず明かりを点けて、しかもガラスの壁際に彼女を立たせてしまったのだ。
何という迂闊軽率なのか。私はまたも己を罵り、強化合わせガラスに開いた穴に眼を遣った。
しかしここは日本だ。こんな事態がありうるのか。
海外なら私ももっと警戒したはずだ。またまた言い訳だ。プロ失格だ。
しかし、日本でこんな狙撃が出来るのは…。
ある人物が脳裏をよぎった。まさか…。

 警察は、女は巻き添えで撃たれた、と見ていた。
つまり、あの銃弾の本来の標的は私だ、と、疑うと言うより殆ど確信しているのだ。
当然だろう。女は歴とした研究所(ファクトリー)の社員であり、しかも只の一事務員だ。
それに引き換え私は無職の無宿者なのだ。おまけに、今まで何処で何をしてきたのかも不明ときている。
胡散臭さが春の桜のように満開だ。これで疑われないなら、世の中に不審者は皆無になる。
私は所轄警察署の取調室で、警部(だろうと思う)に尋問されていた。
「一所不住、行雲流水。」
と、言おうとして私は思い止まった。
古びて薄汚れた机を挟んで向かい合って掛けている彼は、どうやらそんなに愉快な気分ではなさそうだと見て取ったから。
そこへ緊張した表情の警官が、ノックの音と共に警部の返事も待たずに、ドアを引き開けて飛び込んできた。
敬礼もそこそこに彼に耳打ちする。
聞き終わった警部は、私に訝しげな一瞥をくれると、慌ただしく部屋を出て行った。
私は、今しがた突入してきたばかりの年若い警官に笑みを向けてみる。
彼は硬い表情で無視した。
(愛想のない男だ。あまり出世は望めそうもないな)
そうこうしているうちに警部が戻ってきた。
荒々しくドアを開けて、閉めることもせず私に近づくと、両手を机に叩きつけ私の顔を覗き込んだ。否、睨みつけた。
彼は宇宙の終わりまでそうしていたそうだったが、不承不承身を引き起こすと、ドアの方へ顎をしゃくり、タイタニックを沈めた氷山よりも冷たく、タングステンカーバイド製切削工具よりも硬く非情な声で言った。
「行っていい。さっさと出てけ。」
無論、私に異存はない。立ち上がり、伸びをし、肩を廻し、体を解してから歩き出す。
開いたままのドアを出ようした時、警部の声が追ってきた。
「おまえさん、一体何者なんだ? 」
私は立ち止まって振り返り、微笑と共に軽く一礼すると、その場を後にした。
こうして私は博士の下僕になった。
つまり、私が放免されたのは、博士が裏で手を廻したからなのだった。
時を経て分かることが多すぎるような気がするが、これもその一つだ。
(博士、あなたは一体何者なのだ?) 
後にこの場面を思い返した私は、あの警部の気持が少し理解できたような気がしたものだ。
警察署を出た私は、ホテルに向かっていた。とりあえず旅立ちの用意をするために。
街路を歩いている私の周囲の風景が、突然アフリカの草原に変貌した。
赤道を見下ろす太陽が、容赦なく殺人光線を浴びせてくる。
私はオーブンに放り込まれた肉片だった。
と、一天俄かに掻き曇り、黒雲から銀の箭を射かけてきた。
遮る物もない草原で、濡れ鼠の私は呆然と立ち尽くしている。
そこで我に返った。
私は日本の街中にいる。悪い予感に全身を包まれ身震いしながら。
少々弱気になり、あのまま拘留され、更には刑務所に送られるような破目に陥っても、その方がマシだったのではないか、と、埒もない考えに囚われた。
しかし、時間は元には戻せない。人生とは、取り返しのつかぬことの積み重ねなのだ。
年年歳歳花相似タリ            
歳歳年年人同ジカラズ
花愛でる心に変わりはなけれども、古木の前に立つ私は昔の我ならず。
だが、朽ち果てて腐臭を放つ現実という卒塔婆に、腰を下ろした私の眼前に花の色はない。
鼻腔を満たす香りもない。私を問い詰め問い糺す僧もいない。
さて、埋れ木と言うにはいささか間遠の私だが、恃むべき心の花はあるだろうか。
(寄る辺なき身にもあはれは知られけり…か)
胸奥の地底湖の水面に乱れ立つ波を、何とか私は鎮めた。   
ただ、私には一つだけ頭蓋の隅に引っ掛かっている疑念があった。
それは、ホテルでの女の死は誤射ではないという確信に由来する。
あの時、我々二人はガラスの壁に平行に向かい合って立っていた。
狙撃者の射線上に重なってはいなかったのだ。
それに彼女は急所を見事に射抜かれていた。
断じて誤射ではない。あれは彼女を狙ったのだ。
では何故彼女なのか? その理由が私には分からなかった。

 アフリカに向かう機上で、私の体内センサーは反応しなかった。
この機内に尾行者もしくは襲撃者はいない。
私はこの第六感によって、度々危機を逃れてきた。
大丈夫だ、危険はない。今のところは。
と思っていたら、乗り継ぎのドバイ空港で私を待ち受けていた人物に遭遇した。
