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狂気の答え合わせ

ここ最近オモコロチャンネルの動画をよく見ています。オモコロチャンネルは、基本的に全部の動画が何かしらの観点で狂っています。その狂いは、動画内でツッコミという形で処理されることもあるのですが、処理されない狂いもあります。それに気づいた時わたしはいつもYouTubeのコメント欄を見に行きます。すると、コメント欄にはいろいろな観点での「正気」があり、動画内の狂いを回収してくれるのです。わたしはこれを勝手に「狂気の答え合わせ」と呼んでいます。狂気の答え合わせに成功すると、安心感と連帯感を得ることができます。「正気」というのは「正気」から得ることはできず、狂気に触れて初めて認識できるものだと思うときがあります。これが当たり前だ、ということは当たり前すぎて認識できないのです。当たり前でない反例を目にしてはじめて、当たり前であるということに気づけると思っています。

先日とあるフォロワーの人と、某所にあるお寺参りに行きました。非常に暑い日だったので、茶屋で休憩をすることになりました。わたしはアイスクリームを食べたのですが、フォロワーの人はカレーうどんとかき氷を食べていました。同時にです。かき氷をかきこんだ後で、カレーうどんを食べ、口の中がアッツアツになった後にかき氷を口に頬張り、温度差に悶絶していました。わたしはこの光景を目の前で見て、「狂っている」と思いました。「暑い日だからかき氷を食べたい」「美味しそうな匂いがするからカレーうどんが食べたい」それぞれでは理が通っています。ですが、同時に食べることで、かき氷の冷たさがカレーうどんによって消し飛び、カレーうどんの熱さがかき氷を苦行にします。わたしはTwitterのタイムラインにこの画像をあげて狂気の答え合わせをしました。明確なツッコミのコメントは目にしませんでしたが、わたしに寄せられたたくさんの「いいね」が、わたしの正気を担保してくれました。

オモコロチャンネルは狂気のための狂気ですが、カレーうどん&かき氷はそうではありません。本人にとっては理にかなっている行為でしかないからです。この狂気は、観測者の目線を以ってはじめて狂気になります。もちろん、この狂気は「矯正されるべき」ものでは必ずしもないです。ですが、これが「他とは違うのだ」ということに全く気が付かないまま埋もれてしまうのはもったいないな、と思うのです。

とある世界的な事象のせいで、なかなか複数人数で行動することが難しくなってきました。この時勢がもたらした損害は計り知れませんが、このような、本来であれば気づくことのできた狂気(またの名を個性)に気づくことができないまま埋もれてしまう、ということもまた、重大な損害の一つなのかもしれません。

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