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自信の手軽な持ち方、そして自信を持つことによるその効果。

自信、持ってますか?
わたしはいろんな人から事あるごとに「自信を持て」と言われ続けてきた人生でした。そして実際のところ、「自信を持つ」という言葉があんまり好きじゃありませんでした。ただ、ここ最近はやっと「自信」というものとの向き合い方がなんとなくわかってきた気がしています。過去のわたしのように「自信を持つ」という言葉が嫌いな人向けに、考えを整理してみようと思います。

(追記)※注:現在進行形で人生がしんどい人や苦しい環境下にいる人にとって下記の内容は刺激が強く、ショックを受けたり過剰に自分を責めたりする可能性があるので閲覧にあたっては十分に注意してください。精神に余裕があるときに読んでください。

自信がない人間の思考パターン

わたし自身を含めた、これまでに見てきた自信がない人たちの思考のパターンを分析してみたいと思います。あんまり一般論として書いているわけじゃないので、「俺/私は違うが??」というのを受け付けるつもりはありません。

がんばってはいるが超人を見すぎて自分程度が……と思ってしまう

これはまずマシなケースです。努力を積めば積むほど見えてくる超人たちの世界があり、それを目の当たりにしたことで自信を失ってしまうケースがあります。いわゆるダニング=クルーガー効果と言うものの谷に落ちてしまっているケースです。この場合は、もうちょっと頑張ることで谷を乗り越えられる可能性もありますし、自分の能力を客観視できているということでもあるので、「自信がない」の中ではマシな部類に入るものだと思っています。ただ、多くの「自信がない人」は、これではないことが多いように思っています。

自分の能力を低く見積もることで自分を守っている

自分の能力を高く見積もると、そこと実態との差に傷ついてしまうため、はじめから能力を低く見積もろう、と言う考え方です。これまで数々の失敗を経てきたことで身に着けてきた処世術のようなものです。

自己評価を低くするのは、ただ「俺の自己評価は0点!」と表明するだけで出来ることではありません。その材料が必要になります。この思考の厄介なところは、自己評価を低くするための材料を自分から集めようとすることです。つまり、自己評価を低めに持っておき、それを裏付ける証拠を集め、「ほらやっぱり俺はダメだ」と認識して安心しようとする、ということです。そうしてより自己評価を低くすることに”成功”して、ループに陥ってしまうというわけです。

精神的自傷行為が好き

凹んでいるときには何かを傷つけたくなるのですが、そういうときに一番傷つけやすいのが自分の心です。自信がない人と言うのは概して自分が嫌いです。そして嫌いなものを攻撃するのは愉悦になります。何かを攻撃するのはたいてい反撃に遭うものですが、自分を攻撃する場合反撃が絶対にないので楽なのです。

先ほどの話にもつながりますが、「どうせ俺/私はダメだ」といって自分の心にナイフを突き立てるのは、自分を傷つけると同時に自分の心の安定を保っているような、そんないびつな関係性があるように思います。

完璧主義/物事のハードルが高い

料理に自信のない人でも、これまでの人生で生卵を割るのに一度も成功していない人はたぶんいません。ただ、これを自慢げに語る人はあまりいません。このように、自分のできることであっても、「この程度で自慢してもね……」ということで、大したことではない・誰でもできることである、と断罪してしまうことが多いです。

これは後述しますが、「自信を持つ」というのは「誇りに思う」とか「自慢げにする」ということとは似ているようで別の概念なので、これが理由で自信がなくなっているタイプの人は、なんだかもったいない感じがします。

思考が極端

自信がない人はたいてい極端な気がしています。何か少しでもマイナス要素があると、それを以って全て駄目だと思いがちです。よく「指摘するときは一緒にどこか褒めてあげましょう」というアドバイスがありますが、自信のない人の耳には褒めている部分は入ってきません。なぜなら、先述した通り「自分がダメである」という材料を常に収集しているからです。それ以外に興味がないのです。(信じられない、とも言う)
自信のない人は100でなければそれ以外は0だと思っています。言い換えると、「0にするための根拠を自分から探しに行っている」ということです。
それでストイックに100を目指すことができればいいのですが、「どうせ0なんだから」と、100を目指さない人も多いように思います。自信がないと100を目指そうとは思わないのです。変に20とか30とか、自分に期待してしまうようなものならはじめから持たない方がいいと思っている節さえあるような気がします。

被害者意識が強い

自信がない人というのは、その状態になったことを誰かのせいにしがちな気がします。親や先生、職場の上司、クラスメイト、過去出会ってきた異性などです。実際その人たちの心無い言動によって精神が破壊されてしまうことはあり、それはとても痛ましいことでもあるのですが、それをその人のせいにしているままではどうにもならないというのもまた事実です。どうにもならない人生でいいならそれはそれでいいと思いますが、過去の人たちに悪意があればあるほど、その人たちの思う壺になってしまうのでやりきれないな~と思います。