キリストの生まれ変わりになりかけている男だ。尋常ならざる事態が出来した、とゴシック文字で顔に書いてある。まったくなんてこった。
「ありがとう。」
機先を制して私は彼に微笑みかけた。
「なんだって? 」
我が愛すべきエージェント氏は、面食らっている。
「きっと、良い知らせを持ってきてくれたに違いないと思ってね。」
彼は鼻を鳴らした。
「どうして私は、いつもこんな応対を受けなくちゃならないんだ。あんたのために方々へいろいろ探りを入れて情報を掴み、マラトンの戦士さながら此処までそれを知らせに駆け付けて来たんだぞ。」
冗談を言っている場合ではない。真面目にならなくては。
「すまない。それでは、その胸躍る良い知らせを教えてくれないか。」
「私の話を聞いたらそんなムカつく態度は、ボイジャー一号二号みたいに太陽圏の外まで飛んで行ってしまうからな。」
確かに彼の言った通りだった。
彼の報告は意外であり、驚きであり、あまり口にしたくはないが、恐怖でもあった。
「どうする? この仕事キャンセルするか? 」
「前金で受けてしまったんじゃないのか。」
「それは何とかする。あんたの身の方が心配だ。」
「やめてくれ。君の肩に顔を埋めて泣き出しそうだ。」
笑いながら言った私を見て彼の機嫌は、ブルジュ・ハリファの最上階から百階ほど急降下した。
契約破棄はしない。事前に明示された条項以外の追加項目については、倍額の請求が至当であるとの認識に達し、我々は意見の一致を確認した。
彼の魅せられたる魂は、再び最上階へと駆け上っていった。
予定ではダルエスサラームを経由して、キリマンジャロへ向かうことにしていたのだが、急遽行き先を変更して、私は彼と共にチュニスへ飛んだ。
エージェントという商売は、顔が広くなくては務まらない。
どこの業界でもそうだろうが、我々の裏世界では特にそれが須要である。
我が貪欲、いや、有能なエージェントは、こういう場面で最もその真価を発揮する男だと言っていい。
私はブラックマーケットのことを言っているのだ。
彼の驚くべき報告を聞いた今となっては、『ある品物』を是非とも緊急に手に入れなければならなくなった。
当然のことながら非合法で。
ほんの少し前までオデッサは、東西の殆どあらゆる表と裏の『商品』を手に入れることができる、大変重要克つコンビニエンスな場所であった。
実は、ロシアの侵攻によるウクライナの戦乱さなかの現在でも、事情は大して変わっていない。
さすがに現地に赴いて取引するのは無理だが、『商品』は流れてくる。
フェニキア人が縦横に航海していた時代から、黒海や東地中海など大きな池同然なのだ。
人間に欲望がある限り、その欲望に基づく需要がある限り、『この道抜けられます』は、古往今来洋の東西を問わず成立通用する、普遍にして不変の道標である。
ところで例の『ある品物』だが、我がエージェントの並々ならぬ働きによって、我々は何とか手当できたと言っておこう。

 私はアフリカのサバンナで、まるで本物のような犀のロボットを、ライフルの照準器を通して観察していた。
私を古びたピックアップトラックに私の荷物と共に積み込んで、現在地にほど近い仮スポットまで乗せてきたベースの責任者は、積荷を降ろしている私を手伝おうともせず、私の作業が終わるや否や帰っていった。
アフリカ勤務に満足していないという不満憤懣の意を、全身から発散させながら。
出来ることならこの男は、こうした役目を現地人の部下にやらせたかったのだろう。
博士の命令で已むなく嫌々ながら務めている、といった態度を隠しもしなかった。
私はこの自らの不運を呪っている男に何らかの吉報がもたらされることを、草むらに向かって用を足しながら祈った。
その地点には現地スタッフの手で、簡素な小屋が建てられていた。
狭い室内には何もない、ただ頑丈なだけの監的哨のような建物である。
要するに、猛獣、蛇、毒虫の類を防ぐことだけが目的なのだ。
サバンナで単独露営はできない。
そこで暫時休憩した私は、やおら行動を起こし、ロボット犀に遭遇したというわけだ。
突然、犀の陰から男が跳びだして、私に向かって突進してきた。
(知っている!)
特殊部隊で一緒だった男だ。成績一位を私と争っていたが、ある時私的理由で除隊し消息不明になった。
その男が今、私に向かってアサルトライフルを手に突撃している。
しかし、何かがおかしい。
私の感覚のどこかが疑問疑惑の棘に苛われてチクチクしたが、私はそれを振り払った。
今は目前の事態に対処するのが先だ。
彼は、ジグザグに進路を変えながら突っ込んできた。
銃口で追従しながら、私はあることに気がついた。
彼が、右に左にと進路を変える瞬間、必ず〇・一秒息をつくような間があるのだ。
私はこのタイムラグを衝くことにした。
彼が進路を変えるぞ。
(今だ!)
