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勝手に腑に落とすな

「腑に落ちない」という慣用句がある。主に納得がいかない・合点がいかない意で使われるが、これと逆の意味合いで「腑に落ちる」という言い方もある。

「腑に落ちる」

納得や理解を示す際に使われるこの言葉に、ここでは警鐘を鳴らしたい。

というのも、私たちが生きる現代において、この「腑に落ちる」行為はあまりにも簡単に、そして都合よく満たすことができてしまい過ぎるからだ。

映画を見る前には必ずと言っていいほど他人のレビューや前評判が入ってくる。作品を見る前からもうある程度話の内容を分かってしまうことも少なくないため、自分を満たしてくれそうな、評価の高い作品しか見なくなる。これは他の芸術作品や本についても同じことが言える。

・○○がおススメしてた

・レビューでの評価が高かった

どんどん情報に修飾されればされるほど、その作品本来の価値を見誤り、更には自分がどう感じるかにまで影響が及んでしまう。

失恋した後に聞く恋愛ソングがやけに胸に刺さるように、ある作品に対する評価基準は、その人の生い立ちや今置かれている状況、その日の気分などに大きく左右される。

作品や自分の評価基準が情報に修飾されるのは仕方のないことだ。とはいっても、無駄な修飾もある。他人のレビューや大げさにキャッチ―な広告などに騙されてはいけない。

また、誰かと繋がれるSNSや多様なゲームアプリは、ユーザーの瞬間的な欲求を容易に満たしてくれる。日々そのような画面と向き合っていると、暇があれば、漠然とした一瞬の欲求を満たしたくなってしまう。

映画などの芸術作品にしろ、日常的に使うスマホにしろ、先にも述べた「腑に落ちる」行為が、あまりにも簡単だ。自分が望むとおりに満たしてくれる。

しかし芸術とは本来、受け取り方が千差万別だから面白い。それぞれの評価があっていい。そしてむしろ「腑に落ちない」感覚こそ、大事にしたい。『この作品は何を言いたいんだ』と考え、自らの積極的な思考によってその作品はより実りのあるものへと昇華する。見終わった後に想像通りだった映画は残念だ。混沌とした感情が欲しい。他の誰かと同じ感想を抱く方が、つまらない人間だと思う。

多くの人が無理やりにでも「腑に落としに行っている」状態は、つまらない。違うから面白い。意味わからないものと出会い、脳をフル稼働させて、『ああでもない、こうでもない』と思考を巡らせよう。

だから『勝手に腑に落とすな!』と言いたい。

Shingo

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