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みんなこれからどうする?

Twitterが老体です。危篤というべき状況なのかもしれません。人生のかなりをTwitterに依存している我々にとっては実存的危機とすら言える状況にあります。みんなが移住先について議論し、どれも完璧ではないと嘆いています。 Twitterに軸足を置いて複数のコミュニティに所属しているわたしにとって現状は「どこに行っても誰か/何かをあきらめないといけない」という状況になるので、移住先は決め手に欠けるものばかりです。Twitter終末論については多くの人が語っていて、今さら何を言っても重複しかないのですが、自分の考えを書いていこうと思います。

わたしたちは人生の中でいろいろなサービス終了を体験してきています。ただ、Twitterのサービスがもし万一終了したら、それはいくつかの理由でこれまでのサービス終了とは毛色の違うものになるでしょう。
一つ目の違いは代替不可であるということです。Twitterの代替不可能性は人それぞれなので詳しくは議論しません。わたしにとっては「代替のSNSがない」ということです。文字メインで実名を使わず、ゆるく多くの情報を得ることができるSNSは他に存在しないのです。
もう一つ大きな違いは、「とてもじゃないけど諦めるわけにはいかないもの」であるということです。ソシャゲのサービス終了はそのゲームが遊べなくなるだけですが、Twitterが終わる場合に得られなくなるのは情報収集とかコミュニケーションです。これらは根源的なものなので、諦めるわけにはいかないのです。これは代替不可能性のまた一つの形とも言えます。近隣のイオンが潰れるとか、最寄りの路線が廃線になるとか、そんな「困る」という感覚です。Twitterは代替不可能な必需品なのです。

ただ、わたしはTwitterがすぐに無くなることはないと思っています。その理由は「求めている人が多いから」です。Twitterはずっとダメでした。不具合でちらほら死んだり、インスタに憧れて変な仕様変更を繰り返したり、トップが変わってさらに迷走したり、ずっとダメでした。ずっとダメだったのに、ずっとみんな離れませんでした。それはなぜかというと、みんな離れないからです。これは小泉進次郎構文ではありません。みんながいるということが、数多くのデメリットを超越するメリットになっている、ということです。Twitterが終わるのは、その「みんな」がいなくなった時です。そのとき、Twitterは今のmixiのように、やりたい人だけがゆるくつながっている小規模なコミュニティになっていて、「インフラ」のような役割を果たしていたかつての姿ではなくなると思います。

「みんな」がTwitterから消えるシナリオはさまざまです。Twitterが信用を失うことで、Twitterの後発が生まれる可能性が日々高まっています。どこかがデファクトスタンダードの地位を確立した瞬間、民族大移動は圧倒的なペースで行われることでしょう。
また、後発がいつまでも現れなかったとしても、仮にTwitterが経営破綻してサービスを終了する事態になったら、おそらく何らかの企業が買収してこれを存続させようとするのではないかと思います。楽観的かもしれませんが、「みんながいる」ということはそれだけの大きな市場価値があります。金にしようという人間がそれを放っておくわけがないのです。もちろん、イーロンマスクよりさらに悪意のある人間の手に渡る可能性もあります。そうなって「みんながいる」というメリットを大きく上回る事態になってしまったら、その時はまた別のプロセスで別のサービスに淘汰されるのだと思います。

このように、市場経済においては、「みんなが求めるもの」というのは必ず残ると思います。惜しまれつつ無くなるものは、大抵の場合需要がないものです。Twitterのような需要のあるものは、どんなにトップがバカでもしばらくは残るのです。逆にある種ムカつく話ですけどね。

というわけなので、わたしが信じるのは「みんな」です。真の意味でTwitterにような空間を存続させるためには、「みんな」についていくのが確実なのです。ですから、みんながTruth Socialにアカウントを持ち始めたら仕方なくそっちに行きますし、みんながInstagramにいるとわかったら仕方なくそっちにいくことになりそうです。世の中に永遠はないので、Twitterが終わるならそれに適応して生きていかなければいけません。

終末の日が近いのかもしれません。生まれ変わった先でもみなさんにお目にかかれるといいのですが。生まれ変わった先でもきみの投稿が読みたいと思ってもらえるように、今のアカウントでの言動は大切にしていきたいものですね。

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