私は発砲した。
彼がのけぞり倒れる。確かに手応えがあった。
それと同時に複雑な思いが襲ってくる。彼を殺してしまった。
私は慎重に近づいて行った。
(これは!)
倒れている彼は、いや、彼と思い私が倒したのは、彼にそっくりなロボットだったのだ。
背後の気配を感じたときは遅かった。不覚だ。
「後ろを取ったぞ。」
含み笑いが私の背を打った。彼だった。本物のほうだ。
「銃を捨てて手を上げろ。」
「どうした、撃たないのか? 」
「後ろからは撃たない。おまえさんはな。」
「それじゃ、そちらを向いてもいいのかな? 」
「手は上げたまま、ゆっくりとだ。」

 私たちは向かい合って立っていた。
ホールドアップは解除されたが、私のライフルとホルスターに入った拳銃は、今は彼の足元にある。
彼は私の胸元に銃口を擬したまま、のんびりした口調で話し始めた。
ただし、警戒を緩めたわけではない。
これを読めずに油断と見誤り、誘いに乗って空しくなったアマチュアの墓標が、彼の背後に蜃気楼のように漂っているのが、私には見えた。
手強い男なのだ。 
「『夢のサファリパーク』なんて大嘘だ、てのはとっくに分かってただろ? 」
彼の言葉に私は頷く。
ドバイ空港での我がエージェントとの邂逅、及びそれに続く衝撃的な彼の報告のシーンが脳裏にフラッシュバックした。
「本当の狙いは…。」
彼は、倒れている彼に似せたロボットに顎をしゃくった。
「戦闘ロボット、殺人ロボットの開発及びその運用ノウハウの獲得なのさ。」
「こんなに完全な人型ロボットが必要なのか? 」
「まだ完全とは言えん。見た通り、あっさりおまえさんに倒されちまったからな。」
彼は右脇で小銃を構えたまま、左手の親指でロボットを指し、次に上に向けた。
「今さっきのおまえさんとの戦闘状況は、こいつに内蔵されたセンサーで収集され、逐一滞空しているグローバルホークに送られて、即時転送された。」
彼は、殆ど快活と言っていい笑みを浮かべながら続けた。
「今頃博士は、大喜びでデータの解析に取り掛かっているだろうよ。」
「では君も、あの博士に雇われているのか? 」
「そんなところだ。」
「で、その完全なロボットが完成した暁に、目指すのは何なのだ。」
「想定しているのは大規模な戦場じゃない。局地戦もっと言えば市街戦だが、街中を無限軌道付きの足で移動してちゃ、隠密行動は出来ない。二足歩行で自律単独行動するロボットが、究極の目標だ。完全に人間そっくりのロボットが必要なのだ。と、博士は言っている。」
「つまり、テロ要員というわけか。」
「反対側から言うなら、聖戦を遂行する義なる戦士だな。それで、戦いに勝った方が言い伝えたり書いたりした物を歴史と呼ぶ。人の世の習いさ。」
「博士と馬が合うわけだ。」
怒るかと思ったが、彼は笑った。
「そうかもな。だが、奴さんと俺とは一つだけ決定的な違いがある。奴は使う側で、俺は使われる方だという違いが。世の中には、この二種類の人間しかいないってことさ。セラヴィ。」
「すると、我々のここでの行動は…。」
「その通り。グローバルホークやドローン、おまけに偵察衛星まで使って、すべて監視され記録されている。つまり、俺たちはロボット様の性能向上のための実験台、便利に使い潰せるモルモット、いや、サバンナという囲いに放り込まれた軍鶏だな。」
彼は大きく息を吸って吐きだした。
「命がけの蹴りあいを期待されてるんだ。有り難くて涙が出るだろ? 」
(そうか!)それで謎が解けた。
「ホテルで殺されたあの娘は、それを知って私に伝えようとしたんだな。」
「まずいことに、博士に感づかれたのがあの女にとっての不運さ。」
「それで博士は君に…。」
「そうだ。」
と、彼は言った。
「俺が彼女を始末した。」
湧き上がる感情を何とか抑えて、私は訊いた。
「今まで起きたことは、全て博士の指示か? 」
「無論だ。俺が自分の意志で自由に動いているように見える、この大陸のサバンナと密林でさえ、奴の手の上で踊っているに過ぎない。」
彼はニヤリと笑って続けた。
「当然、おまえさんもな。」
何とも愉快な話だ。
「君の娘は元気か。」
話題を変えようとした私の何気ない問いに、彼の眼が光った。
共に訓練に励んでいた頃、彼の妻に連れられて兵営を訪れた幼女を、見かけたことがあった。やっと歩き始めたばかりと言った年頃の、可愛い子だったが。