というわけで以上、6つ挙げましたが、中心となるのは「自分がダメだと思うことで安心したい」ということだと思います。過酷な環境下に置かれている人間にとっての防衛本能なので、悪いと言い切れるものでもないのですが、これによって損をすることもあるので、なんとかできるならした方がいいだろう、と思います。

そもそも自信とは何か

心理学の専門家ではないのであんまり勝手なことは言えないのですが、自信とは自分に対する信頼のことだと思っています。

「自信」の英訳として知られているのはself-confidenceというものです。confidenceという語はconとfideで切れます。conが強意の意味で、fide(fidere)が信じるの意味になります。つまり、単に信じるのではなく、強く信じている状態がconfidenceというわけです。この強さは、感情の強さというよりかは根拠の強さを意味していると思われます。単純に信じるだけじゃなくて、何らかの根拠があって、力強く「大丈夫です」と言える状態がconfidenceということになります。

conがついてない方のfidere(信じる)が語源になっているものにはfaith(信仰)やfidelty(貞節)なんかがあります。このあたりは、別に根拠なんてあるわけじゃないし、何なら根拠なんていらないけどとにかく信じている、というような意味合いになってきます。神の存在や、パートナーの貞淑を信じることに根拠はいらないのです。

「自信」と言いたい場合はself-confidenceと言い、self-faithとか言わないところが興味深いです。これは、「自信」には根拠がいるということの証だと思います。(※「根拠のない自信」という言葉を使う人がいますが、個人的にはもうちょっと別の言葉を当てた方がいいんじゃないかな?と思ったりします。わざわざ「根拠のない」を注釈としてつける必要があるくらい、単体の「自信」には根拠が必要、、、という読み方もあるかもしれませんが……)

根拠があって信じている状態、というのは、まさに「信頼」と言う言葉が当てはまります。過去の実績や経験などから、「この人になら任せてもいいかな」と思える状態が信頼です。これが自分に向いている状態が「自信」なのだと思います。言い換えると、自分と言う存在を客観的に見て、自分ならきっと大丈夫だろう、といろいろなことを任せられる状態です。それゆえ、自信を持つためには絶えずそれだけの努力をしなければならず、またそれを信じ込むだけの実績、つまり成功体験が必要になってくるというわけです。

そして、失った信頼を取り戻すのが難しいように、失った自信を取り戻すのもなかなか難しいものです。信頼してあげようかな?と思わないと、一生信頼されることはないためです。それゆえに、自信を持つためには、まずは自信を持とうとしないといけないのだと思います。

自信と言うのは自分を信頼する、というだけのことなので、他者が介在するわけではないというのもポイントです。なので、他者に対して偉そうにする必要もなければ、傲岸不遜な態度をとることが自信のある人、というわけではないということです。自信を持つと結果的にそうなっちゃうことも多いですが。

自信があると得をすること

社会人生活を積んでくると、「自信のある人、得してるな〜」と思うことが多くなってきました。

信憑性が高くなる

堂々と自信を持って発言していると、それだけで人を信じ込ませる力があります。

わたしは尺八という和楽器を演奏する大学のサークルに所属していました。そこでは年に2回演奏会をやっていたのですが、出演する後輩たちに舞台袖で、「間違えても観客の9割は分からないから、間違ってないフリして堂々とやりましょう」とアドバイスしていました。自信満々にやっているだけで、「ああ、そういう演奏なんだな」と思われるので、結果的にいい演奏に聞こえるというわけです。正しい演奏をしていても堂々としてなければ、「なんか間違えたのか?」と思われてしまうわけです。

もちろん、1割の分かっている人間にはバレますし、その1割が嫌なやつであれば「堂々と間違えてるwwwプークスクス」と思われてしまうかもしれません。ですが、そこを気にして9割の人間を満足させられないよりはずっとマシです。また、1割の人にとってもそれは”通ってきた道”なので、よっぽど嫌なやつでなければ馬鹿にすることはないと思います。(お人よしすぎ?)

楽器の演奏を例にしましたが、会社で意見を言うときや、ブログを書いたときなども、堂々としている方が通りやすいし読まれやすいです。会社で意見が通れば実績になりますし、ブログがたくさん読まれればその数が次の数を呼んでくることもあります。堂々とすることで多数派にそれっぽく見せることは大事なのです。

自己評価に実態が追いついてくることがある

わたしは自己評価低めにつけて保険を張ることが多いタイプなのですが、自己評価を高めにつけて後から実態をついてこさせる人がいます。いわゆる退路を断つというもので、その結果追い込まれる力を利用して自分の(計画時の)実力以上の力を発揮できるというわけです。失敗したとしても、それが”ナメていたから“でない限りはたいてい過程を評価してもらえるので、意外と怒られなかったりします。得してますね。

戦略的に努力できる

自信がある人は、自分に何ができるか分かっています。何ができるか分かっているということは何ができないかもわかっているということです。それゆえに努力の方向性が正しくなります。