「何故そんなことを訊く? 何のつもりだ? 」
皮肉あるいは揶揄と取ったのかもしれないが、少々その度が過ぎるように私には感じられた。
「どうした? 何か気に障ったのか? 」
彼はここで、自分が過敏過剰な反応をしたことに気づいたようだ。
「すまない。実は…。」
彼は話しだした。
曰く、彼の妻はだいぶ前に男を作り家を出て、彼と幼い娘が残された。
彼としては精一杯の情愛を注いで育てた現在十二歳の娘は、先ごろ急性白血病を発症して入院中だ、と。
対処しなければならないことが多い中で、まず何よりも金が必要だった、と言う彼の言葉には自嘲の音自虐の響があった。
どうやら彼は鎧を脱ぎかけている。
彼は左手で、胸ポケットから端末を取り出し操作した。
サバンナ仕様のバギーが、ブッシュの陰から現れ彼の横に来て止まった。
丸ハンドルの二シーターで、運転席と助手席を覆う庇のような屋根がある。
「そういうわけで、これがその金だ。」
彼は、バギーの後部にバンドで固定された小スーツケース大の、工具箱のようなジュラルミンのケースを顎で指した。
「現金? それをいつも持ち歩いているのか? 」
「そうだ。娘のための大事な金だからな。」
「どこか安全な所に隠しておいたほうが良くないか。第一、動き回るのに有利とは思えないが。」
「銀行なんかに置いてたら、博士が手を廻してパーになる恐れがある。隠すのも無理だ。きっと暴かれ攫われる。あの野郎ならやりかねん。」
私は、彼の博士に対する率直な感想と評価を興味深く聞いたが、賛意を表するのは控えておくことにした。
私のライフルと拳銃をバギーの助手席に置きながら、呟くように彼は言った。
「この任務を終えたら俺は引退する。もう広い土地付きの家も見つけて、手付を入れてある。静かで落ちついた良い所だ。退院してからの話だが、そこで娘の病を養う。きっと良くなるだろう。」
「美しい親子愛というわけか。」
私は一歩前に出た。
「君が殺した娘の親が聞いたら、大いに感動するだろうな。」
我知らず言葉に怒りが籠っていたようだ。
バギーに乗り込もうとしていた彼は、振り向きグッと顎を引くと、歯を食いしばり、隙間から言葉を押し出した。
「仕事だ。」
「汚い仕事だ。」
「娘のためだ。そのためなら悪魔にだって魂を売る。」
「選りによって最凶最悪の悪魔にか。」
「もういい。下らないお喋りは沢山だ。」
私に向けた顔からして激語が降ってくるものと、私は心の用意をした。
だが、彼の発した言葉は驚くほど穏やかで、むしろ、寂しさを漂わせているようだった。
「打ち明けて語りて何か損をせし如く思いて友と別れぬ。」
彼の顔からは一瞬前の険しさが消え、暮れなずむ北国の海辺で啼く、海猫のような表情が浮かんでいた。
「今度会うときは…、」
低い声で彼は言った。
「どちらかが死ぬことになる。」
そのまま彼はバギーに乗り込み発進すると、百メートルほど先でいったん停まり、私のライフルと拳銃をブッシュの根元に置いて、振り向きもせず走り去った。
その後姿を見やりながら、私は立ち尽くしていた。
彼は友と言った。友と、私のことを。

 サバンナのブッシュの陰で、私はライフルを手に身を潜めていた。
彼とのゲームのために。
互いに相手をゲームとして狙い狩るためのゲームだ。
彼もまた何処かから私を狙っているはずだ。
じりじりと時間が過ぎて行く。
私は待った。無論、彼も待っている、その時を。
乾季のサバンナの空高く、雨とは無縁の雲が流れ、一陣の風が吹き渡った。
突然、右斜め前方五百メートル位離れたブッシュの後ろから、あのバギーが現れ、私の方に向かってきた。彼が乗っている。
「おーい、撃つなよ。」
大音声で呼ばわり、空の右手を上げ左手でハンドルを操作している。
私は立ち上がり、ライフルを腰だめで構えたまま待った。
バギーが停まり、彼が下りた。
(約三十メートル)私は油断なく目測した。
 彼は、右手を開いて肩の高さに上げたまま、左手で、座席に置いたライフルを持ち上げると元に戻し、ホルスターに収まった拳銃も同様にした。
体をこちらに向けると両手を開いて腕を横に広げ、それから肩を竦めた。
丸腰をアピールしていることは分かったが、その意図をはかりかねて私は戸惑った。
彼が歩き出した。両手を開いたまま、笑みを浮かべて近づいてくる。
(一体どうしたというのだ。何か企んでいるのか?)
私の五メートル前で立ち止まった彼は、破顔した。
「ずいぶん緊張してるじゃないか。もう少しリラックスした方がいいと思うぞ。」
「君の狙いを聞けたら、多分落ちつけるんじゃないかな。」
彼は笑みを浮かべたまま頷いた。
「そりゃもっともだ。ところで。」
彼はバギーの方向に首を傾けると、
「あいつを呼び寄せたいんだが、いいかな? 」
胸のポケットに左手を持っていきながら、
「おっと、知っての通り、これはあいつのリモコンだ。早まって撃たないでくれよ。」
彼は、リモコンを親指と人差し指でつまんでゆっくり取り出すと、操作し始めた。
バギーが動き出し近づいてくる。彼のそばまで来て停まった。
彼が私の方に向き直った。笑みが消え、表情が一変している。
彼は上空にチラッと目をやると、私に戻して言った。
「奴からしたら、ここで俺たちが、死を賭けた軍鶏ファイトをすることを望んでんだろうが、俺はもう、あのクソ野郎の玩具の兵隊役にはうんざりしてるんだ。」
そこで言葉を切った彼は、深く息を吸うと続けた。
「俺たちの勝負は、俺たちだけのものだ。覗き見野郎の好きにはさせない。そこで提案があるんだが、拳銃で決着を付けるってのはどうだ? 」
「俺たちの勝負は、俺たちだけのものだ。」という彼の言葉に、私の胸中の音叉が共鳴した。
「ああ、いいよ。君が望むなら。しかし、上から覗かれていることに変わりはないんじゃないか? 」
そこで彼に笑いが戻った。
「奴は、隠れたり不意を突いたりの鬼ごっこが所望なんだぜ。古典的西部劇は野郎の趣味じゃない。正面切っての決闘なんて、奴のロボット技術向上の為には、何の役にも立ちゃしない。だからこそ、そいつを見せてやろうじゃないか。男の死に様ってやつをな。」
私の携帯端末が着信音を発した。
「出てもいいかな? 」
「地獄の忠犬ケルベロスからのメッセージだな。百ドル賭けてもいいぞ。」
「どうしてわかるんだ。受ける気はないよ。」
確かに、私のエージェントからだった。短くやり取りして、
「分かった。事態が打開できたら連絡くれないか。」
通話を切って彼に説明しようとしたが、彼は手を上げて制止した。
「カールグスタフが届かないんだろ? 」
私は急に疲れを覚えてしゃがみこんだ。
「どこまで知ってるんだい? 」
「チュニスで調達して空路でモガディシオ。そこから陸路でここまでぐらいかな。」
私は頷いた。言葉を発する元気もない。
彼が私の携帯を指さし、その指を空に向けた。
(そうか、これは衛星通話可能な携帯だから、ずっと盗聴されていたのか)
「おまえさんも、結構ミスター間野なんだな。」
「え? 」
「間野抜作ってことさ。可愛いとこあるじゃないか。」
「ありがとう。お褒めに与ってうれしいよ。」
「まあ、そう落ち込むなって。」
空気に微妙な匂いがすることに、二人同時に気が付いた。
微かな遠雷のような響きが鼓膜に達すると同時に、彼は素早く地面に伏せ、片耳を土につけた。
次の瞬間跳ね起きてバギーに飛び乗り、エンジンを掛けながら私に怒鳴った。
「乗れっ。速くっ。」
私が乗ったと同時か少し速いくらいの感じで、尻を蹴とばされたようにバギーは跳びだした。
「ロボットの怪物たちか? 」
私の問いに彼は頷いた。
「あいつらは、平原の野戦用だ。今俺たちに向かってきてるのは、象と犀十頭ずつってとこだろう。とてもじゃないが太刀打ちできん。」
重砲の発射音が断続的に聞こえた。我々が居たあたりに次々に着弾する。
「象の鼻が滑空砲になってるんだ。榴弾から成形炸薬弾まで打ち出せる。」
「犀は? 」
「二本の角が機関銃だ。」
私は口笛を吹いた。
「カールグスタフが届いてたら、一泡吹かせてやれるのに。」
「バカ言え。あんな射程距離の短い代物じゃ、例え一頭やったとしても、次の発射用意している間に、残ったヤツらが殺到してきて踏み潰されてるよ。ジャベリンだって無理だな。多勢に無勢、おまけに奇襲を掛けてるのは向うだ。」
バギーの周囲に弾着し始めた。至近弾で飛び散った土くれを浴び、バギーが揺れて横転しそうになり、私たちは泥だらけになった。
「舌を噛むぞ、口を閉じてろ。」
彼がアクセルを目一杯踏み込むと、バギーは身震いするように猛然と加速した。
左右に倒れそうなほど傾きながら爆走し、着弾の土煙が片追ってくる。
「ちょっと替わってくれないか。」