出来ている自信がないから、とすでに出来ていることばかりやっているとあんまり意味がない、と言うことですね。

自信がないと損をすること

翻って、自信がない人に対して「損してるな〜」と思うことも多いです。自信がある人がする「得」が得られないことは言うまでもないので、それ以外の観点で書いてみます。

搾取される

自信がないというのは自己評価を実態よりも低く見積もっているということになります。悪徳企業にとってこれは非常に都合がいいことです。なぜなら、いい労働力を”実態“よりも安く手に入れられるからです。入社後もなるべく自己評価をあげないようにして転職もさせないようにすれば、使い潰せる人財ができあがるというわけです。詳しくは書きませんが、就活の時のわたしはこれになりかけました。危ないところでしたね。

失礼と思われる

自分の人望に自信がなく、自分にはともだちがいない、と思っている人がいたとして、本当にその人の友達である人からすればこれは失礼なことです。また、相手が自分の制作物などを褒めてくれたときに、それを貶してしまうと相手のセンスを否定することになります。このように、自分だけ傷つくならいいだろうと思っていると、思わぬところに流れ弾が飛んでいって思わぬ人を不幸にすることがあるというわけです。

どうすれば自信がつくか

わたしもまだまだ自信道は道半ばなのですが、ちょっとずつ身についてきた感覚はあります。最後に、わたしがどのようにしたのかを参考までに書いてみます。

褒められたときに感謝する

褒められたときに、「いやいやそんなことないですよ」とついつい言ってしまう人生でした。これは謙虚さが原因と言うよりも、照れが原因で言ってしまうことが多かったように思います。なので、同じ照れ隠しであれば、感謝をした方がコミュニケーションが円滑に進みます。多少自分ではまだまだだと思っていても、その人がそう思ってくれた、わざわざポジティブなコメントをくれたということに対して感謝をすることから始めるとよいと思います。感謝していると「褒め甲斐のある人」になるので、より褒められコメントをもらえるようになるという循環もあります。これを繰り返していくことで、自分の中での「成功体験」が増えていって、自信につながっていきます。

ちゃんと伸ばしたいジャンルに対しては若干の虚栄心を持つ

このジャンルは伸ばしたいなと思うものを一つ持っておいて、虚栄でいいのですごい人のふりをしておくとよいです。1個これ、と言うものを持っておいて、その他では自虐も言い放題(本当は良くない)としておくと、自虐癖をそのままに、自信を持てる武器を得ることができます。人間いきなり変わることはできないので、まずは特定の何かから、とするのが手軽でいいと思います。やがて実態が虚栄心に追いついてきて、実感になり、それが自信になってきます。よく「根拠のない自信を持て」と言う人がいますが、それよりかは、「虚栄心でいいから自分をよく見せようとするといいことあるよ」という方が正確なアドバイスじゃないかなと思います。
なお、運が悪いとその鼻をくじこうとする人に遭遇してしまいます。その時は、おとなしく他のジャンルを探すか、目をつぶりいい声だけに耳を傾けるか、などの対策を取るしかないと思います。ただ、個人的にはよっぽど悪目立ちしている人でない限り、出ばなをくじこうとする人に出会う確率は低いんじゃないかな~と思います。これは見通しがだいぶ甘いかもですが、実際のところ、それをやる確率が一番高いのは他人じゃなくて、内なる自分じゃないでしょうか。なあそうだろ?おい?

ダメだとわかっているものにこだわらない

自信を持つというのは自分の全てを肯定する、と言うことではないので、ダメのものはちゃんと見極めて、こだわらずに捨てるか、頑張ってダメじゃなくするかどっちかにするとよいです。全く実態を伴っておらず、がんばるつもりもないものに無理やり自信を持とうとすると、失敗してかえって自信を失う確率が高まると思います。

お金を貯める

自信を持つためには前提として精神状態が安定している必要があります。身もふたもないですが、経済的な基盤が整ってくると精神状態が安定してくるので、これが一番効きます。わたしも精神が安定し始めたのは働き始めてからなので、やはり金の持つ力は偉大です。金で自信は買えます。

おわりに

以上、自信について考えてみました。ここまで自信のメリットを実感していても、わたしは他人に「自信持てよ!」とはあまり言いたくありません。自信のない人に「自信持てよ!」と言うのは、お金のない人に「お金持てよ!」と言うのと同じくらいの残酷さがあると思うからです。ただ、自信を持っている人は得してるので、自信持てるなら持った方がいいよね~と思うだけです。誰かに自信を持たせるために、周囲ができることはあんまりないと思っています。自分で自分を信じることができるだけの材料を得るか、考え方を変えるかしないと永遠に無理だと思います。

自信がないことを「謙虚」と言い換える向きがありますが、自信があることと謙虚であるということは普通に両立しうる概念だと思っています。自信を持つことで失うものはそんなに無くて、得することの方が多いと思うので、各位はもっと軽率に自信を手にしていただけるといいなと思います。わたしも自信道は道半ばなので、まだまだこれからですね……。

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