彼が私にハンドルを預けると足元のライフルを取り上げ、運転席に片膝をついて後方上空に向かって構えた。
私は上体を左に倒しながら右手でサイドバーを握り、左手でハンドルの端を掴んだ。
開きかけのジャックナイフのような態勢で、左足をアクセルに伸ばす。
「どこかのアクロバットチームに就職できそうだな。」
「今がそうだ。アクセルを緩めてくれ。」
バギーのスピードが緩んだところで無理やり首をひねって後方に目をやると、一台のドローンが我々を追って来ているのが見えた。
ライフルの発射音とドローンが火を噴き空中で四散するのが、ほとんど同時のようだった。
さすがに良い腕だ。
何とか振り切ったようだ。
再びハンドルを握った彼がアクセルを踏み込みながら大きく息を吐いた。
山肌の岩棚が張り出した下の荒れた道を暫く行くと、山腹に空いた大穴にバギーは飛び込んだ。
「これは? 」
「銅山の廃坑だ。」
この銅山は二国に跨っていて、当然のことながら友好的ならざる気分を両国に齎した。
元々は、植民地時代の宗主国西欧某国が開発したものなのだが、第二次大戦後の独立騒動のどさくさにつけ込んだ某々国が、背後で現地部族に火を点けその火を煽り戦争が拡大した。
とどのつまり現地は分裂して独立し、鉱山は山の稜線に沿った国境線によってそれぞれの国に二分された。
両国は争って銅鉱を掘り進み掘り取り掘り尽くした。
双方に対して、西欧某国某々国の尻押しがあったことは言うまでもない。
時が過ぎ残ったのは、見ての通りの荒れ果てた山野と廃坑だ。
と言うのが彼の説明だった。
「この廃坑を喜んでいるのは、塒ができた蝙蝠と俺ぐらいのもんだろうな。」
私たちはバギーを乗り捨て、坑道を辿って隣国に越境した。
彼が万一に備えて用意してあった、山の洞穴の隠れ家に辿りついたときは、さすがに二人とも肩で息をするありさまだった。
とにかく一息入れようということで、彼がコールマンのコンロで湯を沸かし、コーヒーを淹れてくれた。
「博士はどうして我々を攻撃したんだろう? 」
「そりゃ、自分で好きに動かせる駒じゃなくなりゃ、用済みだってことさ。その点は俺の所為だ、すまんな。」
日は傾き始めている。
口内を湿らせる程度にとどめている私を見た彼は、暫し自分のカップを眺めていたがグッと飲み干した。
次いで立ち上がって伸びをし、これから散歩に出かけるような感じで言った。
「そろそろ始めようか。」

 私たちは距離を取って対峙していた。
「どうだい、いい天気じゃないか。これは決闘日和だな。今俺がそう名付けたんだけどな。」
「私は君に恩も恨みもない。君だってそうじゃないのか? 」
「うん、まあ…、そうだな。」
「ではなぜ我々は、撃ち合いを、殺し合いをしなくちゃならないんだい? 」
「成り行きということにしておこう。」
「契約遵守か。あの博士と交わした。」
彼が笑みを浮かべて、首を振った。
二人の魂の音叉が、再び共鳴した。
「自分自身に対する約束墨守ということか。そうだな、分かったよ。」
それは我々の背骨を貫く鋼鉄の心棒だ。
「神も仏も俺は信じちゃいないが、破壊と復讐の神だけは居てもいいと思い始めてる。特にこの頃は。」
呟くように彼が言った。
「復讐? その対象は誰だ? あのクソ野郎の博士か? 」
「いや、人間というものの存在とその行状に対してさ。想像してみろよ、人類が滅亡して居なくなった地球を。きっと美しいぜ。」 
時が経ち、二人は同時に拳銃を抜き発砲した。彼が倒れ、私は立っていた。
彼の弾は私の左肩を削り、私の放った弾丸は彼の急所をやや外れた。
倒れている彼に歩み寄り、私は言った。
「あの時なぜ私を撃たなかった? それで全てはケリがついたはずだ。」
彼は苦しい息をしながらも笑っていた。
「借りを返したのさ。」
「貸しなどあったか? 」
「先に返したんだよ。」
「言ってる意味が分からないが。」
「娘を頼む。あの金を、」
バギーから外して運んできたジュラルミンケースを置いた洞穴の方を目で示しながら、彼は言葉を絞り出した。
「娘に届けてくれ。俺があの子にしてやれることは、これぐらいだ。これしかなかったんだ。だから博士の仕事を引き受けた。おまえさんを殺るという仕事を。」
彼は、私の後ろを取ったあの絶好の機会に、私を殺すことができた。
そうして、娘のところに自分で金を持って行けた。
他のどんな場合でも、彼は躊躇いなくそうしただろう。
だが、しなかった。
何故か?
私たちは互いに男の闘いがしたかったのだ。
これは彼の、そして私の男の格律、男の矜持の問題なのだ。
それなくしてどうしてこの乱れ腐った世界で、汚れ仕事をしている己を保てようか。
そうか、これが我々の心の花なのだ。ここに至って私は得心した。
彼は致命的な深手を負っている。このまま苦しみを長引かせるわけにはいかない。
「娘さんのことは確かに引き受けた。」
私は腰のホルスターに手をやり、彼の眼を見た。
その私の眸の色を読んだ彼は、笑みを浮かべ頷いた。
 
 ヨーロッパの或る国に渡った私は、金を彼の娘のところに届けた。
あのジュラルミンケースの表面には、「わが友に、宜しく頼む」と、表紙にマーカーペンで書かれたファイルが張り付けられていた。
ファイルを持つ手が震えるのを、私はなんとか抑えつけた。
そのファイルには金をどう処置処理すべきか、几帳面な字で事細かに、しかし整然と書かれていた。
彼は、娘のために養育資金管理口座を作り、その管財及び娘の後見人として弁護士を選任していた。
私は口座が開設された銀行に行き、弁護士立会いの下に入金した。
現金を持ち込むには裏ルートを使わなければならなかったが、たいしたことではない。弁護士は詮索しなかった。
これで彼との約束は果たした。
だが、この弁護士がどこまで信用できるのかは不明だ。それにあの老獪狡猾な博士のこともある。
私は定期的に監察に来ようと思った。私が生きていられたらの話だが。
次に私は、娘が入院している病院に廻った。しかし、病室には行かなかった。
会って一体何を話す? 金を秘かに持ち込んだ顛末をか。
もっと高尚な、たとえば温室効果ガスが地球環境に及ぼす影響についてか。
あるいはいっそのこと、アインシュタイン方程式における宇宙項について語り合うのか。
それとも…。とにかく私は逃げたのだ。
ただ受付で私の固定連絡先を告げ、何かあったら知らせてくれるように頼んで私は帰った。
私は一ところに居ないので、固定連絡先から携帯している移動端末に転送するようにしているのだ。当然のことながら、番号は共に変更してある。

 さほど日を置かず、携帯端末に着信があった。
彼の娘が死んだという知らせだった。
私の左肩は、痛みは残るものの何とか必要な動きは出来る。
私は出かけることにした。あの場所へ。

 私は、博士のファクトリーに忍び込んだ。普通なら容易い事ではなかった。何しろ五カ所もの関門があって、その都度認証を受けねばならないのだ。
しかし、私は拍子抜けした。ここに出入りしている時、内密に探り調べておいた手順と暗証番号は、そのままだったのだ。
ただ決まった一定の期間で、機械的に変更しているだけということなのだろう。これが日本だ。機械よりも機械的な日本人。
セキュリティでさえこれだ。何という小役人的処理! 小役人は、何も役所にだけ棲息蟠踞しているわけではない。民間もへちまもない、至る所小役人だらけなのだ。小役人国家ニッポン! 
しかし、それが今の私を利している。その場に似つかわしくない雑念を、頭を振って追い払った。
無人のパソコンルームを通り、博士の居室前に達し、壁のパッドを操作する。壁の一部がスライドして開口した。
背後の物音に気づいて振り返った博士は、さすがに少し驚いたように私には見えた。
深夜にも関わらず、彼は明かりの付いた部屋で机に向かっていた。初老に達しようという歳なのに、この男は一体何時寝るのだ。
「君か! 何をしている。何の用だ。どうして厳重な警備のこの建物に入り込めたのだ? 」
「ずいぶん矢継ぎ早の質問ですな。私は特殊技能を買われて、あなたに雇われた筈です。あなたの眼は確かだったわけだ。」
「何のつもりだ。そんな物が、」
と、私が手にしている拳銃に眼を向けて彼は言った。
「必要か? 」
「これが、私に関する購買品目の筆頭と言ったのは、飯塚博士、あなたですよ。」
昂る感情を何とか抑えながら、私は続けた。
「『もっとも危険な遊戯』! 私たちに命懸けの闘いをやらせながら、あなたはそれを安全な場所から眺めていた。コロッセウムで、剣闘士の死闘を楽しんだローマ皇帝のように。…動くなっ。」
机の袖の裏に伸ばそうとした右手の動作を止めた博士は、失望したような吐息を漏らした。
机には、おそらく非常通報ボタンが仕込んであるのだろう。
彼は向き直ると背筋をピンと張り、私を睨みつけた。傲岸な態度を完全に取り戻している。
さすがだなと私は思った。いや、感心している場合ではない。
「現代の剣闘士の一人は命を落とした。無念の極みだが。しかし、もう一人は此処にこうして戻ってきた。あなたに引き回され狩られる獲物から、あなたにとって『もっとも危険な獲物』として。」
博士は言い訳もしなければ、命乞いもしなかった。彼はある人物を彷彿とさせた。
他の全てで唾棄すべき存在ではあったが、死を目前にした態度が奇妙な感銘を呼び起こした、あのルーマニアの独裁者チャウシェスクを。
悪魔の申し子のような博士だが、この一点だけは認めざるを得ない。
と、いきなり彼が笑いだした。
「そうだ、そうだとも。私は君の能力を買っている。だからこそ君を雇ったのだ。」
気が触れたのか、それとも時間稼ぎか、私には判断がつかなかった。
「君は疑問を持たなかったのか? この私の部屋に、あまりにも容易く到達できたことに。どうだね? 」
(なんだって! と言うことは? )
「君が此処に侵入を試みる可能性については、ことの初めから計算してある。」
博士の顔には、見慣れたあの人を小馬鹿にした表情が浮かんでいた。
この男は邪悪なほどに冷徹だ。怯えて我を忘れるなどという、そんな人間的な要素を持ち合わせている男ではないのだ。
「さて、その場合どうするか。硬い木材として植物繊維を形成し、セルロースを固着しているリグニンを溶かして、バラバラにしてしまえばいい。気を緩めて油断させるのだ。」
(そうか! 関門通過の手順と暗証番号を変えてなかったのは、罠だったのか)
「どうやら分かってきたようだね。あっさり潜り抜けることが出来て、君の神経線維の緊張は弛緩した。だから無人の部屋に、新たに赤外線センサーその他諸々の装置が設置されているかどうか、なんて疑いを抱くこともなくここまで来てしまった。」
飯塚博士は、また愉快そうに笑った。
そういえば博士の笑い声なんて今まで聞いたことがあったろうか。ない、これが初めてだ。私は稀有な事象に遭遇しているらしい。
こんな事態なのに、また私には、この場に似つかわしくない雑念が湧いてきてしまった。
いや、ついさっきも同じことがあったぞ。それで私は落とし穴に落ちたのではないか。
「なかなか聞き応えのある演説だったよ。君の別なる才能を知ることが出来て、私も喜ばしく思っている。」
そこで博士の声と表情は、常日頃の人を寄せ付けない酷薄なものに一変した。
「その銃を渡し給え。もう建物の正面は警備の者達が固めている。出入り口はそこしかない。逃げられはしないぞ。」
「飯塚博士、あなたは確かに天才的なロボット工学者だ。」
自身でも意外なほど冷静な声音だった。おそらくそれは深い悲しみのなせる業なのだ。
「そう、深い悲しみだ。」
思わず声となって出てしまった。
「? 」
博士が不審そうな表情を浮かべた。
「飯塚博士、あなたの最大の欠点は、いや、むしろ盲点と言ったほうがいいかもしれない。あなたの盲点は、人間の本質が分からないことだ。あなたには人間というものが分かっていない。だから、いくら姿形を似せても大変精巧な玩具、よく出来たガラクタにしかならないのだ、あなたのロボットは。」
「まだ演説は続くのかね? 」
冷ややかな声が返ってきた。
「ちょっと褒めたら、調子に乗せてしまったか。」
期待はしていなかったが、博士の態度には、私の言葉が到いたという気配は微塵も感じられなかった。
「人間らしさ? そんなものロボットには要らん。心? そんな隙間があったらグリスでも詰めておけ。」
博士の眼が熱気を帯びてきた。
「私が欲しているのは、不確定性を完全に排除した完璧な方程式だ。それによって未来が一義的に定まるような。それによってロボットが十全な行動ができるような。」
ラプラスの魔? 現代人で、こんなことを正気で言うものがいるだろうか。
だが、彼は本気だ。少なくともポイントオブノーリターンを越えて、向こう岸へ渡りかけている。否、既に片足が彼岸に掛っている。 
この男は危うい、放置するのは危険だ。
「さあ、その拳銃を渡すのだ。グズグズするな。」 
威嚇的な博士の言葉には、明瞭に苛立ちが見て取れた。
「あなたは一人の年若い女性を殺させた。いや、あなたが殺したと言うべきだ。」
今までにないほどの怒りが、私を突き動かした。
「そうして私はといえば、友と呼べる一人の男を殺してしまった。飯塚博士、あなたの設定したゲームのために。」

 私は引き金を引いた。やらねばならぬ事だからだが、気は重く心は晴れなかった。
これは復讐なのか? そうだ。
ではこれは正義か? それは…、私は躊躇った。
もし正義と言ってしまったら、私の行為、私の精神、私の心の花が、即ち私の存在そのものが、むしろ汚されてしまうような気がしたのだ。
きっと、私はこの自問を反芻し続けるのだろう。くたばる時まで。それが何時かは私には分からない。ずっと先の事かもしれないし、ひょっとしたら…。

 建物の出入り口のマットの横で私は立ち止った。壁のパッドに暗証番号を打ち込む。ここで五カ所目だ。ドアが開く。
汚れた世界の饐えた匂いが、悪意に満ちた津波のように押し寄せ私に纏わりついた。
強烈なライトのビームが襲いかかってきて、その光の圧力に私はたじろいだ。
同時に、ハンドメガホンが何かがなっている。
(「銃を捨てろ! 」だって? そうか、私はまだ拳銃を手にしたままだったな。)
私は一歩踏み出した。切迫したメガホンの声が飛んでくる。私は聞いてはいなかった。
もう一歩踏み出した。更にもう一歩……。
                               了  
                                    
                                     
            


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